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2020年10月26日月曜日

法的三段論法と違憲の主張、法人税法34条2項「不相当に高額」とその委任を受けた令70条

1. 10月もあと数日。秋が深まってきました。
 ヨーロッパでは第2波が深刻なようです。日本では、これから冬を迎えますが、どうなっていくのでしょうか。いずれにしても、スッキリとした終息の見通しは、たたないと言わざるを得ません。今年に入ってから大きく価値観がかわり、すべてではないにせよ、それが定着していくように思われます。
 マスクをしていなくても気兼ねしなくてすむような日は、果たして、くるのでしょうか。

事務所近くの久屋大通公園がリニューアルして
芝生になりました。


芝生でくつろぐにはよい季節で
夜もきれいです。


 

2.法的三段論法と違憲の主張 

(1)  最近、なかなかブログを更新できていませんが、常日頃考えていることの一つを、アップしてみます。

(2) 大学院で教えていて気付いたことの一つに、法的三段論法を意識するというのがあります。
 これは、自ら振り返ると、あまり教えられた記憶がありません。もしかしたら、法学を勉強していると、自然と身につく側面があるのかもしれませんね。 

(3)  判決文を読むときでいえば、規範定立部分とあてはめ部分を意識することが大切です(木山泰嗣先生の『税務案例がよめるようになる』にもそのような記載があります。)。法的三段論法では、事実に法規範(条文)をあてはめて結論を導きます。でも法学の対象となるような事案では、条文をそのまま当該事実にあてはめて結論を得ることが出来ないので、解釈が必要になり、裁判所が規範を定立したりします。この規範を定立している部分が、まずは、重要です。もし、その後、同じような争点で訴訟に発展したとき、この規範により結論が導かれると予想されますからね。

(4)  著名な武富士事件を例にすると…。
 租税判例の多くは、納税者(原告X)が課税処分の取消を求めて争います。課税処分を取消してもらうためには、課税処分が違法であることが必要です。そして、課税処分が課税要件を欠いていると主張立証できれば、当該課税処分は違法であるといえるでしょう。
 武富士事件では、贈与税決定処分等の取消を求めたものです。
 Xは、贈与を受けた当時、香港に赴任していたものの、日本国内の滞在日数もそれなりにありました(香港約65.8%、国内約26.2%です。それだけでなく、この滞在日数は、公認会計士から贈与に関する具体的な提案を受け、租税回避目的で調整した結果でした。)。ところが、当時の相続税法では、受贈者が贈与を受けたときに、国内に「住所」を有することが、課税要件となっていました。そこで、贈与税決定処分等が取消されるか否かは、
Xの「住所」が日本にあるか否かによることとなったわけです。
 Xのように、香港と日本を行き来している者の「住所」は、どのように判断すればよいでしょうか。相続税法の条文は、「住所」と記載するのみで、その定義規定は用意されていませんでした。
 最高裁(平成23218日判決)は、「ここにいう住所とは、反対の解釈をすべき特段の事由はない以上、生活の本拠、すなわち、その者の生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心を指すものであり、一定の場所がある者の住所であるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である」と判示しています。このように、最高裁が、「住所」をどのように判断するか述べている部分が、規範を定立しているところです。最高裁が、「『住所』はこのように判断する」といってるのですから、もし、その後、「住所」が争点となる同種事案が生じれば、この規範に基づき、「住所」がどこにあるか判断されるのではないかという予想がたちます(武富士事件のような租税回避事案については、これを封じるための法改正がありましたが…)。
 規範定立部分に続く「これを本件についてみるに、前記事実関係等によれば、…」というところは、この規範に事実をあてはめている部分です。このあてはめ部分も、どういう事実だと、その規範にあてはめてどのような結論がでるのかということがわかりますから、勿論、重要です。

(5)  租税判例では、納税者から違憲の主張がでることもあります。
 例えば、このブログでもとりあげたことのある残波事件(第一審は東地判平成28422日)
 残波事件は、X社が、その役員4名に支給した役員報酬(役員給与)とその代表取締役を退任した者に支給した退職給与について、「不相当に高額な部分の金額」があるとしてなされた本件各更正処分等の取消を求めたものです。
 この事案において、
X社は、「本件各更正処分等は、憲法84条に反するものである」という主張もだしていました。
 前述のように、課税処分を取消してもらうためには、課税処分が違法であることが必要です。この点、もし、その処分に適用された大前提たる条文が憲法に違反していたら、当該条文は原則として無効となりますから、課税処分も違法といえるでしょう。
 私は、違憲の主張は、ゼロの割り算に似てるな…などと思ってしまいます(変ですかね…)。

(6)  ところで、法人税法342項の「不相当に高額」については、私が以前書いた論文「租税訴訟における規範的要件の要件事実 -法人税法1321項の不当性要件を中心に-」で指摘だけした疑問点(「税法学」58284頁脚注7)があります。長くなりますが、以下に、敷衍してみたいと思います。

(7) 残波事件で問題となった法人税法342項は、以下の通り、規定します(太字下線筆者)。

内国法人がその役員に対して支給する給与(…略…)の額のうち不相当に高額な部分の金額として政令で定める金額は、その内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上、損金の額に算入しない。


 「不相当に高額」といわれても、当該法人の給与が具体的にいくらを超えるとそうなるか、俄には、わかりませんね。

 「不相当に高額」は、講学上、不確定概念といわれています。

 昨年、私が上記論文で書いた同族会社行為計算否認規定(法人税法1321項)の「不当に」という要件も、不確定概念であるといわれています。
 不確定概念は、憲法84条の租税法律主義から導かれる課税要件明確主義に反しないかが問題となりますが、金子先生は、不確定概念を用いることは、ある程度は不可避であり、また必要であるとしていますね。
 もっとも、法人税法1321項と違って、法人税法342項は、「不相当に高額な部分の金額として政令で定める金額」としているように、「不相当に高額な部分の金額」をどのように判断するかについて、法人税法施行令第70条に委任しています。
 この点、会社法改正に伴う平成18年法人税法改正の前の事案ですが、丸中縫工事件の最高裁(平成9325日判決)は、「法人税法341項の規定の趣旨、目的及び法人税法施行令691号の規定内容に照らせば、法人税法341項所定の『不相当に高額な部分の金額』の概念が、不明確で漠然としているということはできない」と判示しています。
 

(7) それでは、現行の法人税法342項の委任を受けた法人税法施行令第70条はどのように規定しているのでしょうか。
 令70条1号イ(いわゆる実質基準)は以下のように規定します。

(過大な役員給与の額)

70条 法第34条第2項(役員給与の損金不算入)に規定する政令で定める金額は、次に掲げる金額の合計額とする。

一 次に掲げる金額のうちいずれか多い金額

イ 内国法人が各事業年度においてその役員に対して支給した給与(法第342項に規定する給与のうち、退職給与以外のものをいう。以下この号において同じ。)の額(第三号に掲げる金額に相当する金額を除く。)が、当該役員の職務の内容、その内国法人の収益及びその使用人に対する給与の支給の状況、その内国法人と同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する給与の支給の状況等に照らし、当該役員の職務に対する対価として相当であると認められる金額を超える場合におけるその超える部分の金額(その役員の数が二以上である場合には、これらの役員に係る当該超える部分の金額の合計額)

(以下、省略)


このように

法人税法
342項「不相当に高額な部分の金額として政令で定める金額」
   ↓
法人税法施行令第701イ「当該役員の職務に対する対価として相当であると認められる金額を超える場合」

と言い換えられています。

 このように、「不相当に高額な部分の金額」を「相当であると認められる金額を超える」と言い換えて規定したことには疑問が生じないわけでもありません(法人税法施行令第702の「その退職した役員に対する退職給与として相当であると認められる金額を超える場合におけるその超える部分の金額」も同じ議論になります)。
 というのも、「不相当に高額」というのは、「高額」であるだけでは足りず、「不相当に」「高額」である必要があるようにも、思えるからです。これって法律による委任の範囲を超えていないのでしょうか…?
 この点、丸中縫工事件の第一審(名古屋地判平成6615日)は、Xの法人税法341項は憲法84条の課税要件明確主義に反するという主張や合憲限定解釈が必要であるという主張をしりぞけた上で、「令691号に規定される『相当であると認められる金額を超える部分の金額』については、当該役員の職務の内容当該法人の収益及び使用人に対する給料の支給の状況同業種・類似規模の法人の役員報酬の支給の状況等に照らして定まる客観的相当額ある役員の役務の対価として相当と認められる金額は一定額に限られるものではないから、ここにいう額は、その性質上、相当と認められる金額中の最高額を意味することになる。)を超える部分の金額が、これに当たるというべきである」と判示しています。
 このように、相当と認められる金額中の最高額を超える金額は、不相当に高額な部分の金額であると解釈すれば、法律による委任の範囲を超えないでしょうかね…。
 Xの合憲限定解釈の主張は、「法341項の『不相当に高額な部分の金額』は『明白かつ著しく高額な金額』と解釈されるべきである」というものなのですが、「明白かつ著しく」とまではいいませんが、第一審裁判所が判示したように、相当と認められる範囲の最高額を超えると、すぐに、「不相当に高額」となってしまうのでしょうか。ここは日本語の問題、あるいは、社会通念によるのかもしれませんが、正直、疑問なしとはいえないように思います。
 ちなみに、処分行政庁(被告Y)は、「報酬が法人の役員の職務の内容等から見て対価として相当であると認められる金額を超える場合には、その超える部分が高額部分となるのであるが、不相当に高額であるか否かは、右規定に掲げられた諸々の事情等に照せば自ずから明らかとなるべきものである。…具体的には、通達回答方式によって抽出した類似法人の役員報酬支給状況の検討によって相当性の判断の基準となる具体的・客観的数値(平均値)を求めるとともに、当該法人における役員の職務の内容、当該法人の収益の状況及び使用人に対する給料の支給状況という事情の中に当該法人の固有のものとして特別に考慮すべき事情があるか否かを検討して右平均値を増減することによりなずべきである。」と主張していましたが、さすがに、第一審裁判所は、「特別事情がなければ平均値が相当な報酬額の上限であるという判断方法も採用することはできない」と判示していますね。

2018年11月25日日曜日

日弁連研修「会社法と税法~役員報酬について~」、秋の比叡山を訪ねて


1. 日弁連実務研修「会社法と税法~役員報酬について~」

 今月初旬、残波事件で有名な山下清兵衛弁護士による「会社法と税法~役員報酬について~」と題した日弁連ライブ実務研修がありました(同研修は、東京で行われたものですが、愛知県弁護士会にもライブ配信されるため、名古屋で受講できます。)
 残波事件については、このブログでも軽くとりあげたことがあります。
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2016/04/blog-post.html
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2014/11/blog-post.html
 山本清兵衛弁護士のお話をうかがうのは初めてではありませんが、今回は、弁護士会の研修において、弁護士に向けて、法人税法34についての強烈なメッセージを発しておられました。それは…
・同条は、「天下の悪法」である
・役員報酬の決定は私的自治の範囲にあり、課税庁は虚偽給与だけを否認すればよいはずである
・同条2項「不相当に高額な」というのは課税要件であるのに、政令に包括委任しているようにみえるが、これについて、憲法違反としている租税法学者は一人もいない
・同条1項各号の定める例外は、使い勝手が悪い。折角、予想外の収益をあげることができても、役員が多めのボーナスをとることができない。日本の会社経営者のやる気をそぐ
などなどです。
 また、第二残波事件とよばれる事案(訴訟までいたることなく満額是認通知をもらったそうです。)や、東地判平成291013日についても、触れられていました。
 賛否はともかく、折角、興味深い研修なのに、研修が終了した際に、会場をみまわしたところ、なんと受講者は私一人しか残っていませんでした。残念です。

2.(1) 先日、愛知県の文化財の会で、比叡山延暦寺と日吉大社をたずねました。

(2)  比叡山延暦寺では、国宝の根本中堂と重要文化財の廻廊について、平成28年度から10年をかけて実施される保存修理事業の最中です。
 現在の根本中堂と廻廊は、かの有名な織田信長の焼き討ちの後、天海大僧正(慈眼大師)が江戸幕府第3代将軍徳川家光公に再建を進言し、寛永19年(1642年)に完成したもの。前回の大規模保存修理は、昭和29年に行われたそうですから、今から約60年前。屋根の全面葺き替え(根本中堂は銅板葺き、廻廊はとち葺き)や、柱・床組み等の塗り替え、保存修理が行われます。
 廻廊の屋根に用いられているとち葺きでは、厚さ
2.4cm、長さ30cmの板が少しずらして葺かれているのですが、「とち」ではなく、「サワラ」が使用されているそうです。
廻廊のとち葺き。
近くで見ると痛んでいるのがわかります。

上からみた廻廊。
普段ではみられないアングルですね。

 銅板葺きが用いられている根本中堂の屋根には、なんと、
14,000枚もの銅板が使用されているそうです。再建当初は、とち葺きだったとのことで、約100年後の葺き替え時でさえ、とち葺きの材料を調達するのは難しかったのかもしれません。見学者の一人がどのくらいの年数で緑青が生ずるのかと質問すると、「最近の銅は緑青が生じにくい」との意外な回答がありました。

根本中堂の銅板葺き。
はがれそうになっている箇所があります。

 塗装については、「丹塗(たんぬり)」と「ちゃん塗」の違いの説明があり、簡単にいうと、前者は水性、後者は油性で、雨露がかかるところは後者になっているようです。

丹塗りの部分。

ちゃん塗りの部分。
金具を外したところで元の色がわかります。

 修理事業の様子は、根本中堂の周りに設置された修学ステージから見学することができます。修理中、外観をみられないのは残念ですが、修学ステージは6階まであり、屋根を真横からみることができますので、一見の価値があると思います。
根本中堂の外観。
紅葉がきれいでした。

 根本中堂の中には、ご本尊の薬師瑠璃光如来(秘仏)、その宝前には「不滅の法灯」があります。ご案内いただいた僧侶のお話では、「延暦寺でなにか一つあげるとすれば不滅の法灯とおこたえしています。」とのこと。天台宗を開かれた伝教大師最澄の「一隅(いちぐう)を照らす」にも通じ、約1200年前から消えていないことが大事なのではなく、光を照らし続けていることに意味があるとおっしゃいます。
 延暦寺にお参りするのは、3度目です。最初は、小学生の頃の家族旅行で、比叡山国際観光ホテル(今はないようです。)に宿泊し、夜景がとてもきれいだった記憶です。2度目は、中学生の修学旅行。なので、落ち着いてお参りしたのは、今回が初めてだといえます。
 伝教大師最澄と弘法大師空海。平安仏教の両巨頭です。両者は、同じ頃、遣唐使の一員として唐に渡り、帰国後、しばらくは親交があったもののその後それは絶たれたといいます。空海については、国宝展でその書を目にしたり、あるいは、今年、偶々、夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を読んで、空海がどのように唐に渡り密教を学んだのかについて思いを馳せたりと、見聞きすることは多いです。また、以前、高野山の宿坊に泊まり、感銘を受けたことがあります。最澄については、学校で学んだ以上の知識はありません。もっと知りたいなと素直に思いました。
 

(3) 日吉大社は、全国3800余の日吉、日枝、山王神社の総本宮であり、今年、西本宮鎮座1350年を迎えるとのことです。
 宮司さんによれば、元々、神代より比叡山(八王子山)にいらっしゃる大山昨神(おおやまくいのかみ)を麓にお迎えして創祀されたそうですが、天智天皇が飛鳥から近江大津宮へ遷都した翌年である天智天皇7年(668年)に大和王朝の守護神であった大己貴神(おおなむちのかみ。大国主神の別名もある国造りの神様。)を大和国三輪山より勧請して西本宮にお祀りすることになったため、大山昨神(おおやまくいのかみ)は東本宮にてお祀りすることになったとのこと。当時の中央政権の神様をおよびしたからには、それに従うことになった地方政権は、お山がバックとなる麓のよい場所を譲らねばならなかったということでしょうか。
 日吉大社で祀られている神様は日吉大神と総称されるそうですが、伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建立した後は天台宗の護法神として崇敬されたそうで、中国の天台山の神様に因んで、山王権現とも呼ばれるそうです。日吉大社は、やはり織田信長の焼き討ちで灰燼に帰しましたが、日吉造で再建された西本宮本殿、東本宮本殿は、ともに、国宝に指定されています。日吉造(ひえづくり、聖帝造り(しょうたいづくり)ともいう。)とは、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面の三方に廂がめぐらされた形をしており、全国でも日吉大社にのみ現存する様式だそうです。また、神仏混交であったため、床下には下殿(げでん)と呼ばれるスペースがあり、それぞれ、釈迦如来などのご本尊が祀られていたというのも注目すべき点でしょうか。西本宮で正式参拝した後、下殿にいれていただきましたが、明治以降の神仏分離により、現在では、神式の祭壇となっていました。

日吉大社の西本宮。
柿がなっていました。
「神猿(まさる)」が好んで食べることから
「猿柿」とよばれているそうです。

宮司さんがいらっしゃるところに
下段への入口があります。
勿論、勝手には入れません。
今回はいけませんでしたが
山の中腹には、日吉大社の奥宮が
みえています。
 

2016年4月30日土曜日

残波事件の第一審判決(東地判平成28年4月22日)-The Tokyo District Decision dated April 22, 2016- & 安土城をたずねて-Azuchi Castle Ruins -


1.残波事件の第一審判決(東地判平成28年4月22日)について

(1) 以前、このブログで、泡盛「残波」蔵元である酒造会社が、役員4人に支給した報酬計19億4000万円(4年間の基本報酬計12億7000万円と、退職慰労金6億7000万円)のうち6億円について、沖縄国税事務所に「不相当に高額」と判断されたため、その処分を不服として、東京地方裁判所で争っているという事案について触れたことがありました。
http://www.hisaya-avenue.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
沖縄国税事務所は、沖縄県と熊本国税局管内(熊本、大分、宮崎、鹿児島)で、売上が同社の半分~2倍の酒造会社約30社を抽出し(倍半基準)、役員の基本報酬を比較したとのこと。

(2) 先日、毎日新聞のネットニュースで、東京地裁(東地判平成28年4月22日)が、上記約19億円余の役員報酬のうち、創業者に対する約6億7000万円の退職慰労金は「不相当に高額」とはいえないとして、約5000万円分の課税処分を取り消しましたが、給与については30社の最高額よりも高いから「不相当に高額」である等と判示した旨の記事がでていました。

(3) この事案については、かねてより興味のある論点について争われている上、昨年、租税訴訟学会名古屋支部の研修会で、納税者の代理人をつとめられている山下清兵衛弁護士のお話をうかがったことがあり、大変注目していました。
 以前のブログでも触れましたが、平成18年5月に会社法が施行される前には取締役の賞与は利益処分とされていたところ、裁判例(名古屋地方裁判所平成6615日判決)は、過大役員報酬不算入制度(「不相当に高額」制度)の趣旨について、隠れた利益処分に対処するためである等としていました。ところが、会社法施行により、取締役の報酬、賞与等は「職務執行の対価として株式会社から受ける財産上の利益」と整理され、会計基準において、賞与も費用として処理されることとなったにもかかわらず、上記制度は存置されたのです。
 山下弁護士は、上記研修会において、「役員給与は、利益処分ではなく、費用そのものであるから、職務対価性があれば否認することはできないはず。」とされた上で、法人税法342項の趣旨について、「実働のない役員給与は否認しようとするもの」との持論を披露されていました。つまり、同条1項の改正後、「不相当に高額」か否かは、「法人利益への貢献度」(職務対価性)のみで判定されるべきであるとの見解です。
 確かに、立法事実が変遷しているのですから、同制度の趣旨も変容してしかるべきとも思われます。ただ、政令レベルにはなりますが、「当該役員の職務の内容、その内国法人の収益及びその使用人に対する給与の支給の状況、その内国法人と同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する給与の支給の状況等に照らし」と、相当性判断の要素(法人税法施行令701項イ。退職給与以外の給与に係るいわゆる実質基準)が示されているのをどのように解釈すべきか…。
 ちなみに、退職給与についても、「当該役員のその内国法人の業務に従事した期間、その退職の事情、その内国法人と同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する退職給与の支給の状況等に照らし」と、法人税法施行令701項によって判断要素が示されています。

(4) 事案の性質上、判決文は非開示とのこと。残念です。

The Tokyo District Court in its decision dated April 22, 2016, repealed an order by tax authorities for an Awamori "Zampa" brewing company to pay about 50 million yen in tax. The Court decided that the amount of retirement benefits for a founder executive was not "unreasonably high" as provided for in Article 34, Paragraph 2 of Corporation Tax Act.  Under the article, if the executive compensation is "unreasonably high", the portion deemed "unreasonably high" should not be included in the deductible expenses.
 

2.安土城をたずねて

(1) 滋賀県近江八幡市安土町にある「安土城跡」等をたずねました。

(2)「安土城跡」
 安土城は、言わずもがな、織田信長により築城されたお城。「安土桃山時代」と、戦国末期をあらわすエポックの名称(の一部)にもなっています。
 信長が安土城の築城に着手したのは、長篠の戦いに勝利した翌年、天正4年(1576年)、その3年後の天正7年天主完成し、信長は、岐阜城から安土城に居を移します。そして、わずか3年後の天正10年、本能寺の変により信長がこの世を去り、信長を討った明智光秀も三日天下で秀吉に敗れると、安土城は、何ものかの手により火が放たれ、焼失してしまします。そして、天正12年、小牧長久手の戦いで織田信雄が秀吉に屈すると、安土城は廃城となり、以後は、信長が安土城内に建てた「摠見寺」が、その菩提を弔いながら、現在に至るまで、城跡を守り続けていたといいます(城跡の案内板より)。
 「安土城跡」に足を踏み入れると、まず、大手道に圧倒されます。
 大手道は、直線部分、横道・七曲状部分、主郭外周路部分と、3つに分かれるそうですが、最初の直線部分は、大手門から山腹まで、約180メートルにわあって直線的に延びる部分の道幅約6メートルあり、道の両脇には、ひな壇状に、家臣らの屋敷が配されています。

 今まで、いくつか城址を訪れたことがありますが、まるで神社かお寺の参道のように、まっすぐで、広くて、長い階段で迎えられたことはなかったように思います。安土山の麓からみると、この立派な大手道が続き、その先には煌びやかな5階建ての天主がそびえ、まさに、「見せる城」だったのでしょう。とはいえ、わずか3年信長の権勢を体現した安土城は、当時、いかほどの人々の目に触れたのでしょうか。でも、安土城を目にしたそう多くはないと思われる人々の中には、宣教師ルイス・フロイスがおり、ヨーロッパにその様を伝えたというのですから、不思議な気がします。
 安土城というと、穴太衆による野面積の石垣が有名ですが、その石垣が思ったよりもきれいによく残っているのに驚きました。
 大手道をのぼりはじめてすぐ右側に「伝前田利家邸跡」、もう少し上ると、左側に「伝羽柴秀吉邸跡」等と続き、往時の姿に、想像が膨らんでいきます。
 黒金門跡を通り、高石垣をめぐりながら、本丸跡(千畳敷と呼ばれる場所で、清涼殿に酷似した建物があったとされます。)に辿り着き、天主跡まで頑張ってのぼると(ここまでのぼるのは、大変でないとは言えない…笑)、約20メートル四方の平地に礎石がきれいに並んでいて、また、びっくり…。天主は、地下1階、地上6階(5層7階建)だったそうで、礎石が見える平地は、地下1階部分、天主台は、約2倍の面積だったといいます。
 天主跡から二の丸跡を経て下っていくと、「摠見寺」跡へ。「摠見寺」は、本能寺の変の後の天主炎上による類焼を免れ、江戸時代までは本堂も残っていたそうです(現在は、天主に向かって大手道の右脇に移っています)。「摠見寺」跡は、琵琶湖(西の湖?)がみおろせ、素晴らしい眺めが堪能できるとともに、安土城創建当時の遺構である三重塔、さらに下ると二王門(楼門)にも出会える…。恥ずかしながら、このような遺構があることを知らなかったので、感激してしまいました(笑)。
 「安土城城跡」は、現在、「摠見寺」の境内となっていることもあってか、全体的に、手が入りすぎている感がなく(勿論、修復はされているそうです…)、とてもよかったです。


   
入山前に出会う
「安土城址」の碑
(a stone stela)
安土城大手周辺にある
石塁 (the stone forts)。
黒いパラソルの後ろに、
大手道がみえます。

大手道
(the stone steps leading
to the Tenshu - the Donjon)。
左手が伝秀吉邸跡。
(Left side:the supposed site of
the residence of Hideyoshi Hashiba )
黒金門跡
(the Kurogane Gate)。
本能寺の変の後の
天主焼失時に激しく燃えたらしく
焼けた金箔瓦などもみつかったとのこと。
       
本丸跡から天主跡へ至る道。
(the stone steps from the Honmaru
to the Tenshu - the Donjon)

                  
天主跡
(the ruins of the Tenshu - the Donjon )。
ここが、地下1階部分らしい。
     
「摠見寺」跡から湖をのぞむ。
(the ruins of the Soken-ji Temple)

三重塔
(the three storied pagoda)
二王門(楼門)
(the Niou Gate)
      
金箔の瓦
(the pieces of the gilt roof tiles)

 
(3)「安土城天主信長の館」、「安土城城郭資料館」
安土城天主信長の館」(Azuchi Castle Museum, "the House of Nobunaga" )は、平成4年に開催されたスペインセビリア万国博覧会のために復元された安土城天主の最上階部分、黄金の5階と八角形の6階が、移設、展示しています。
 復元された部分は、安土城における織田信長の居城空間とされ、現代の職人により豪華絢爛に復元されていました。意外に(?)よかったのが、宣教師ルイス・フロイスが安土城を案内される様子を描いたVR(バーチャルリアリティ)のショートムービー(こちらでダイジェスト版がみられます↓)。
VR Azuchi Castle Trailer (↓)
http://www.zc.ztv.ne.jp/bungei/nobu/vr/index.html
 安土城跡を訪ねた直後にみると、大手道はこんな風だったのか、天主をこんな風にみあげていたのか、天主の中は…、天主最上部からの眺めは…と、先ほど、遺構を歩いた際に思い描いた建物や往来の様子、眺めなどが具体化されて、感激しきりでした…(笑)
安土城郭資料館」」(Azuchi Castle Museum)には、20分の1のスケールで再現された安土城全体の模型があります。
 安土城の低層階は、なんと、地階から地上2階まで中央部分が吹き抜けになっており、3階部分には吹き抜け部分にかかる渡り廊下があったそうで、(異説もあるようです。)、精巧に再現された模型でそういった様子をみられる点は、よかったです。また、約90万円(?)もする甲冑(黒いビロードのマント付き)を体験できるので、お好きな方にはお薦めです。
安土城郭資料館
(Azuchi Castle Museum)
安土城の1/20の模型。
(the model of the Donjon of Azuchi Castle - Scale:1/20 )
吹き抜け部分がよくわかります。


(4)ランチ
 ちなみに、安土町でのランチは、プティ・キャナル(petit CANAL)でいただきました。
       
プティ・キャナル は
琵琶湖沿いのおしゃれなカフェ。
ハンバーグかパスタに
サラダブッフェがついています。
(Cafe petit CANAL is located
on the shores of Lake Biwa)
 
 

(5)伊勢安土桃山村の安土城
 ところかわって、三重県の伊勢・志摩にある伊勢安土桃山文化村には、なんと、原寸大の安土城があります!
 安土城址を訪れる前に遊びに行ったのですが、伊勢安土桃山村の施設の中では、ダントツによかったです(笑)。
 伊勢安土桃山村は、平成6年に開業したそうですが、なんと、安土城の総工費は、70億円もしたとのこと!!!
 バブルの頃とはいえ、すごすぎます(汗)。


三重県、伊勢安土桃山文化村の
原寸大で再現された安土城。
(the full-scale rebuilt Azuchi Castle
in Ise Azuchi Momoyama Culture Village,
in Mie Preffecture)
丘の上に建っているので
安土桃山村の入り口近辺から
バスがでてます。
安土城ツアーのガイドさんは
山田奉行所の岡っ引き見習いであり
更に、南京玉すだれの実演もされていました!

   I visited Azuchi Castle Ruins during the Golden Week Holidays.
    Azuchi castle was built by Nobunaga Oda from 1596 until 1579 on Mt. Azuchi on the eastern shores of Lake Biwa.
    The Donjon of Azuchi Castle, with five layers and seven stories, was considered as the first masterpiece of Japanese architecture introduced to Europe.  It contained an open ceiling space, and it's fifth story was octagonal.
    However, the Donjon burned down in 1982 just after Nobunaga was attacked and killed by Mitsuhide Akechi at Hono-ji Temple.  After that, the Soken-ji Temple has preserved the castle site until today.
   The stone walls and steps remain in a rather good condition, and I was especially impressed by the straight and relatively wide stone stairs to the Tenshu (the donjon), which I considered quite rare among Japanese castles.