2020年11月8日日曜日

外れ馬券事件 ~高松事案控訴審判決の報に接して~

1. 11月に入りましたが、名古屋は、本日、小春日和です。

久屋大通公園の木々が色づき
芝生には落ち葉がいっぱいです。

 

2.外れ馬券事件 ~高松事案の控訴審判決の報に接して~

(1) 数日前、大量に馬券を購入していた高松市の男性が、(当たり馬券だけでなく)外れ馬券の購入費用も必要経費として所得を計算するよう求めていた訴訟の控訴審で、東京高裁が、令和2114日、(通常馬券分について)外れ馬券の購入費用を必要経費と認め課税処分の一部を取消していた第一審判決(東京地判令和元年1030日)を取り消し、課税処分は適法であるとして国の逆転勝訴となったというインターネットの新聞記事を目にしました。

(2) 外れ馬券事件については、このブログでも何回かとりあげたことがあります。
<大阪事案>
<札幌事案>
 このブログではとりあげていませんが、他にも、東京事案(東高判平成28年9月29日)や横浜事案(東高判平成29年9月28日)などがあります。
 一昨日には、租税判例研究会があったのですが、たまたま、上記記事の高松事案控訴審判決の原審である東京地判令和元年
114日が題材でした。
 また、昨日、大学院で2年生がいくつかのグループにわかれて中間発表会があったのですが、私のグループには、外れ馬券事件をテーマにした方が複数いらっしゃいました。

  それにしても、同様の争点でこうも判決が続くのは、世にいかに競馬愛好家が多いかを反映しているのでしょうか。

(3)  リーディングケースとなるのは、やはり、大阪事案の上告審判決(最判平成27310、以下、「平成27年判決」。)となります。大阪事案は、馬券を自動的に購入できるソフトを使用してインターネットを介して長期間にわたり多数回かつ頻繁に網羅的な購入をして当たり馬券の払戻金を得ることにより多額の利益を上げていたXが正当な理由なく確定申告書を期限までに提出しなかったという所得税法違反の事案(刑事事件)です。
 争点は、①当たり馬券の払戻金が所得税法上の一時所得に当たるか雑所得に当たるか、②外れ馬券の購入費用を含めた全馬券の購入費用を控除できるかです(ここでは詳しく述べませんが、①において「一時所得」でなく「雑所得」となった方が、②で外れ馬券の購入費用まで「必要経費」として控除を認められやすいことになります。)。
 平成27年判決では、最高裁が、はじめて、所得税法341項「営利を目的とする継続的行為」をどのように判断するかを示しました。すなわち、「所得税法上,営利を目的とする継続的行為から生じた所得は,一時所得ではなく雑所得に区分されるところ,営利を目的とする継続的行為から生じた所得であるか否かは,文理に照らし,行為の期間,回数,頻度その他の態様利益発生の規模,期間その他の状況等の事情を総合考慮して判断するのが相当である」と判示したのです(ここが、前回10月のブログで触れた規範を定立している部分ですね。)。
 この規範部分をみると、「営利を目的とする」(営利目的該当性)「継続的行為」(継続的行為該当性)をわけることなく、総合考慮の考慮要素として、行為の態様(期間、回数、頻度等)利益発生状況(規模、期間等)を挙げています。この点、最高裁判例解説(楡井英夫)は、「継続的行為」という文言に照らせば、行為の態様(期間、回数、頻度等)が考慮要素になるのは当然のことと思われる一方で、「営利を目的とする(行為)」については、主観的動機を有するだけでは足りず、かといって、客観的にみて利益が上がる行為に限定すると過度の限定となるから、客観的にみて利益が上がると期待し得る行為であればよい、としています。
 そして、平成
27年判決のあてはめ部分は、継続的行為該当性と営利目的該当性をわけずになされています。

(4)  次の札幌事案では、同種の争点で争われた民事事件ですが、X(納税者)は、大阪事案と異なり、馬券を自動的に購入できるソフトは使用していませんでした。一審判決は、Y(国)勝訴(一時所得に区分。外れ馬券の購入代金は控除不可。)、控訴審はX勝訴(雑所得に区分、外れ馬券も控除可。)。そして、最高裁がYの上告を棄却する判決をしたのが、最判平成291215(「平成29年判決」)です。平成29年判決には、理由もついていて、最高裁判例解説(三宅知三郎)もあります。
 規範部分をみると、平成29年判決では、平成27年判決を引用し、「営利を目的とする継続的行為から生じた所得であるか否かは,文理に照らし,行為の期間,回数,頻度その他の態様,利益発生の規模,期間その他の状況等の事情を総合考慮して判断するのが相当である」と判示しています。このように、平成27年判決と平成29年判決の規範部分は、まったく一緒です。
 もっとも、そのあてはめ部分は、平成27年判決と異なり、「継続的行為といえる」かと、「客観的にみて営利を目的とする」かを、はっきりとわけて検討しています。この点について、最高裁判例解説は、「このような検討ができることについては平成27年最判の調査官解説においても既に示唆されていたところであり、本判決が平成27年最判と異なる判断枠組みを用いたものとは解されない。」と記しています。
 ところで、平成29年判決の営利目的該当性で具体的に検討されているのは、利益発生の規模、期間であり(「上記のような馬券購入の態様に加え」という文言は入っています)、しかも、「客観的にみて営利を目的とするものであった」という結論をだすのに、「Xは回収率が総体として100%を超えるように馬券を選別して購入し続けてきたといえる」という評価が入っています。この点について、最高裁判例解説は、「回収率が総体として100%を超えるようにXが選別して馬券を購入し続けたと評価できる以上、そのような行為客観的にみて利益が上がるものと期待することができる」とし、また、「本判決は、回収率が100%を超えるようにXが馬券を選別して購入し続けてきたと評価するに当たってXの馬券購入態様を根拠の一つとしている」とも記されています。
 この回収率が100%を超えるという評価部分は、平成30629日付で一部改正された所得税基本通達34-1(2)の注1にしっかりと取り入れられています。
 さて、ここで問題となるのが、そうはいっても、回収率が100%を超えるという評価は、事後的にしかできないのではないかということ。平成29年判決や最高裁判例解説をみると行為態様も勘案しているとあり、実際、そうでしょうが、考慮要素の「行為態様」にも「利益発生状況」にも、「期間」が入っていて、そのような行為が相当期間において回収率100%を超えてはじめて、「客観的にみて利益が上がるもの期待」できるといえるのであれば、営利目的該当性は、事後的、しかも、相当期間経過後(平成29年判決では6年間)にしか判断できなくなってしまうようにもみえます。もしそうだとすると、申告時には所得分類がはっきりしないケースがでてくるのではないかという危惧をぬぐいきれないように思います。
 また、次に述べる高松事案のように、複数年のうち、1年でも回収率が100%を下回ると、営利目的該当性は否定されてしまうのだろうかという疑問が生じます。

(5)  冒頭の高松事案の控訴審判決(東高判令和2114日)の判決文は入手できていません。
 原審の東地判令和元年1030日についてみてみると、規範部分は、平成27年判決、平成29年判決を引用していて、まったく同じです。
 原審で特徴的だったのは、通常馬券的中による払戻金とWIN5に係る馬券の的中による払戻にわけて検討し、前者は雑所得(Y(国)の一部敗訴)、後者は一時所得と判示した点でしょう(このように馬券の種類によりわけて検討する手法も、議論の対象になるところでしょう。)。
 そして、控訴審では、おそらく、通常馬券に係るY敗訴部分が取消されたものと思われます。というのも、この事案で処分の対象となったのは、平成24年から平成26までの所得なのですが、通常馬券購入に係る損益は、平成24年には約790万円の損失がでていたのです。原審は、営利目的該当性のあてはめ部分で、「Xは,平成22年以降の5年間のうち4年間で,年間を通して利益を上げており,その金額は約516万円(平成25年)から約1376万円(平成23年)に及ぶのであり,平成24年に約790万円の損失が生じているものの同年の回収率は中央競馬の平成24事業年度の払戻率(馬券の発売金額に対する払戻金額の割合。約75%)を相当程度超える86.4%を維持しているのであるから,上記のような馬券の購入行為の態様,利益発生の規模,期間その他の状況等によれば,Xは回収率が総体として100%を超えることが期待し得る独自のノウハウに基づき馬券を選別して購入を続けていたということができ,そのような原告の上記の一連の行為は,客観的にみて営利を目的とするものであったといえる」と判示しました。4年間のうち1年くらい100%を下回っても(その年度の平均払戻率は超えているし)、総体としては100%を超えることが期待し得る購入だったといえるよ、というわけです。この点が、控訴審で変更されたようで、インターネットの新聞記事によれば、件の24年は約790万円の損失を計上しており、「恒常的に利益を上げていたとまでは認められない」として営利目的該当性を否定したようです。
 こうしてみてくると、平成29年判決は、平成27年判決と異ならない判断枠組みであるとしながら、営利目的該当性について、客観的にみて利益が上がると期待し得ると評価するには回収率が100%を超える必要があると示したようにみえるため、これでは、客観的にみて利益が上がる行為に限定」したようなものであり、租税法規の行為規範性や予測可能性、法的安定性などの観点から、問題が生じているように思われます。

2020年10月26日月曜日

法的三段論法と違憲の主張、法人税法34条2項「不相当に高額」とその委任を受けた令70条

1. 10月もあと数日。秋が深まってきました。
 ヨーロッパでは第2波が深刻なようです。日本では、これから冬を迎えますが、どうなっていくのでしょうか。いずれにしても、スッキリとした終息の見通しは、たたないと言わざるを得ません。今年に入ってから大きく価値観がかわり、すべてではないにせよ、それが定着していくように思われます。
 マスクをしていなくても気兼ねしなくてすむような日は、果たして、くるのでしょうか。

事務所近くの久屋大通公園がリニューアルして
芝生になりました。


芝生でくつろぐにはよい季節で
夜もきれいです。


 

2.法的三段論法と違憲の主張 

(1)  最近、なかなかブログを更新できていませんが、常日頃考えていることの一つを、アップしてみます。

(2) 大学院で教えていて気付いたことの一つに、法的三段論法を意識するというのがあります。
 これは、自ら振り返ると、あまり教えられた記憶がありません。もしかしたら、法学を勉強していると、自然と身につく側面があるのかもしれませんね。 

(3)  判決文を読むときでいえば、規範定立部分とあてはめ部分を意識することが大切です(木山泰嗣先生の『税務案例がよめるようになる』にもそのような記載があります。)。法的三段論法では、事実に法規範(条文)をあてはめて結論を導きます。でも法学の対象となるような事案では、条文をそのまま当該事実にあてはめて結論を得ることが出来ないので、解釈が必要になり、裁判所が規範を定立したりします。この規範を定立している部分が、まずは、重要です。もし、その後、同じような争点で訴訟に発展したとき、この規範により結論が導かれると予想されますからね。

(4)  著名な武富士事件を例にすると…。
 租税判例の多くは、納税者(原告X)が課税処分の取消を求めて争います。課税処分を取消してもらうためには、課税処分が違法であることが必要です。そして、課税処分が課税要件を欠いていると主張立証できれば、当該課税処分は違法であるといえるでしょう。
 武富士事件では、贈与税決定処分等の取消を求めたものです。
 Xは、贈与を受けた当時、香港に赴任していたものの、日本国内の滞在日数もそれなりにありました(香港約65.8%、国内約26.2%です。それだけでなく、この滞在日数は、公認会計士から贈与に関する具体的な提案を受け、租税回避目的で調整した結果でした。)。ところが、当時の相続税法では、受贈者が贈与を受けたときに、国内に「住所」を有することが、課税要件となっていました。そこで、贈与税決定処分等が取消されるか否かは、
Xの「住所」が日本にあるか否かによることとなったわけです。
 Xのように、香港と日本を行き来している者の「住所」は、どのように判断すればよいでしょうか。相続税法の条文は、「住所」と記載するのみで、その定義規定は用意されていませんでした。
 最高裁(平成23218日判決)は、「ここにいう住所とは、反対の解釈をすべき特段の事由はない以上、生活の本拠、すなわち、その者の生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心を指すものであり、一定の場所がある者の住所であるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である」と判示しています。このように、最高裁が、「住所」をどのように判断するか述べている部分が、規範を定立しているところです。最高裁が、「『住所』はこのように判断する」といってるのですから、もし、その後、「住所」が争点となる同種事案が生じれば、この規範に基づき、「住所」がどこにあるか判断されるのではないかという予想がたちます(武富士事件のような租税回避事案については、これを封じるための法改正がありましたが…)。
 規範定立部分に続く「これを本件についてみるに、前記事実関係等によれば、…」というところは、この規範に事実をあてはめている部分です。このあてはめ部分も、どういう事実だと、その規範にあてはめてどのような結論がでるのかということがわかりますから、勿論、重要です。

(5)  租税判例では、納税者から違憲の主張がでることもあります。
 例えば、このブログでもとりあげたことのある残波事件(第一審は東地判平成28422日)
 残波事件は、X社が、その役員4名に支給した役員報酬(役員給与)とその代表取締役を退任した者に支給した退職給与について、「不相当に高額な部分の金額」があるとしてなされた本件各更正処分等の取消を求めたものです。
 この事案において、
X社は、「本件各更正処分等は、憲法84条に反するものである」という主張もだしていました。
 前述のように、課税処分を取消してもらうためには、課税処分が違法であることが必要です。この点、もし、その処分に適用された大前提たる条文が憲法に違反していたら、当該条文は原則として無効となりますから、課税処分も違法といえるでしょう。
 私は、違憲の主張は、ゼロの割り算に似てるな…などと思ってしまいます(変ですかね…)。

(6)  ところで、法人税法342項の「不相当に高額」については、私が以前書いた論文「租税訴訟における規範的要件の要件事実 -法人税法1321項の不当性要件を中心に-」で指摘だけした疑問点(「税法学」58284頁脚注7)があります。長くなりますが、以下に、敷衍してみたいと思います。

(7) 残波事件で問題となった法人税法342項は、以下の通り、規定します(太字下線筆者)。

内国法人がその役員に対して支給する給与(…略…)の額のうち不相当に高額な部分の金額として政令で定める金額は、その内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入しない。


 「不相当に高額」といわれても、当該法人の給与が具体的にいくらを超えるとそうなるか、俄には、わかりませんね。

 「不相当に高額」は、講学上、不確定概念といわれています。

 昨年、私が上記論文で書いた同族会社行為計算否認規定(法人税法1321項)の「不当に」という要件も、不確定概念であるといわれています。
 不確定概念は、憲法84条の租税法律主義から導かれる課税要件明確主義に反しないかが問題となりますが、金子先生は、不確定概念を用いることは、ある程度は不可避であり、また必要であるとしていますね。
 もっとも、法人税法1321項と違って、法人税法342項は、「不相当に高額な部分の金額として政令で定める金額」としているように、「不相当に高額な部分の金額」をどのように判断するかについて、法人税法施行令第70条に委任しています。
 この点、会社法改正に伴う平成18年法人税法改正の前の事案ですが、丸中縫工事件の最高裁(平成9325日判決)は、「法人税法341項の規定の趣旨、目的及び法人税法施行令691号の規定内容に照らせば、法人税法341項所定の『不相当に高額な部分の金額』の概念が、不明確で漠然としているということはできない」と判示しています。
 

(7) それでは、現行の法人税法342項の委任を受けた法人税法施行令第70条はどのように規定しているのでしょうか。
 令70条1号イ(いわゆる実質基準)は以下のように規定します。

(過大な役員給与の額)

70条 法第34条第2項(役員給与の損金不算入)に規定する政令で定める金額は、次に掲げる金額の合計額とする。

一 次に掲げる金額のうちいずれか多い金額

イ 内国法人が各事業年度においてその役員に対して支給した給与(法第342項に規定する給与のうち、退職給与以外のものをいう。以下この号において同じ。)の額(第三号に掲げる金額に相当する金額を除く。)が、当該役員の職務の内容、その内国法人の収益及びその使用人に対する給与の支給の状況、その内国法人と同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する給与の支給の状況等に照らし、当該役員の職務に対する対価として相当であると認められる金額を超える場合におけるその超える部分の金額(その役員の数が二以上である場合には、これらの役員に係る当該超える部分の金額の合計額)

(以下、省略)


このように

法人税法
342項「不相当に高額な部分の金額として政令で定める金額」
   ↓
法人税法施行令第701イ「当該役員の職務に対する対価として相当であると認められる金額を超える場合」

と言い換えられています。

 このように、「不相当に高額な部分の金額」を「相当であると認められる金額を超える」と言い換えて規定したことには疑問が生じないわけでもありません(法人税法施行令第702の「その退職した役員に対する退職給与として相当であると認められる金額を超える場合におけるその超える部分の金額」も同じ議論になります)。
 というのも、「不相当に高額」というのは、「高額」であるだけでは足りず、「不相当に」「高額」である必要があるようにも、思えるからです。これって法律による委任の範囲を超えていないのでしょうか…?
 この点、丸中縫工事件の第一審(名古屋地判平成6615日)は、Xの法人税法341項は憲法84条の課税要件明確主義に反するという主張や合憲限定解釈が必要であるという主張をしりぞけた上で、「令691号に規定される『相当であると認められる金額を超える部分の金額』については、当該役員の職務の内容当該法人の収益及び使用人に対する給料の支給の状況同業種・類似規模の法人の役員報酬の支給の状況等に照らして定まる客観的相当額ある役員の役務の対価として相当と認められる金額は一定額に限られるものではないから、ここにいう額は、その性質上、相当と認められる金額中の最高額を意味することになる。)を超える部分の金額が、これに当たるというべきである」と判示しています。
 このように、相当と認められる金額中の最高額を超える金額は、不相当に高額な部分の金額であると解釈すれば、法律による委任の範囲を超えないでしょうかね…。
 Xの合憲限定解釈の主張は、「法341項の『不相当に高額な部分の金額』は『明白かつ著しく高額な金額』と解釈されるべきである」というものなのですが、「明白かつ著しく」とまではいいませんが、第一審裁判所が判示したように、相当と認められる範囲の最高額を超えると、すぐに、「不相当に高額」となってしまうのでしょうか。ここは日本語の問題、あるいは、社会通念によるのかもしれませんが、正直、疑問なしとはいえないように思います。
 ちなみに、処分行政庁(被告Y)は、「報酬が法人の役員の職務の内容等から見て対価として相当であると認められる金額を超える場合には、その超える部分が高額部分となるのであるが、不相当に高額であるか否かは、右規定に掲げられた諸々の事情等に照せば自ずから明らかとなるべきものである。…具体的には、通達回答方式によって抽出した類似法人の役員報酬支給状況の検討によって相当性の判断の基準となる具体的・客観的数値(平均値)を求めるとともに、当該法人における役員の職務の内容、当該法人の収益の状況及び使用人に対する給料の支給状況という事情の中に当該法人の固有のものとして特別に考慮すべき事情があるか否かを検討して右平均値を増減することによりなずべきである。」と主張していましたが、さすがに、第一審裁判所は、「特別事情がなければ平均値が相当な報酬額の上限であるという判断方法も採用することはできない」と判示していますね。

2020年8月16日日曜日

先例主義と国民性

1. 昨日は、終戦記念日でしたね。
 夜、NHKで、ドラマに続いて放映されたNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を拝見し、色々と考えさせられました。
 日本では、旧軍人、軍属やその遺族には手厚い恩給がありますが、民間被害者の補償はなされてないといいます。ちなみに、同じ第二次大戦の敗戦国であるドイツやイタリアでは、民間被害者も補償の対象であるといいます。民間被害者への補償について、(戦前はそのような法制があったようですが)旧大蔵省や厚生省の担当者が、日本国憲法の保障外にある、国家総動員体制の下受忍すべきであるという趣旨の述懐をしているのに、既視感というか、ひっかかりを覚えました。

2. 今年は、コロナ禍が世を席巻しています。
 政府や自治体からは、様々な要請がなされますが、これらは、法的根拠がないか、あっても、その法的拘束力が明確ではありません。そして、補償についてもまた法的根拠が明確とは言い難いように思われます。

3.(1) 現在夏休みですが、コロナの影響で、私の担当する大学院の前期授業(租税法基礎研究)は、途中からZOOMで行うこととなりました。最初は違和感がありましたが、郷に入っては郷に従えといいましょうか、とりあえずは、慣れるしかない…。

(2)  私は、恥ずかしながら、遙か昔、大学で法学を専攻しはじめた当初、どうにも法学になじめませんでした。そんな私が、大学院で法の基礎を教えるなんて…人生とはわからないものです。
 なぜどうも法学になじめなかったのか…それは、不勉強が一番の理由だと思われます。あとは、社会的経験不足とか…。ただ、思い出すことがあります…。あるとき、先輩が、「論点は条文のスキマだ」といっているのが、妙に、耳に残りました。その後、だんだんと、法学って、(中心は)法解釈なんだと、腹に落ちていくような気がしたのです(苦笑…いつも、変なところで、つかえてしまうのです…汗)。

(3)  時が経ち、司法試験の勉強をはじめ、実務につくと、自然と、法的三段論法にいそしむようになります。すなわち、事実に法規範(条文)をあてはめて結論を導きます。でも、事案によっては、うまくあてはめることができません。これが学部で論点とよばれているところといえるでしょうか…。裁判では、場合によって、自ら規範を定立します。もっとも、日本は、大陸法系であり、判例には事実的拘束力しかないとされています。

(4)  ところで、以前、ローエイシア東京大会2017の基調講演について、このブログでふれたことがあります。谷口安平教授は、アメリカの証拠法の大家であるウイグモア博士が若き日に慶應義塾大学に招聘され、失われゆく江戸時代の紛争解決事情について研究していたという話をされたのですが、その中で、国民性というのは案外かわらないというような趣旨の発言をされていた記憶があります。

(5)  昨年、名古屋大学の神保文夫教授をうかがう機会がありました(ご親切にも、古文書の読解について手ほどきを受けました。)。うかがう前に、『法文化のなかの創造性』(創文社)という本の「幕府法曹と法の創造」を読んでいたところ、ウイグモア博士の話がでてきました。ウイグモア博士は、日本の徳川時代の法の特徴の一つとして、「判例法の発達」ということを指摘し、「それは1400年代以後のイギリスにおける判例法の発展とよく似ている」といっているそうです。孫引きで恐縮ですが、「世界の重要な法系のうち、判例によって法を発展させたのはユダヤ、マホメット、ローマ、イギリス、日本の5つしかない、しかもその中で、法律学者ではなく、official justice、すなわち、官吏たる裁判官によって法が発達したのは、イギリスと日本だけであって、これは非常に興味深いことである」と述べていたというのです。ちょっと、びっくりしないでしょうか。江戸時代の法や裁判というと、ドラマの影響もあり、大岡裁きなどが思い浮かびます。しかし、実は、行政的先例などを非常に詳細に調査、比較衡量し、「妥当と考えられる結論を機能的に導くことによって、法的安定性・公平性を維持するとともに、必要に応じてそれを修正しつつ、新たな規範を形成していった」というのです。
 神保教授は、「明治になって、日本は西洋の近代法を継受することになりますが、こういった江戸時代における法実務ないし実務法学の発達という素地があったからこそ、急速に取り入れた近代法をともかくも受け入れ、対応することが可能であったと思います。」としています。
 そして、「フランス法やドイツ法といった成文法主義、法典主義を基本とする大陸法系の西洋近代法を日本は継受しわけですけれども、それにもかかわらず実務の運用においては判例が英米法以上に重視されているというのが本当であるとするならば、それにはもちろんさまざまな要因や背景があることだろうとは思いますが、先例を覆すことは容易にはできない、あるいは先例に従っていれば安心だというような意識がもしあるとすれば、これはひょっとすると江戸時代以来のわが国の法実務の伝統というといえるのかも知れません。」と締めくくっておられます。「判例は実務を支配する」というのは、よくいわれることですが、実務に身をおくと、確かに、強く実感するところです。

(6) 国民性というのは、時代を経ても、案外かわらないのかもしれません(当然と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…)。


2020年6月3日水曜日

利得消滅の抗弁



1. 緊急事態宣言が全国的に解除されたのも束の間、昨日、東京アラートが発動し、コロナ禍の行方はまだまだ余談を許さなさそうです。
 
2. ところで、先日、大阪府摂津市が府民税1502万円を過大に還付してしまい、返還を求めたものの、還付を受けた男性の代理人弁護士が「請求された時点で使い切っており、法律上、返還義務はない」と主張しているという報道を目にしました。
 実は、私も組織内で働いた後、似たような状況?に陥ったことが…。
 退職後、元職場の人事課の方が訪ねてこられ、「申し訳ありません。給与を払いすぎていました。返還してください。」といわれたのです…。
 私の場合、入るときに契約書をとりかわしたわけではないので、給与が少しずつ多く支払われていたことに全く気がつきませんでした。しかし、塵も積もれば…で、賞与を含む在職期間を通じての誤りだったため、総額としては、馬鹿にならない金額になりまして…(汗…府民税とは桁が違いますが…)。私の頭の中では、(人事課の方と話を続けつつも)司法試験時代の不当利得の論点などがぐるぐるとまわりはじめ…。以下、内心の声…。
(はあ?給与を払いすぎた~?もう使っちゃったよう~。これって、返還しなければならないの?確か、有名な不当利得の論点があったはず…。ええと…善意の場合は、生活費として費消しちゃうと返還しなければならないけど、浪費した場合は返還しなくてよかったはず…変な結論なんだよね…。しかし、浪費ったって、どんな場合?どうしよう…。どうしよう…。多額すぎる…涙)
 人事課の方は大変丁寧に謝られた上で、「一度に返還するのは大変でしょうから、分割でいかがでしょうか。ご都合のよろしいときを第一回にしていただいて構いません。」などといいます。
 とりあえず、私は、「考えさせてください。」と返答し、人事課の方にお帰りいただいた後で、早速、注釈民法で調べてみました。私が思い出した論点は、「利得消滅の抗弁」とよばれています。民法703条は、「その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」と規定しています。そのため、受益者が善意の場合、現存利益の範囲内で利得の返還義務が発生するように読めます。しかし、本来法律上の原因のない利得は全部返還するべきものを減縮しているから不当利得返還請求権の消滅は抗弁事由(利得消滅の抗弁)であるとされます。前述の受験時代に覚えたことも一応書いてありました。金銭を利得した場合、生活費等の必要な使途に消費したとしても、それにより自己の財産の出費を免れているから利益は現存しており、そのような事実を主張すること自体失当であると…。ところが!!!!!「結局のところ、特に金銭の利得について利得消滅の抗弁が認められる場合は実務上ほとんどないように思われる。」との結論…。
(おかしいじゃん。なんで?間違えた方が悪いじゃん。給与としてもらったら使っちゃうよう。勘弁してよう…「間違えた」ですむなら、ケーサツならぬ裁判所はいらないじゃないか!さりとて、返還を拒否するには、法的根拠が心許ない。だいいち、元職場と波風をたてるのは好まない。しかし、腹が立つ。モーレツに腹が立つ!くやしい~!)
 次にコンタクトがあるまで、悶々とした日々を送りましたが、結局、悔しさと恥ずかしさに蓋をして、3回払いにしてもらいました…涙。
 この話を同期にしたところ、爆笑され、「しらばらく思い出して笑える。」と感謝?されました。しかし、私は、しばらく思い出しては、ぶつけるところのない悔しさに苛まれたのでした…。確かに、誤って多く支払われた給与は、法律上の原因なく他人の財産によって得た利益ではあります。ですが、こういう話は、その立場になってみると湧き上がる感情もありまして…。

 なお、最判平成8426日は、「振込依頼人から受取人の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である。」と判示しています。つまり、誤振込があった場合、銀行と受取人との間には、預金契約が有効に成立するのです。その結果、払戻に応じた銀行は、法的責任を問われません。勿論、振込依頼人と受取人との間には、不当利得の問題が生じます。また、振込依頼人から誤振込であるとの申し出があれば、受取人の同意を得て組戻しをするという銀行実務はあるようです。
 更に、大阪高判平成10318日(上告棄却で確定)は、「誤振込による入金の払戻をしても、銀行との間では有効な払戻となり、民事上は、そこには何ら問題は生じない(後は、振込依頼人との間で不当利得返還の問題が残るだけである。)のであるが、刑法上の問題は別である。…誤振込の存在を秘して入金の払戻を行うことは詐欺罪の『欺罔行為』に、また銀行側のこの点の錯誤は同罪の『錯誤』に該当するというべきである」としているので、多額の誤振込みがあれば、それとわかるでしょうから、払戻には注意が必要です。

2020年5月5日火曜日

ステイホーム週間


1. GWならぬステイホーム週間もあと1日。
 緊急事態宣言の延長が決まり、不安や不満が世の中に溢れているように感じます。
 今年が明けた頃には、よもやこんな日々が来るとは想像だにできませんでした。果たしていつ収束するのか、そして、コロナ後は…?パンドラの箱に最後に残ったのは、予知力だとの解釈がありますが、待ち受ける未来を知っても、前を向いて歩いて行ける未来が待っているのでしょうか…。

2. 心配は尽きませんが、話題をかえて…。
 折角、まとまった時間を家で過ごすのですから、目標をたててみました。
  ①ピアノのレパートリーを一曲増やす
  ②ベランダと物置になっている自室を片付ける
  ③租税論文など時間がかかる読書にいそしむ
 あれれ…③は本業の一部でしょうか?
哲学書でもいいかな…。亡き父の蔵書で気になっているのがあります。
 しかし、最近、知的活動が停滞している気がします。人生の折り返し地点は過ぎているし、ここは、自分に発破をかけて、楽しみつつ、老いに抗うことも必要かなと思う今日この頃。と思って、③も入れておきます。
 ①は、ステイホーム週間に入ってからすぐにはじめて、既に譜読みは終え、75%くらい達成しています。ピアノに触るのは久しぶり…。譜読みの能力は、驚くほど衰えていますが、めげません。昔から、試験期間になると、ピアノが弾きたくなるんですよね。比較の問題で、②や③より、ずっと楽。
 ②は、枯れた木を処分して、鉢をまとめて、雑草を抜いて、種蒔きするなど、ベランダの掃除はおえました。問題は、自室の片付け。
 以前、孤独死された方の相続財産管理人を引き受けた際、その自室に考えさせられました。綺麗好きな方は大丈夫なのでしょうが、私は、恐らく、家人がおらず、社会との接触がなければ、同じようなことになるのではないかと…。家事の中で、一番嫌いなのが掃除です(きっぱり!)。まだ、0%の達成率ですが、明日、頑張ります(汗)。
 ②が中途なので、③には手をつけていません…(苦笑)。
しかし、こちらは、ステイホーム週間が終わっても取り組んで、ブログに報告したいな…などと思っています(宣言しておけばやるのでは…)。