2016年11月30日水曜日

国際家事調停人研修 Mediator Training in English


1. 1125日から27日の日程で、大阪で開催された「ハーグ条約セミナー 英語による国際家事調停人研修」(日本仲裁人協会主催)に参加しました。

 日本の家事裁判所や簡易裁判所で行われている調停は、原則、別席調停です。
 これに対し、今回の研修で学んだのは、「対話促進型同席調停」です。

 まず、講師のレビン小林久子先生(元九州大学大学院教授)より、米国でADRの利用が盛んになった経緯や紛争解決の中心理論(交換理論、統合理論、トランスフォーマティブ理論、ナラティブ理論)について解説がありました。米国の調停理論には、心理学の成果のみならず、平和運動や反体制運動が影響を与えているというのは、大変、興味深いと思いました。また、同一のもの(例えば親権)を争った際の紛争解決の困難性(ゼロサム状態)について、その対処方法を理論的に構築しようとするアプローチ自体が(実際にいつも理論通りにいくかは別にして)慧眼だなあと感服しました。

 技法については、傾聴(Active-listening)、パラフレイジング、リフレイミング、サマライジング、ノートの取り方などを習いました。これらを実践すべくロールプレイが3回行われ、運よく(笑)、2回も調停人役がまわってきました。何事も一朝一夕にはまいりませんが、場数を踏むことの大切さを実感しました。

 昨年参加した「ハーグ条約に関する日豪合同あっせん人研修」や今年ロンドンで訪問したリユナイト等で見聞したところによると、オーストラリアやイギリスでは、Mediatorは何十時間ものトレーニングを受けているようです。
 日本では、少なくとも、弁護士が、裁判所の調停官・調停委員になったり、ADRのあっせん人になったりするために、特段のトレーニングプログラムは用意されてはいないことが多いように思います。それは、法曹としての養成プログラム(司法修習)を経た後、紛争解決の場で多様な経験を積んでいるからではないかと思われます。なので、特段のトレーニングプログラムが必要であるとまでは言い難いように思います。とはいえ、今回の研修のように、調停の理論や技法を学ぶことは、極めて有益なことだと思いました。

   
日本仲裁人協会の
受講証明書

I took part in a Hague Convention Related Seminar, “Mediator Training in 2016 in English”, organized by Japan Arbitration Association.  It was held in Osaka from November 25 until November 27. 
At the begining of
the seminar, Ms. Hisako Kobayashi-Levin (former professor of Kyushu University) explained about a social background of ADR procedures in the USA, some theories related to conflict resolution, and so on.  I was surprised to hear that a peace movement and an anti-establishment movement affected theories related to conflict resolution.
After we learned mediation skills such as "Active-listening", "Paraphrasing", "Reframing", "Summarizing" and "Note-taking", we challenged roll playing sessions to practice those skills. 

I found the training program quite practical and useful.
 

2. ところで、大阪では天王寺に宿をとっていたので、早朝、天王寺公園を散歩することができました。
 天王寺公園には、茶臼山があります。茶臼山は、今放映中の大河ドラマ「真田丸」の舞台の一つであり、大坂冬の陣(1614年)では徳川家康の本陣、大阪夏の陣(1615年)では、真田幸村の本陣となったとところです。茶臼山の横に広がる池にかかる橋には、六文銭の旗がはためいていました。
 また、研修3日目の会場は、大阪城の近くだったので、昼休みを利用して、大阪城まで足をのばしました。以前訪れたのは小学生か中学生の頃だったように思います。掘も石垣も、記憶よりも大きくて、びっくりしました。
 今度、ゆっくりと訪問し、真田丸の位置等も確認してみたいものです。
  
早朝冷え込みました。
茶臼山が河底池の湖面に
きれいに映っています。
"Chausuyama" hill
and a pond in Tennoji Park
 
河底池にかかる橋。
欄干には、六文銭の旗がはためいていました。
奥に見えるビルは、あべのハルカスです。
A brige in the park 
 
大阪城
Osaka Castle
 
  As I stayed at the hotel in Tennoji, I walked in the Tennoji Park early in the morning.  There is "Chausuyama" in Tennoji Park, which is famous for the Siege of Osaka in 1614 and 1615. 
I also visited Osaka Castle during a lunch break of the seminar. 

2016年11月18日金曜日

那古野浅間神社「舞の奉納」 “Mikomai” (a female Shinto dance) dedicated at Nagono Sengen Shrine


1. 先週末、円頓寺(えんどうじ)商店街のお祭りに遊びに行った際、四間道(しけみち)にある那古野(なごの)浅間神社で舞が奉納されているのを拝見しました。
 四間道は、いわゆる「清洲越し」で堀川沿いにできた清洲商人の街。元禄13年(1700年)の大火の後、道幅を四間に広げたことに、その名の由来があるといいます。
 那古野浅間神社は、木花開耶媛命(このはのさくやひめのみこと)を主祭神とする古社で、「尾張志」によれば、江戸時代、正保四年(1647年)に遷座したとの記載があるそうです。
 比較的小さなお社ですが凛とした境内で舞われる巫女舞に感動しました。
      
那古野浅間神社で奉納された巫女舞
“Mikomai” was dedicated
at Nagono Sengen Shrine
 
 
     

2. 浅間神社といえば、言わずと知れた富士信仰。「富士山 ―信仰の対象と芸術の源泉―」として、2013年にユネスコの世界文化遺産として記載(登録)されたのは、静岡や山梨のお社ですが、富士山の見えるところを中心に、全国に1000を超える浅間神社があります。江戸時代には、名古屋からも富士山をみることができたと聞いたことがありますが(なので「富士見町」という地名があるとか)、実際には見えないとも…。
 木花開耶媛命というと、ちょっと古いですが、山本 鈴美香さんの「白蘭青風」を思い出します。現在手元になく詳しいストーリーは覚えていないのですが、胸をわくわくさせて読んだ「7つの黄金郷」とは全く趣が違い、しかも、当時としては異色だったと思うのですが、日本の八百万の神様が人格化して(?)登場したので、強烈なインパクトを残しました…。
 もっとも、今年、巫女舞をみて思い出すのは「君の名は」かな…(笑)。
 なお、ユネスコの「世界文化・自然遺産」については、「無形文化遺産」とともに、本当に少々ですが、こちらに触れています。
 

  Last weekend, Mikomai (a female Shinto dance) was dedicated at “Nagono Sengen Shrine”.  The shrine is quite old, and was transferred to the present site in 1647 acoording to the “Owari-shi” (The History of Owari).  There are over 1000 "Sengen Shrine"s in Japan.  They are all in honor of the Sinto Goddess, "Konohanosakuyahime", who is thought as the goddess of Mount Fuj.  In 2013, major "Sengen Shrine"s located in Shizuoka and Yamanashi were added to the World Heritage Lists as part of “Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration”.