2026年8月31日月曜日

租税訴訟学会の令和8年度研修・研究大会における宇賀克也名誉教授の講演

 

1. 今月(8月)は今日で終わりですが、千葉豪雨に続いて、富山、石川、福井でも豪雨が発生しました。被災された地域の方々、被害者の方々に、心よりお見舞い申し上げます。

2. 一昨日(2026829日)、租税訴訟学会の令和8年度研修・研究大会における、元最高裁判所判事の宇賀克也名誉教授の講演を、オンラインで拝聴する機会がありました。
 宇賀克也名誉教授は、最高裁判所判事として、このブログでもとりあげたことのあるマンション評価事件の上告審判決(最判令和4419日民集764411頁)にも関与されており、また、先日出版された『管見最高裁判所』も話題になっていたので、ご講演をとても楽しみにしておりました。

(1)  第1部は、「最高裁で考えたこと(その1) 最高裁で審理した行政事件」と題され、マンション評価事件のほか、タキゲン事件(最判令和2324集民26363)などの事案の概要や判決文の紹介を中心に進み、休憩後には、小法廷の壁、大法廷の壁などにも言及されました。「小法廷の壁」を超えられなかった例として、法人税青色申告承認取消事件などをあげられ、立法論として、小法廷で、2名以上または1名でも、大法廷回付に賛成すれば、これを可能としてもよいのではないかという提案をされていました。

(2) 第2部は、「行政における適正手続保障」と題され、特に、反対意見を書かれた法人税青色申告承認取消事件(最判令和657日判タ152366頁)を掘り下げて説明してくださいました。
 まず、多数意見は、「このことは、最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁(筆者注:成田新法事件)の趣旨に徴して明らかである」と判示するのみで、ほとんど全く理由を述べていないに等しい、ということで、自らの反対意見は、原審の判断への批判となったと説明された上で、原審が、適用除外が認められている理由がいずれの点も合理的理由たり得ないことについて、説明されました。たとえば、国税不服審判所の審査請求があるから事前手続はおよそ不要ということにはならない、青色申告承認取消処分が大量反復的に行われるという理解は、我が国の実際の税務行政の姿から乖離している、聴聞に相当する手続は、地方自治体のそれをみてもだいたい1回で終わるなど、迅速性の要請に照らして無理を生じさせるとまでは思えない、むしろ、我が国の税務行政を過小評価することになるなどと指摘されていました。また、成田新法事件は、新東京国際空港の開港を実力で阻止することを試みる集団が設置した工作物使用禁止命令に係る事前手続の要否が問題になった事案で、青色信仰の承認の取り消しが問題となった本件とは全く事案を異にするとおっしゃっていたことも印象に残りました。
 更に、同事件は、「上告理由のうち憲法31条違反をいう部分」のみ上告受理されており、その余は、これに先立つ最決令和6327日で、「裁判官宇賀克也の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する」として、不受理決定となっています。
 これについて、宇賀克也名誉教授は、最高裁判事に就任した当時、上告不受理決定に反対する判事がいても、多数決で不受理決定となった場合、「全員一致で」と記載される運用となっていたところ、これを変更するように事務局?とかけあって、20215月か6月頃から、反対意見がある場合にその旨記載されるようになったのだと説明されていました。もっとも、反対意見を書くことはできない運用を変更することはできなかったそうです。
 ということで、宇賀克也名誉教授は、上告不受理決定に反対した理由、すなわち、本件処分が理由付記の不備により違法であるかという争点についても上告受理決定をすべきであると考える理由について、説明してくださいました。それは、青色申告承認取消については、事務運営指針があり、本件は、事務運営指針「4」記載の「2事業年度連続してその提出期限内に法第74条第1項の規定による申告書の提出がない場合」にあたるのですが、事務運営指針「5」では、「4に該当する場合においても、役員その他相当の権限を有する地位に就いている者が知り得なかったこともやむを得ないと認められるなどその事実の発生について特別な事情があり、かつ、再発防止のための監査体制を強化する等今後の適正な記帳及び申告が期待できるなど、取消しをしないことが相当と認められるもの」には「所轄国税局長と協議の上その事案に応じた処理を行うものとする」とされているから、これにあたらないという理由も付記すべきであるのに、これが付記されていなかったので、不受理決定に反対したとのことです。

(3)  質疑応答では、マンション評価事件上告審判決が「租税法上の一般原則としての平等原則は、租税法の適用に関し、同様の状況にあるものは同様に取り扱われることを要求するものと解される。」と判示したことについて、①憲法14条には言及されていないが、「租税法上の一般原則としての平等原則」というのは、租税法に内在する条理のようなものか?②行政法ではなく、「租税法上の」としているのは、租税法に固有の考慮、たとえば、租税法律主義の考慮もこめられているのか?という質問が宇賀名誉教授に対しありました。
 宇賀名誉教授は、①行政法上の一般原則には、比例原則や平等原則があるが、比例原則は一般的に憲法13条、平等原則は憲法14条から導くことができ、憲法上の原義を排除するものではない。あえて憲法に言及しなくても、憲法から導かれることを前提とした判示である、②行政法の原則と言っても、租税法律主義の適用はあるので問題ないが、租税法については、憲法で租税法律主義が明記されており、これが問題になることもあるので、それを念頭において、ああいう表現になった、と回答されていました。
 ここは個人的に関心があるところだったので、大変興味深く拝聴しました。というのも、同判決の判解では、「ここにいう『租税法上の一般原則としての平等原則』は行政法の一般原則…の1つとされる平等原則と同義であろう。本件においては、立法の内容ではなく法令の適用における公平…が問題となっており、憲法論に立ち入る必要がないことから、本判決は、法律レベルの平等原則を問題としているものと思われる。」と記載されており、その意味するところが、必ずしも、判然としないからです。判解は、脚注で宇賀名誉教授の『行政法概説Ⅰ(第8版)』6771頁を参照引用しており、同67頁には、「行政機関が合理的理由なく国民を不平等に取り扱ってはならないことは当然であり、平等原則は日本国憲法14条により基礎づけることも可能であるが…、法律による行政の原理と平等原則とが抵触する場合にいずれを優先させるかは困難な解釈問題である。」とし、「この点が問題になった」裁判例として、スコッチライト事件(東高判昭和44930日高民集225682頁)があげられています。
 この点については、とても気になるところなので、また、とりあげたいと思います。

2026年8月8日土曜日

法人税法132条の2の適用の可否が争われた2つの事案(大地判令和8年5月21日と東地判令和8年6月18日)

1.本年(2026年)728日、熊本県を震源とする最大震度7の大きな地震が発生しました。その後も、余震と厳しい暑さが続いています。被災された地域の方々、被害者の方々に、心よりお見舞い申し上げます。

 2. 法人税法132条の2の適用の可否が争われた2つの事案大地判令和8521東地判令和8618

(1) 事業の承継先欠損金の引継ぎ先が分かれる完全支配関係の合併について法人税法132条の2の適用の可否が争われた2つの事案で、同条の適用を認める大地判令和8521と、同条の適用を否定する東地判令和8618という対照的な判断がでました。

(2) 法人税法132条の2については、ヤフー事件について、私のブログでユニバーサル事件(こちらは法人税法132の事案です)についてとりあげた際に触れたことがあったと思います。
 132条、132条の2の規定においては、どちらも、「法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められるものがあるとき」には、「税務署長の認めるところにより、その法人に係る法人税の課税標準若しくは欠損金額又は法人税の額計算することができる」とされています(前者は、同族会社等の行為計算否認規定、後者は、組織再編成に係る行為計算否認規定とよばれています。)。つまり、単に法人税の負担を減少させるのは「節税」ですから問題がないはずですが、「不当に」法人税の負担を減少させたと判断されると、税務署長に「伝家の宝刀」ともよばれる極めて強力な否認権限を認めることになるのです。この点、誰しも法が認める範囲内で税金を減らしたいと思うのは当然であり、それ自体は経済的に合理的で、責められることではないはずですが、どうしたら、「不当に」税金を減らしたものと判断されて否認されることになるのでしょうか。「不当に」というのは明らかに評価を含むわけですから(いくら減らしたら不当といわれるかはっきりしない)、そもそも、このような不確定概念をもって課税要件とすることについて、憲法84条の定める租税法律主義の一内容である課税要件明確主義に反しないかが問題となるところです。しかし、金子宏教授は、「租税行政庁に自由裁量を認めるものではな」く、裁判所の審査に服することなどから、「その必要性と合理性が認められる限り…略…課税要件明確主義に反するものではない」としています。
 このように、究極的には、「不当」かという要件(不当性要件)の有無は、裁判所が判断することになるわけですが、不当性要件は、要件事実論におけるいわゆる規範的要件であり、立法時点において事後審査する裁判所の法規拘束がある意味緩和される一方、結局、裁判所は、積み重ねられた事実を総合的に判断して規範的に評価するために、自ら判断枠組みを示す必要に迫られることが多いといえるのではないでしょうか。

(3) それでは、ヤフー事件上告審判決(最判平成28229日民集702242頁)は、「不当」性要件該当性の判断枠組みについて、どのように示したのでしょうか。同判決は、「同条にいう『法人税の負担を不当に減少させる結果となると認められるもの』とは,法人の行為又は計算が組織再編成に関する税制(以下『組織再編税制』という。)に係る各規定を租税回避の手段として濫用することにより法人税の負担を減少させるものであることをいうと解すべきであり、その濫用の有無の判断に当たっては、①当該法人の行為又は計算が,通常は想定されない組織再編成の手順や方法に基づいたり、実態とは乖離した形式を作出したりするなど、不自然なものであるかどうか②税負担の減少以外にそのような行為又は計算を行うことの合理的な理由となる事業目的その他の事由が存在するかどうか等の事情考慮した上で、当該行為又は計算が、組織再編成を利用して税負担を減少させることを意図したものであって,組織再編税制に係る各規定の本来の趣旨及び目的から逸脱する態様でその適用を受けるもの又は免れるものと認められるか否かという観点から判断するのが相当である。」と判示しました(制度濫用基準と称されています。)。
 実は、ヤフー事件上告審判決の最高裁判所判例解説を執筆した最高裁判所調査官の一人が、今回、大地判令和8521の裁判長をつとめた徳地淳判事です。ヤフー事件の最高裁判所判例解説では、上記のとおり、「事情」や「観点」がでてくる複雑な判断枠組みである制度濫用基準について解説されており、経済合理性基準をとる132条の枝番である132条の2について、「経済合理性基準をそのまま用いることは、組織再編成という事柄の性質上、必ずしも適切ではない」としつつ、①、②の2つの要素について、「特に重要な考慮事情」とし、その実質において経済合理性基準に係る通説的見解の考え方を取り込んだものと評価できるなどとしています。

(4) 132条の2については、ヤフー事件(及びIDCF事件)の後、TPR事件(東地判令和元年627日訟月665521頁が原告納税者の請求棄却、東高判令和元年1211日訟月665593頁も控訴棄却、最決令和3115日税資271号順号13508で上告不受理・棄却により確定)、PGM事件(東地判令和6927日金判17159頁が原告納税者の請求認容、東高判令和7723日判例秘書L08020497は控訴棄却)に続いて、今般、大地判令和8521東地判令和8618がでたことになります。
 この2つの判決の比較については、佐藤修二教授らが執筆されたT&Amaster1131号(2026720日)4頁以下の記事が大変参考になります。
 ちなみに、ヤフー事件は、5年超の特定資本関係がない適格合併の事案でしたが、その後の事例は、いずれも特定資本関係5年超の適格合併の事案であることから、「欠損金の引継ぎを認める法572趣旨・目的と、その逸脱の有無が、より直接的に問われる」と指摘されています。

(5) 大地判令和8521の判決文については、柳谷憲司税理士が情報公開請求の上、インターネット上で公開されているので、ざっと拝見しました。なお、同判決については、日経新聞が、某メガバンクがスキームを助言し、訴訟にも補助参加したと報道しています(SNSにおいて、元裁判官による「銀行が助言通りしたのに、『脱税』と認定される」とのメッセージも目にしましたが、「脱税」とまでいうのは言い過ぎなように思います。)。
 同判決の争点は、法人税法371項の寄付金該当性などもありますが、「本件合併による本件未処理欠損金額の引継ぎについて、法人税法132条の2の適用による否認をすることができるか否か」という争点に関する判断において、ヤフー事件(及びIDCF事件)参照引用しつつ、不当性要件判断枠組について、制度濫用基準を採用しています。その上で、「支配関係5年超要件を満たしている適格合併に法人税法132条の2を適用することができるか否かについて」を検討し、「法人税法132条の2の文言や趣旨を踏まえれば、支配関係5年超要件を満たすため同法573項が適用されない場合においても、個別事案の具体的事情の下において、同条2項の規定を租税回避の手段として濫用することにより法人税法の負担を減少させていると認められる場合には、税務署長は、同法132条の2を適用し、未処理欠損金の引継ぎを否認することができる」としました。そして、「例えば、①多額の未処理欠損金額を有する子会社をいったん親会社に適格合併し、その後直ちに当該子会社の事業を分割して切り出し、未処理欠損金額だけを親会社に残すような事例…②上記のような子会社の事業を新会社に分割して切り出し、未処理欠損金額だけが残された旧会社を親会社に適格合併するような事例…については、子会社の未処理欠損金額を事業から切り離して親会社に付け替えるための組織再編成であり、子会社の事業が親会社に移転して継続するものとはいえないから、法人税法572項の趣旨及び目的に反することになるものと解される」と判示します。そして、あてはめをして、「以上を総合すると、法人税法572項の適格合併における未処理欠損金額の引継ぎは、事業年度間の所得金額と損失金額を平準化するという欠損金の繰越控除制度の趣旨及び目的に照らし、被合併法人の事業が適格合併による合併法人に移転し、合併法人において引き続き営まれること(合併による事業の移転及び継続)を想定しているものと解されるところ、本件組織再編成は形式的には同項の未処理欠損金額御引継ぎの要件を満たすものの、同項において想定されている事業の移転及び継続という実質を備えているとはいえず実態とは乖離した不自然なものと言うべきであり、また、本件組織再編成は、本件事業の利益では控除しきれない本件未処理欠損金額を本件事業から切り離し、これを原告に付け替えることにより、現行の營負担を減少させることを主たる目的とするものであって、税負担の減少以外にそのような行為又は計算を行うことの合理的な理由となる事業目的その他の事由が存在したとはいえない。そうすると、本件組織再編成は、組織再編成を利用して税負担を減少させることを意図したものであって、法人税法572項を租税回避の手段としてその適用を受けるものであると認められる。したがって、本件組織再編成は、組織再編成に係る法人税法572項を租税回避の手段として濫用することにより法人税法の負担を減少させるものといえ、同法132条の2にいう『法人税税の負担を不当に減少させる結果となると認められるもの』に当たる。」と結論づけました。

(6) 東地判令和8618日の判決文は、残念ながら、まだ入手できていません(私が使っている判例データベースにはまだ登載されていません)。
 ただ、上述のT&A masterの記事において佐藤修二教授が「事業と欠損金を結びつけ、完全支配関係の内部での欠損金の付け替えを問題視する根拠はどこにあるのでしょうか」と指摘し、安田雄飛弁護士が「企業グループ一体性にかんがみれば、たとえば、100%の資本関係で結ばれた企業グループの中で、グループ外から欠損金を有する法人を買ってきたというような『欠損金の売買』の事例はともかく、グループ内で生じた欠損金を、そのグループ内で使用することには、問題はないように思うのです。」と述べていることに、強い関心を覚えてます。
 そもそも、冒頭にも触れましたが、不当性要件の判断においては、積み重ねられた事実を総合的に判断して規範的に評価するために、裁判官の価値観が反映されやすいとも思えます。
 東地判令和8618日は、事案が異なるとはいえ、大地判令和8521日と異なる判断をしているようであり、入手できたらもう少しきちんと検討したいところです。

 3. 最後に…

 メ~テレ(名古屋テレビ放送株式会社)さんより取材を受け、以下の2つのオンラインニュースが配信されました。
2026523日付「金銭で解決する『遺留分侵害額請求』様々な感情が交錯 財産調査に手間取り時効期間を過ぎることも」(記事保持期間は13カ月)。
2026628日付「土地の境界(筆界) 特定する必要はなぜ出てくる? 歴史をひもとくと明らかに」(記事保持期間は13カ月)。


2026年5月6日水曜日

GWなので、少し長めに ~夫婦財産契約について~

 

1.GWも今日で終わりです。今年のGWは日帰りできる範囲でお城をみにいった以外は、まったりと過ごし、懸案だったカーテンの洗濯および交換など普段疎かになっている家事にもいそしみました。明日から日常に戻るのが怖いです(涙)。

2.夫婦財産契約について

(1) 先日、同業者との食事会で、夫婦財産契約が話題にのぼりました。実は、夫婦財産契約については、ここ10年ほど、租税法の基礎について教える授業の最終回でいつもとりあげていて、気になっている(笑)ので、GWですし、少し長めに書いてみます。
 夫婦財産契約とか、婚前契約(Prenuptial Agreement、“プリナップ”)とか、世間一般ではあまり馴染みがないかもしれませんが、もしかしたら、某日本人メジャーリーガーが結婚に際して結んだというニュースを目にされたことがあるかもしれません。また、アメリカのドラマででてきたりもするので、どちらかというとアメリカのお金持ちが結ぶイメージがあるでしょうか。
 実は、日本の民法にも夫婦財産契約の規定があります。しかも、意外なことに、民法が定める法定財産制の方が、夫婦財産契約がない場合の「補充的なもの」(『新注釈民法(17)』)として位置づけられています(民法755条参照)。そして、このような位置づけは、妻が無能力とされ夫が自己の財産とともに妻の財産についても管理権を持っていた明治民法以来のもの(明治民法793条参照)なのです。
 ちなみに、現行民法は、法定財産制について、同7621項が「夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。」と規定し、夫婦別産制を採用しています。

(2)  我が国の夫婦財産契約の特徴は、その締結時期を婚姻届出前に限定しており(民法755条)、しかも、婚姻届出後の変更が原則として認められていないこと(同758条)、また、対抗要件として登記が要求されていること(同756条)でしょうか。登記?と思われる方もいるかもしれませんが、「外国法人の登記及び夫婦財産契約の登記に関する法律」や「夫婦財産契約登記規則」というのがあって、夫婦財産契約登記簿というものが存在します。
 もっとも、民法が定める夫婦財産契約の規定は極めて簡素であり、どのような内容の合意が可能で、どのような効果が生ずるかが明確とはいえず、夫婦財産契約はその創設以来利用されることが“稀”といっていいレベルです。内田貴先生は、「もともとヨーロッパからの輸入品で…日本では、そもそもそのような習慣がなかったのと手続きの面倒さもあって、ほとんど利用されていない。」(『民法Ⅳ』)としています。前掲新注釈民法によれば、明治民法下の1898年(明示31年)から1945年(昭和20年)の48年間の夫婦財産契約の登記件数が368件、現行民法下にいたっては、1946年(昭和21年)から2016年(平成28年)までの登記件数でも246件です。さらに、法務省の「登記統計」で令和に入ってからの登記件数を調べてみると、令和元年18件、令和2年22件、令和3年21件、令和4年39件、令和5年23件、令和6年19件となっていました。

(3)  それでは、登記された夫婦財産契約は、どのような内容なのでしょうか。『夫婦財産契約の理論と実務』(山田俊一著)には、登記された夫婦財産契約について調査された結果が記載されていて、大変、興味深いです。
 詳しくは同書をご覧いただければと思いますが、戦後の夫婦財産契約122例について調べたところ、まず、財産制の選択については、婚姻前から有する財産を特有財産と明記する例(法定財産制と同様)は73例あり、他方、婚姻後に夫婦のそれぞれの労働や特有財産の果実を原資として新たに取得する財産について、取得した各人の特有財産とする例(こちらも法定財産制と同様にみえます)が36例、夫婦の共有財産とする例が38例、取得した者の名義を問わずにいずれか一方の財産とする例が6例(妻5例、夫1例)などと紹介されています。また、共有財産の持ち分について定める例は、15例(いずれも持ち分50%)、離婚に際して、財産の帰属や離婚後の扶養などを約定するものは21例、相続に関する条項は17例(再婚カップルが多い)。そのほか、婚姻費用の負担、債務の負担、準拠法、裁判管轄、契約変更などの条項が紹介されています。
 このうち、離婚に関するものについては、同書の冒頭で紹介されている「財産分与額10億円事件」(東地判平成15.9.26判例集未登載)が、婚姻前に作成された「誓約書」について、その成立を認めた上で、「将来、離婚という身分関係を金員の支払によって決するものと解されるから、公序良俗に反し、無効と解すべきである。」と判示していることを勘案すると、その内容いかんによっては、無効と判断される可能性があることに留意が必要とされています。また、相続に関するものについても、相続契約は認められないとするのが通説とされていることに留意が必要とされています。このように、我が国の夫婦財産契約は、どのような内容の合意が可能で、どのような効果が生ずるかが明確とは言いがたい状況です。

(4) しかも、法定財産制と異なる内容の夫婦財産契約を締結しても、その効力は限定的と思わざるを得ない判例(東京地判昭63.5.16判時1281・87、控訴審は東高判平成2.12.12税資181・867、上告審最判3.12.3税資187・231)があります。この事案において、X(弁護士)は、夫婦財産契約を締結して、Xの得た収入の2分の1を自らの所得とし、残りの2分の1を妻の所得として確定申告したところ、処分行政庁がその収入の全てをXのものとする処分をしたため、その取消を求めて出訴しました。というのも、Xが締結した夫婦財産契約には、「夫及び妻がその婚姻届出の日以後に得る財産は、……夫及び妻の共有持分を2分の1とする共有財産とする。」という条項があり、Xは、この条項について、夫又は妻の一方が得る所得そのものが原始的に夫婦の共有に属することを意図したものであって、私的自治の原則により、当事者の意図したとおりの効果が発生せしめられるべきであり、かつ、これが登記されていることにより、国及び第三者に対抗しうるものであると主張したのです(Xの主張が認められると、いわゆる二分二乗制度が採用されたのと同等の効果を得ることができます)。第一審は、「ある収入が誰に帰属するかという問題は、単に夫及び妻の合意のみによって決定されるものではなく…略…ある収入が所得税法上誰の所得に属するかは、このように、当該収入に係る権利が発生した段階において、その権利が相手方との関係で誰に帰属するかということによって決定されるものというべきであるから、夫又は妻の一方が得る所得そのものを原始的に夫及び妻の共有とする夫婦間の合意はその意図した効果を生ずることができないものというべきである。なお、このように、夫婦間の右合意がその意図した効果を生じないものである以上、夫婦財産契約が登記されているかどうかによって右結論が左右されるものでないことは明らかである。」と判示して、Xの請求をしりぞけました。控訴審も、「ある収入が所得税法上誰の所得に属すかは、当該収入に係る権利が発生した段階において、その権利が実体法上相手方との関係で誰に帰属するかということによって決定されるものというべきであり、所得税法は課税単位を個人とし、その者の稼得した所得について所得税を課することとしているのである。X主張の夫婦財産契約がこれからの原則を変更する効果を有するものでないことは明らかであり、Xが右契約によって夫又は妻が得る所得税法上の所得までも原始的に夫又は妻の共有に属することを意図したとしても、その効果が生じないことはいうまでもない。」と判示して控訴を棄却しています(上告棄却で確定)。まあ、現行所得税法は個人単位主義を採用しているから当然かなとも思える判示ではありますが、その判示するように、Xが得た収入はX一旦帰属した後に夫婦財産契約に基づき妻に分割されたとなると、贈与税が課され得るという指摘もあります(岩崎政明『ハイポ・セティカル・スタディ租税法』)。そうすると、ますます、夫婦財産契約を締結する意義に疑問が生じますね。
 なお、夫婦財産契約についてではないのですが、上記判例は、課税単位について争われた最大判S36.9.6民集15・8・2047とあわせて理解したいところです。この事案は昭和32年の所得税確定申告に関するものなのでかなり古いのですが、Xが(夫婦財産契約は締結されていないものの)収入の2分の1を自らの所得とし、残りの2分の1は専業主婦である妻の家事労働等の協力により得られたから妻の所得として確定申告したところ、処分行政庁がその収入の全てをXのものとする処分をしたため、処分行政庁の認定は所得税法の解釈として形式上正当であるとしても、憲法24条、30条に違反するとして出訴したという事案です。最高裁は、「民法には、別に財産分与請求権、相続権ないし扶養請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているということができる」などとして、「本件に適用された所得税法が、生計を一にする夫婦の所得の計算について、民法7621項によるいわゆる別産主義に依拠しているものであるとしても、同条項が憲法24条に違反するものといえないと判示しました。この判示については、「別産制上は、妻が専業主婦の場合、いかに内助の功があっても、自己の財産形成が行われず、実質的な夫婦の平等は得られない。しかし、このような妻の実質的な不利益については、婚姻が円満に継続する限り、夫婦間の財産の帰属の問題は生ぜず、婚姻解消の際に問題となるのである。そこで、離婚の場合には、夫婦の協力により得た財産は財産分与請求権(民法768条)あるいは死別の場合の配偶者相続権(民法890条)の行使により解決すればよい」と説明されています(遠藤みち『両性の平等をめぐる家族法・税・社会保障―戦後70年の軌跡を踏まえて』)長くなってしまうので、ここまでにしますが、民法の親族法も相続法も、明治時代に近代国家の仲間入りをするために外国の法制度を参考に急いで立法され、しかも、戦後、個人の尊厳と男女の本質的平等を基礎とする日本国憲法の下、大きく改められ、また、租税法についても、シャウプ勧告を受けて、たとえば、所得税法では世帯単位主義から個人単位主義に変更されるなど、激動の時代を経ているのであり、民法の諸制度相互において、あるいは、民法と租税法との間において、統一的に把握できるのか、一生懸命に考えても、頭が痛くなるところです。たとえば、明治民法には規定がなかった現行民法の財産分与制度について、民法の法定財産制である別産制のもと、どうして、離婚時に専業主婦であった妻が原則として2分の1の財産分与を請求できるのでしょうか(GHQ夫婦財産2分論を主張したそうですが明文化されず、でも、少なくとも私が実務に就いたときにはそれが実務であったところ、今般、令和6年民法改正(令和841日施行)で、財産分与について、「婚姻中の財産の取得又は維持についての各当事者の寄与の程度は、その程度が異なることが明らかでないときは、相等しいものとする。」(民法7683項)という文言が加わりました)。潜在的共有制論では限界があるとの指摘もありますね。さらには、なぜ、財産分与に際して、分与者に譲渡所得税がかかるのでしょうか。内田貴先生は、「共有物の分割には譲渡所得税は課せられないから、少なくとも清算部分については課税は不当との議論は可能であろう。」(『民法』)としています。話がそれてしまいました。

(5) 最後に、夫婦財産契約の準拠法について。国際的な要素のあるカップルが夫婦財産契約を締結する場合(たとえば、どちらかが外国籍である場合とか、日本人同士のカップルでも長年外国に居住している場合など)には、準拠法の問題がでてきます。
 この点、「
夫婦財産契約を締結しうるか否か、締結できるとした場合の締結時期、内容および効力の問題、さらには契約変更の可否・その方法等の問題は、すべて夫婦財産制の準拠法による。」(『注釈国際私法第2巻』)とされるところ、夫婦財産制について定める法の適用に関する通則法26条は、同条1項で、前条、すなわち、婚姻の効力について属人法主義を定める25条(夫婦の同一本国法、それがなければ、夫婦の同一常居所地法、それもなければ、夫婦に最も密接に関係する地の法)を準用しており、また、同条2項は「前項の規定にかかわらず、夫婦が、その署名した書面で日付を記載したものにより、次に掲げる法のうちいずれの法によるべきかを定めたときは、夫婦財産制は、その法による。この場合において、その定めは、将来に向かってのみその効力を生ずる。」と規定し、量的制限の付された当事者自治を認めています(ちなみに、「次に掲げる法」は、一号が夫婦の一方が国籍を有する国の法、二号が夫婦の一方の常居所地法、三号が不動産に関する夫婦財産制については、その不動産の所在地法」)。
 要するに、夫婦財産制は身分法と財産法が交錯する要域ですが、国際的には夫婦財産契約について当事者自治を認める立法例が増えているところ、262項により、選択肢は限定されているものの準拠法を選択することができるということです。 

3. もうひとつ…。
 メ~テレ(名古屋テレビ放送株式会社)さんより、相続放棄についての取材を受け、2026年4月19日付のオンラインニュース「権利や借金など受け継がない『相続放棄』熟慮期間経過後と思われても認めてもらえる可能性が」として配信されましたので、ご報告しておきます(記事保持期間は13カ月)。