2026年5月6日水曜日

GWなので、少し長めに ~夫婦財産契約について~

 

1.GWも今日で終わりです。今年のGWは日帰りできる範囲でお城をみにいった以外は、まったりと過ごし、懸案だったカーテンの洗濯および交換など普段疎かになっている家事にもいそしみました。明日から日常に戻るのが怖いです(涙)。

2.夫婦財産契約について

(1) 先日、同業者との食事会で、夫婦財産契約が話題にのぼりました。実は、夫婦財産契約については、ここ10年ほど、租税法の基礎について教える授業の最終回でいつもとりあげていて、気になっている(笑)ので、GWですし、少し長めに書いてみます。
 夫婦財産契約とか、婚前契約(Prenuptial Agreement、“プリナップ”)とか、世間一般ではあまり馴染みがないかもしれませんが、もしかしたら、某日本人メジャーリーガーが結婚に際して結んだというニュースを目にされたことがあるかもしれません。また、アメリカのドラマででてきたりもするので、どちらかというとアメリカのお金持ちが結ぶイメージがあるでしょうか。
 実は、日本の民法にも夫婦財産契約の規定があります。しかも、意外なことに、民法が定める法定財産制の方が、夫婦財産契約がない場合の「補充的なもの」(『新注釈民法(17)』)として位置づけられています(民法755条参照)。そして、このような位置づけは、妻が無能力とされ夫が自己の財産とともに妻の財産についても管理権を持っていた明治民法以来のもの(明治民法793条参照)なのです。
 ちなみに、現行民法は、法定財産制について、同7621項が「夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。」と規定し、夫婦別産制を採用しています。

(2)  我が国の夫婦財産契約の特徴は、その締結時期を婚姻届出前に限定しており(民法755条)、しかも、婚姻届出後の変更が原則として認められていないこと(同758条)、また、対抗要件として登記が要求されていること(同756条)でしょうか。登記?と思われる方もいるかもしれませんが、「外国法人の登記及び夫婦財産契約の登記に関する法律」や「夫婦財産契約登記規則」というのがあって、夫婦財産契約登記簿というものが存在します。
 もっとも、民法が定める夫婦財産契約の規定は極めて簡素であり、どのような内容の合意が可能で、どのような効果が生ずるかが明確とはいえず、夫婦財産契約はその創設以来利用されることが“稀”といっていいレベルです。内田貴先生は、「もともとヨーロッパからの輸入品で…日本では、そもそもそのような習慣がなかったのと手続きの面倒さもあって、ほとんど利用されていない。」(『民法Ⅳ』)としています。前掲新注釈民法によれば、明治民法下の1898年(明示31年)から1945年(昭和20年)の48年間の夫婦財産契約の登記件数が368件、現行民法下にいたっては、1946年(昭和21年)から2016年(平成28年)までの登記件数でも246件です。さらに、法務省の「登記統計」で令和に入ってからの登記件数を調べてみると、令和元年18件、令和2年22件、令和3年21件、令和4年39件、令和5年23件、令和6年19件となっていました。

(3)  それでは、登記された夫婦財産契約は、どのような内容なのでしょうか。『夫婦財産契約の理論と実務』(山田俊一著)には、登記された夫婦財産契約について調査された結果が記載されていて、大変、興味深いです。
 詳しくは同書をご覧いただければと思いますが、戦後の夫婦財産契約122例について調べたところ、まず、財産制の選択については、婚姻前から有する財産を特有財産と明記する例(法定財産制と同様)は73例あり、他方、婚姻後に夫婦のそれぞれの労働や特有財産の果実を原資として新たに取得する財産について、取得した各人の特有財産とする例(こちらも法定財産制と同様にみえます)が36例、夫婦の共有財産とする例が38例、取得した者の名義を問わずにいずれか一方の財産とする例が6例(妻5例、夫1例)などと紹介されています。また、共有財産の持ち分について定める例は、15例(いずれも持ち分50%)、離婚に際して、財産の帰属や離婚後の扶養などを約定するものは21例、相続に関する条項は17例(再婚カップルが多い)。そのほか、婚姻費用の負担、債務の負担、準拠法、裁判管轄、契約変更などの条項が紹介されています。
 このうち、離婚に関するものについては、同書の冒頭で紹介されている「財産分与額10億円事件」(東地判平成15.9.26判例集未登載)が、婚姻前に作成された「誓約書」について、その成立を認めた上で、「将来、離婚という身分関係を金員の支払によって決するものと解されるから、公序良俗に反し、無効と解すべきである。」と判示していることを勘案すると、その内容いかんによっては、無効と判断される可能性があることに留意が必要とされています。また、相続に関するものについても、相続契約は認められないとするのが通説とされていることに留意が必要とされています。このように、我が国の夫婦財産契約は、どのような内容の合意が可能で、どのような効果が生ずるかが明確とは言いがたい状況です。

(4) しかも、法定財産制と異なる内容の夫婦財産契約を締結しても、その効力は限定的と思わざるを得ない判例(東京地判昭63.5.16判時1281・87、控訴審は東高判平成2.12.12税資181・867、上告審最判3.12.3税資187・231)があります。この事案において、X(弁護士)は、夫婦財産契約を締結して、Xの得た収入の2分の1を自らの所得とし、残りの2分の1を妻の所得として確定申告したところ、処分行政庁がその収入の全てをXのものとする処分をしたため、その取消を求めて出訴しました。というのも、Xが締結した夫婦財産契約には、「夫及び妻がその婚姻届出の日以後に得る財産は、……夫及び妻の共有持分を2分の1とする共有財産とする。」という条項があり、Xは、この条項について、夫又は妻の一方が得る所得そのものが原始的に夫婦の共有に属することを意図したものであって、私的自治の原則により、当事者の意図したとおりの効果が発生せしめられるべきであり、かつ、これが登記されていることにより、国及び第三者に対抗しうるものであると主張したのです(Xの主張が認められると、いわゆる二分二乗制度が採用されたのと同等の効果を得ることができます)。第一審は、「ある収入が誰に帰属するかという問題は、単に夫及び妻の合意のみによって決定されるものではなく…略…ある収入が所得税法上誰の所得に属するかは、このように、当該収入に係る権利が発生した段階において、その権利が相手方との関係で誰に帰属するかということによって決定されるものというべきであるから、夫又は妻の一方が得る所得そのものを原始的に夫及び妻の共有とする夫婦間の合意はその意図した効果を生ずることができないものというべきである。なお、このように、夫婦間の右合意がその意図した効果を生じないものである以上、夫婦財産契約が登記されているかどうかによって右結論が左右されるものでないことは明らかである。」と判示して、Xの請求をしりぞけました。控訴審も、「ある収入が所得税法上誰の所得に属すかは、当該収入に係る権利が発生した段階において、その権利が実体法上相手方との関係で誰に帰属するかということによって決定されるものというべきであり、所得税法は課税単位を個人とし、その者の稼得した所得について所得税を課することとしているのである。X主張の夫婦財産契約がこれからの原則を変更する効果を有するものでないことは明らかであり、Xが右契約によって夫又は妻が得る所得税法上の所得までも原始的に夫又は妻の共有に属することを意図したとしても、その効果が生じないことはいうまでもない。」と判示して控訴を棄却しています。まあ、現行所得税法は個人単位主義を採用しているから当然かなとも思える判示ではありますが、その判示するように、Xが得た収入はX一旦帰属した後に夫婦財産契約に基づき妻に分割されたとなると、贈与税が課され得るという指摘もあります(岩崎政明『ハイポ・セティカル・スタディ租税法』)。そうすると、ますます、夫婦財産契約を締結する意義に疑問が生じますね。
 なお、夫婦財産契約についてではないのですが、上記判例は、課税単位について争われた最大判S36.9.6民集15・8・2047とあわせて理解したいところです。この事案は昭和32年の所得税確定申告に関するものなのでかなり古いのですが、Xが(夫婦財産契約は締結されていないものの)収入の2分の1を自らの所得とし、残りの2分の1は専業主婦である妻の家事労働等の協力により得られたから妻の所得として確定申告したところ、処分行政庁がその収入の全てをXのものとする処分をしたため、処分行政庁の認定は所得税法の解釈として形式上正当であるとしても、憲法24条、30条に違反するとして出訴したという事案です。最高裁は、「民法には、別に財産分与請求権、相続権ないし扶養請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているということができる」などとして、「本件に適用された所得税法が、生計を一にする夫婦の所得の計算について、民法7621項によるいわゆる別産主義に依拠しているものであるとしても、同条項が憲法24条に違反するものといえないと判示しました。この判示については、「別産制上は、妻が専業主婦の場合、いかに内助の功があっても、自己の財産形成が行われず、実質的な夫婦の平等は得られない。しかし、このような妻の実質的な不利益については、婚姻が円満に継続する限り、夫婦間の財産の帰属の問題は生ぜず、婚姻解消の際に問題となるのである。そこで、離婚の場合には、夫婦の協力により得た財産は財産分与請求権(民法768条)あるいは死別の場合の配偶者相続権(民法890条)の行使により解決すればよい」と説明されています(遠藤みち『両性の平等をめぐる家族法・税・社会保障―戦後70年の軌跡を踏まえて』)長くなってしまうので、ここまでにしますが、民法の親族法も相続法も、明治時代に近代国家の仲間入りをするために外国の法制度を参考に急いで立法され、しかも、戦後、個人の尊厳と男女の本質的平等を基礎とする日本国憲法の下、大きく改められ、また、租税法についても、シャウプ勧告を受けて、たとえば、所得税法では世帯単位主義から個人単位主義に変更されるなど、激動の時代を経ているのであり、民法の諸制度相互において、あるいは、民法と租税法との間において、統一的に把握できるのか、一生懸命に考えても、頭が痛くなるところです。たとえば、明治民法には規定がなかった現行民法の財産分与制度について、民法の法定財産制である別産制のもと、どうして、離婚時に専業主婦であった妻が原則として2分の1の財産分与を請求できるのでしょうか(GHQ夫婦財産2分論を主張したそうですが明文化されず、でも、少なくとも私が実務に就いたときにはそれが実務であったところ、今般、令和6年民法改正(令和841日施行)で、財産分与について、「婚姻中の財産の取得又は維持についての各当事者の寄与の程度は、その程度が異なることが明らかでないときは、相等しいものとする。」(民法7683項)という文言が加わりました)。潜在的共有制論では限界があるとの指摘もありますね。さらには、なぜ、財産分与に際して、分与者に譲渡所得税がかかるのでしょうか。内田貴先生は、「共有物の分割には譲渡所得税は課せられないから、少なくとも清算部分については課税は不当との議論は可能であろう。」(『民法』)としています。話がそれてしまいました。

(5) 最後に、夫婦財産契約の準拠法について。「夫婦財産契約を締結しうるか否か、締結できるとした場合の締結時期、内容および効力の問題、さらには契約変更の可否・その方法等の問題は、すべて夫婦財産制の準拠法による。」(『注釈国際私法第2巻』)とされるところ、夫婦財産制について定める法の適用に関する通則法26条は、同条1項で、前条、すなわち、婚姻の効力について属人法主義を定める25条を準用しているものの、同条2項は「前項の規定にかかわらず、夫婦が、その署名した書面で日付を記載したものにより、次に掲げる法のうちいずれの法によるべきかを定めたときは、夫婦財産制は、その法による。この場合において、その定めは、将来に向かってのみその効力を生ずる。」と規定し、量的制限の付された当事者自治を認めています(ちなみに、「次に掲げる法」は、一号が夫婦の一方が国籍を有する国の法、二号が夫婦の一方の常居所地法、三号が不動産に関する夫婦財産制については、その不動産の所在地法」)。
 要するに、夫婦財産制は身分法と財産法が交錯する要域ですが、国際的には当事者自治を認める立法例が増えているところ、262項により、選択肢は限定されているものの準拠法を選択することができるということです。 

3. もうひとつ…。
 メ~テレ(名古屋テレビ放送株式会社)さんより、相続放棄についての取材を受け、2026年4月19日付のオンラインニュース「権利や借金など受け継がない『相続放棄』熟慮期間経過後と思われても認めてもらえる可能性が」として配信されましたので、ご報告しておきます(記事保持期間は13カ月)。

2026年4月5日日曜日

ギリシャ旅行について

 1. 今年(イラン攻撃の前)、プライベートでギリシャ共和国(Hellenic Republic)を旅行する機会がありましたので、備忘をかねて、少しだけ、ご紹介します。

2.ギリシャの基礎情報
 まず、国名についてですが(笑。メテオラのツアーガイドさんが話されていて興味深かったので…。)、「Hellenic」は、ギリシャ人が自国をよぶ「ヘラス(Hellas)」(もとはギリシャの一地方?)に由来するみたいです。歴史で習う「ヘレニズム」時代(アレクサンダー大王の東方遠征からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの時代)はこちらの系統ですね。他方、英語のGreeceは、古代ローマ人が用いた「Graecia(グラエキア)」(もとはギリシャの部族のひとつ?)に由来するみたいで、日本語の「ギリシャ」はポルトガル語由来らしいのでこちらの系統かと思います。なお、漢字表記の「希臘」は後者っぽくみえますが、前者に由来するみたいです。ややこしいですね。
 ギリシャがオスマン帝国との独立戦争を経て独立したのは1932年。当初は王国で、共和国となったのは1974年です。その前をざっくり振り返ると、紀元前7000年頃から先史時代、紀元前30001200年頃がエーゲ文明、紀元前7世紀くらいからが私たちが思い浮かべる古代ギリシャ=ポリス国家の時代、その後ローマ帝国の支配下となり、ローマ帝国が東西に分裂すると東ローマ帝国=ビザンツ帝国の支配下にはいりましたが、オスマン帝国が台頭し1453年にビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープルが陥落するなどして次第にオスマン帝国の支配が及んでいきました(約400年間)。そのせいか、ギリシャ料理には、ムサカ、ドルマダキア、タラモサラダなど、トルコ料理と同じようなものがみられます。
 現在、ギリシャはEU加盟国で通貨はユーロ。約15年前の財政危機が思い出されますが、公的債務は減少傾向にあるといいます。観光業はGDP20%をしめるともいわれ、地中海性気候を利用したオレンジ、オリーブの生産など農業も盛んなようです。

3.アテネ市内(アクロポリス、アクロポリス博物館、古代アゴラ、国立考古学博物館)
 アテネ市内の観光スポットといえば、兎にも角にも、アクロポリス(Acropolis)。まず、アクロポリスの南麓にあるアクロポリス博物館にて、アテナ古神殿のペディメントやエレクティオン神殿のカリアティードを鑑賞。3階では、パルテノン神殿が女神アテナのために建てられ、破風彫刻群(18世紀初頭にオスマン帝国に駐在していた英国大使エルギンによって持ち出され大英博物館に収蔵・展示されているエルギン・マーブル)を含め元はどんな姿をしていて、どんな風に破壊されたかなどを映像で勉強。そして、いよいよアクロポリスにのぼりました。途中にヘロド・アッティコス音楽堂などをみながら結構な急坂をのぼっていくと、ブーレエの門に到達し、アテナ・ニケ神殿を横目に進むと、エンタシスが施されたパルテノン神殿の列柱が目に入ります。やっぱり、圧巻の一言。どうしても、ロールス・ロイスのフロントグリルを思い出しちゃいますね。アクロポリスの見学を終えたあと西麓におりて、ティシオ地区でムサカ、ドルマダキアなどのランチをとってから、古代アゴラに入り、ヘファイトスの神殿、アグリッパの音楽堂などをみてまわり、古代アゴラ博物館で古代アゴラから発掘された出土品などをゆっくりと拝見しました。

パルテノン神殿。


エレクティオン神殿


アクロポリス博物館。
2階にはエレクティオン神殿のカリアティードが展示されています。


古代アゴラのヘファイトスの神殿。

古代アゴラのアグリッパの音楽堂。奥にアクアポリスがみえます。

ティシオ地区のSenso Cafeでムサカやドルマダキアなどをいただきました。

翌日は、国立考古学博物館へ。ガイドブックを頼りに、ミケーネ遺跡の出土品である黄金のマスク(アガメムノン王のマスク)、アルカイック様式のクーロス像、アルテミオンのポセイドン像、ヘレニズム期の馬上の少年像などをゆっくりとみてまわりました。ボクシングをする少年はサントリーニ島のアクロティリ遺跡から発見されており、サントリーニ島を先に訪れていたので、一層興味深く拝見できました。

サントリーニ島アクロティリ遺跡で発見された壁画「ボクシングをする少年」

ミケーネ遺跡の円形墓地から出土した黄金のマスク。
これがでてきたら興奮しますね。

アルテミオン沖の海底でみつかった
ヘレニズム期のブロンズ像「馬上の少年像」

国立考古学博物館の外観

アテネ市内で滞在したホテルはプラカ地区にありました。最上階のレストランや部屋のヴェランダからはアクロポリスがみえますし、アクロポリスまで歩いていくこともできます。また、プラカ地区には、ギリシャ伝統の刺繍製品が素敵なMacrameや、創業1898年のタベルナであるPsarasなどがあり、また、シンタグマ広場も近くて、付近には、ギリシャワインが豊富なCellierや内装が素敵なカフェのTazzaなどもあり、とても便利でした。また、到着日にタクシードライバーのストライキがあったのですが、滞在したホテルがあらかじめ知らせてくれたおかげでコンシェルジュに出迎えサービスのアレンジを頼むことができました。個人旅行ではホテル選びも大切ですね。

ホテルのレストランからの眺め(朝食時)。

プラカ地区のタベルナ「Psaras」。

「Psaras」のタコのマリネ、タラモサラダなど。

「Macrame」で購入した刺繍のクッション
(ギリシャっぽくないかも?ですがMade in Greeceで、お気に入りです。)。

「Macrame」で購入したクッションとおそろいの刺繍のテーブルランナー。

内装が素敵なカフェ「Tazza」

「Tazza」のお料理。
右はキノコのスープ。
左はタラモ、ジャジキ、メリジャノなど。

Cellier」で薦められて購入したギリシャワイン。

左から
・「
Akakies Sparkling Rosé 2024」キリ・ヤーニ(Kir-Yianni)社のクシノマヴロ(Xinomavro)を使用したスパークリング・ロゼ。クシノマヴロはギリシャ北部マケドニア地方原産の赤ブドウ品種で、「酸っぱい(Xino)」と「黒い(Mavro)」に由来します。
・「1879 Boutari Legacy 2013」は、ブタリ(Boutari)社が生産するクシノマヴロ(Xinomavro100%の赤ワインです。ワインの名前は、ブタリ社の創業年1879年に因み、その歴史に敬意を表して名付けられているそうです。
・「Daemon 2015」はイエロプロス家(Ieropoulos Familyが生産するアギオルギティコ(Agiorgitiko)の赤ワイン。アギオルギティコは、ペロポネソス半島ネメア地方で主に栽培されており、「ヘラクレスの血」と呼ばれるほど深く濃い赤色が特徴とされます。


4.デルフィ遺跡とメテオラを巡るツアー
 今回、デルフィ遺跡(Archaeological Site of Delphi)とメテオラ(Meteora)をまわる1泊2日の英語による現地ツアーに参加してみました。
 デルフィ遺跡は、アテネから北西へ178kmのギリシャ中部にあります。古代ギリシャ時代には、アポロンの神託が行われていた聖域であり、「大地のヘソ(世界の中心)」と信じられていました。ガイドさんの話では、当時の一帯では火山性ガスが噴出する場所があり、巫女さんは火山性ガスを吸ってトランス状態になって命がけでアポロンと交信していたといいます。

デルフィ遺跡。

デルフィ遺跡の近くのレストランでランチ。左はムサカ。右は野菜のトマト煮込み。

 デルフィ遺跡を観光したのち、メテオラの最寄りの街であるテッサリア地方のカランバカ(Kalambaka)までバスで移動し、そこで宿泊。翌朝、メテオラへ。テッサリア地方ピンドス山脈の麓に点在する岩の塔の上に修道院が建てられており、その写真をみたときから、いつかギリシャを訪れたらいってみたいと思っていました。現地で購入したガイドブック「アギア・メテオラ 天と地の間の石の聖地」によれば、「高い」「空中に浮かぶ」の語源を基に「メテオラ」と呼ばれるようになったそうで、11世紀には修行者が足を踏み入れ、時が下って、修道院と庵の数は合計41に達したそうですが、現在はそのうち6つの修道院が残っています。中に入れたのは、ルサヌ修道院 (Roussanou Monastery)と聖ステファノス修道院 (St. Stephan's Holy Monastery)。聖ステファノス修道院は1350年頃に建築されたヴァシリカ型の建築様式(古代ローマ時代に起源を持ち、初期キリスト教時代以降の教会建築で広く採用された建築様式)で、教会は、聖ハラランボスに捧げられたもので、アギオオリティコという建築様式、オスマン帝国時代には教会学校として活動していました。ルサヌ修道院は1527-1529年に創建され、1560年に建てられた聖堂はやはりアギオオリティコという建築様式だそうです。どちらも、現在、女子修道院となっています。なお、アギオオリティコという建築様式について調べてみたのですが、よくわかりませんでした。AIは、「アギオン・オロス(「聖なる山」の意)」はギリシャ語でアトス山を指しその形容詞形と推測できる、アトス山はギリシャ北東部に位置しここにある20の修道院は「アトス自治修道士共和国」として独自の自治が認められているギリシャ正教の聖地である、としています。

この絶景!
どうやって建てたのでしょうか?


ルサヌ修道院の売店で購入した赤ワイン「Holy Meteora」。
AIによると、メテオラ地方の土着品種であるリムニオナ(Limniona)を使用しているとのこと。

カランバカ(Kalambaka)のホテルの食堂。
朝食も夕食もビュッフェスタイルですがおいしいですし
お部屋は広くてよかったです。


カランバカのホテルでいただいたAvfi Dry White」は、
キュプロス島の
Michalakis Estateで生産される白ワインで、ブドウ品種はキセニステリ(Xynisteri)。
ギリシャは300種もの土着品種があるといわれており、エキスパート試験のときは耳慣れない名前を覚えるのが大変でしたが、訪れると知らない品種があって楽しいです。


帰路、テルモピュライにも寄りました。ヘロドトスの『歴史』には、ペルシア戦争において、紀元前480年、テルモピュライで、スパルタを中心とするギリシャ軍とアケメネス朝ペルシア軍が戦ったとの記載があるそうで、その記念碑がたっていました。

テルモピュライ


5.サントリーニ島
 サントリーニ島(Santorini)は、エーゲ海のキクラデス諸島南部に位置する島。かつて大爆発を起こした火山が形成したカルデラ地形で、外輪山の一部と真ん中を残して水没しています。大爆発が起こる前、高度な文明が存したため、実は、サントリーニ島がアトランティス大陸だったという説もあるようです。
 サントリーニ島へは、国内線を利用して渡りました。宿は、カルデラ北側のイア(Oia)の洞窟を利用したホテル。1日目は、ブルードームと称される教会のあるイアの街を歩き、イア城(Oia Castle)で夕陽を楽しみました。2日目は、プライベートツアーを頼みました。まず、カルデラ南側まで移動し、紀元前1,500年頃の火山の大噴火で埋もれてしまったアクロティリ遺跡を見学。火山灰に覆われていたため、エーゲ海周辺でみつかった先史時代の遺跡の中でも保存状態がいいといいます。出土品は新先史期博物館にあるのですが、当時の様子を再現したビデオをみて、3000年以上前に、3階建ての壁画のある建物などに住み、文化的な生活をおくっていた様子に驚きました。アクロティリ遺跡を見学後、近くのレッドビーチにも寄りました。本当に赤い砂で、夏は賑やかだそうです。それからフィラの街へ行き、新先史期博物館でアクロティリ遺跡から出土した壁画や陶器などをみました。そして、ペリッサビーチ(Perissa Beach)にあるFratzeskos Fish Tavernでランチをいただいたのですが、このタベルナは漁師さんがやっていて、その日の朝にとれた魚介を料理してくれるので、抜群においしかったです。その後、道中、クルーラ(Kouloura)とよばれるサントリーニ島独特のブドウの仕立て法(強風を避けるなどのために、樹を低く、枝をらせん状に巻いて、かご型に整える方法。)をみてから、17世紀から続くワイナリーが運営するワイン博物館を見学しました。ワイン博物館では、日本語の音声ガイドがあり、サントリーニ島のワインの歴史を人形などの展示で拝見できますし、見学後は、4種類のワインのテースティングを楽しめます。

サントリーニ島のイア城付近の夕陽。

暮れなずむイアの街並み。三日月がみえます。


イアのレストラン「Lotza」。


イアのレストラン「Lotza」は眺めが抜群。お薦めされたSaganakiなどをいただきました。
一緒に写っている白ワインは、サントリーニ島のエステート・アルギロス(ESTATE ARGYROS)の「アトランティス(Atlantis)」(品種はアシルティコ、アシリ、アイダニ)。


サントリーニ島のイアで泊まった洞窟ホテルのヴェランダからの眺め。
サントリーニ島のイアで泊まった洞窟ホテルは
ベッドルームが2つ、キッチン、リビングなどがあり、インテリアも素敵。
1日目の空港への出迎えと2日目のプライベートツアーは、ホテルに頼みました。

アクロティリ遺跡。

新先史期博物館。
説明に「
Linear A」と書いてあるので、調べてみたら、主にクレタ島で使われていた線文字Aが、アクロティリ遺跡からもみつかっているみたいです。

新先史期博物館
。素敵な壁画ですね。

ペリッサビーチ(Perissa Beach)にある「Fratzeskos Fish Tavern」。

Fratzeskos Fish Tavern」のカニのサラダとスープ。

Fratzeskos Fish Tavern」の魚料理。
素朴だけど新鮮なので絶品。量が多くても完食しました。

クルーラ(Kouloura)。強風などを避けるなどのために、樹を低く、枝をらせん状に巻いて、かご型に整えるサントリーニ島独特のブドウの仕立て方法。


Koutsgiannopoulos Wineryが運営するワイン博物館(Cave Wine Museum) 。


ワイン博物館でテースティングできたのは、白ワインのアシルティコ(Assyrtiko)、オレンジワインのアシルティコ、赤ワインのアンベローネ(Ambelone。品種はMandilariaMavrothiroMavrotragano)、デザートワインのカマリティス(Kamaritis)。


Koutsogiannopoulos Wineryで購入したのKamaritis(カマリティス)とヴィンサント (Vinsanto)。どちらも、サントリーニ島で伝統的につくられているデザートワインです。ヴィンサントは、主にアシルティコを主体に、アイダニやアシリといった品種がブレンドされ、「Vinsanto」とラベルに表記できるのは、ギリシャのサントリーニ島で造られる天日干しワインのみです。イタリアにも同じ名前の天日干しワインがありますが、サントリーニ島の方が古いそうで、イタリアのものは、「Vin Santo」「Vin Santo」のように間にスペースを入れて表記されるそうです。

サントリーニ島の空港で買ったサント・ワインズ(SANTO WINES)」の白ワイン「ニクテリ(Nykteri)」。「ニクテリ」は、「夜を徹して働く」という意味で、夜間に収穫し日の出前に圧搾する伝統的な製法を意味します。アシルティコ(Assyrtiko75%以上、残りはアシリ(Athiri)とアイダニ(Aidani)。

.  今回、西欧文明の源流である古代ギリシャ文明はもちろん、それより古いエーゲ文明のうちのミノア文明の遺跡が残るサントリーニ島や、ギリシャ正教の修道院があるメテオラなど、いろいろな時代のものをみられて、とてもよかったです。また、ギリシャには個性豊かなワインがたくさんあって、それとあうギリシャ料理とともに堪能できました。残念ながら、ペロポネソス半島やクレタ島、ミコノス島、ロドス島などには足を延ばせなかったので、できれば再訪したいです。もっとも、今回の旅行後に経由地だったドバイ空港が攻撃されたとの報道にが…。中東地域で被害にあわれたすべての方々に心よりお見舞い申し上げるとともに、早期の平和的な終結を望むばかりです。


最後におまけ。ギリシャ料理は大好きですが、歳のせいか日本食が恋しくなり…。ホテルの近くでみつけたのは、看板に「Japanese Sushi Yakisoba」「Korean Barbecue」、漢字で「韓国 日本 料理」と書いてあるお店。入店してメニューを拝見すると韓国料理寄りかなと…。お寿司と冷麺をいただきました。冷麺がおいしかった♪


韓国料理屋さんでいただいブタリ(Boutari)の「Moschofilero 2024」。モスコフィレロ(Moschofilero)は、主にギリシャのペロポネソス地方、特にアルカディア州のマンティニアで栽培される土着の白ブドウ品種です。