1. 昨日は、終戦記念日でしたね。
夜、NHKで、ドラマに続いて放映されたNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を拝見し、色々と考えさせられました。
日本では、旧軍人、軍属やその遺族には手厚い恩給がありますが、民間被害者の補償はなされてないといいます。ちなみに、同じ第二次大戦の敗戦国であるドイツやイタリアでは、民間被害者も補償の対象であるといいます。民間被害者への補償について、(戦前はそのような法制があったようですが)旧大蔵省や厚生省の担当者が、日本国憲法の保障外にある、国家総動員体制の下受忍すべきであるという趣旨の述懐をしているのに、既視感というか、ひっかかりを覚えました。
2. 今年は、コロナ禍が世を席巻しています。
政府や自治体からは、様々な要請がなされますが、これらは、法的根拠がないか、あっても、その法的拘束力が明確ではありません。そして、補償についてもまた法的根拠が明確とは言い難いように思われます。
3.(1) 現在夏休みですが、コロナの影響で、私の担当する大学院の前期授業(租税法基礎研究)は、途中からZOOMで行うこととなりました。最初は違和感がありましたが、郷に入っては郷に従えといいましょうか、とりあえずは、慣れるしかない…。
(2) 私は、恥ずかしながら、遙か昔、大学で法学を専攻しはじめた当初、どうにも法学になじめませんでした。そんな私が、大学院で法の基礎を教えるなんて…人生とはわからないものです。
なぜどうも法学になじめなかったのか…それは、不勉強が一番の理由だと思われます。あとは、社会的経験不足とか…。ただ、思い出すことがあります…。あるとき、先輩が、「論点は条文のスキマだ」といっているのが、妙に、耳に残りました。その後、だんだんと、法学って、(中心は)法解釈なんだと、腹に落ちていくような気がしたのです(苦笑…いつも、変なところで、つかえてしまうのです…汗)。
(3) 時が経ち、司法試験の勉強をはじめ、実務につくと、自然と、法的三段論法にいそしむようになります。すなわち、事実に法規範(条文)をあてはめて結論を導きます。でも、事案によっては、うまくあてはめることができません。これが学部で論点とよばれているところといえるでしょうか…。裁判では、場合によって、自ら規範を定立します。もっとも、日本は、大陸法系であり、判例には事実的拘束力しかないとされています。
(4) ところで、以前、ローエイシア東京大会2017の基調講演について、このブログでふれたことがあります。谷口安平教授は、アメリカの証拠法の大家であるウイグモア博士が若き日に慶應義塾大学に招聘され、失われゆく江戸時代の紛争解決事情について研究していたという話をされたのですが、その中で、国民性というのは案外かわらないというような趣旨の発言をされていた記憶があります。
(5) 昨年、名古屋大学の神保文夫教授をうかがう機会がありました(ご親切にも、古文書の読解について手ほどきを受けました。)。うかがう前に、『法文化のなかの創造性』(創文社)という本の「幕府法曹と法の創造」を読んでいたところ、ウイグモア博士の話がでてきました。ウイグモア博士は、日本の徳川時代の法の特徴の一つとして、「判例法の発達」ということを指摘し、「それは1400年代以後のイギリスにおける判例法の発展とよく似ている」といっているそうです。孫引きで恐縮ですが、「世界の重要な法系のうち、判例によって法を発展させたのはユダヤ、マホメット、ローマ、イギリス、日本の5つしかない、しかもその中で、法律学者ではなく、official justice、すなわち、官吏たる裁判官によって法が発達したのは、イギリスと日本だけであって、これは非常に興味深いことである」と述べていたというのです。ちょっと、びっくりしないでしょうか。江戸時代の法や裁判というと、ドラマの影響もあり、大岡裁きなどが思い浮かびます。しかし、実は、行政的先例などを非常に詳細に調査、比較衡量し、「妥当と考えられる結論を機能的に導くことによって、法的安定性・公平性を維持するとともに、必要に応じてそれを修正しつつ、新たな規範を形成していった」というのです。
神保教授は、「明治になって、日本は西洋の近代法を継受することになりますが、こういった江戸時代における法実務ないし実務法学の発達という素地があったからこそ、急速に取り入れた近代法をともかくも受け入れ、対応することが可能であったと思います。」としています。
そして、「フランス法やドイツ法といった成文法主義、法典主義を基本とする大陸法系の西洋近代法を日本は継受しわけですけれども、それにもかかわらず実務の運用においては判例が英米法以上に重視されているというのが本当であるとするならば、それにはもちろんさまざまな要因や背景があることだろうとは思いますが、先例を覆すことは容易にはできない、あるいは先例に従っていれば安心だというような意識がもしあるとすれば、これはひょっとすると江戸時代以来のわが国の法実務の伝統というといえるのかも知れません。」と締めくくっておられます。「判例は実務を支配する」というのは、よくいわれることですが、実務に身をおくと、確かに、強く実感するところです。
(6) 国民性というのは、時代を経ても、案外かわらないのかもしれません(当然と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが…)。