2015年3月21日土曜日

地下鉄サリン事件から20年…


1. 昨日(3月20日)は、地下鉄サリン事件から20年目ということでした。

 
2. 地下鉄サリン事件の当時、私は、丸ノ内線の霞が関駅を利用して、通勤していました。
 私が勤めていた銀行は、8時50分始業だったので、毎朝8時30~40分頃、丸ノ内線の霞ヶ関駅で降りて、約5分間銀行まで歩くということが多かったと思います。1995年3月20日月曜日、私は、始業ベルぎりぎりに席に着きました。しばらくすると、交換を通じて、母から電話が入り、「無事ならよかった。地下鉄で、ガス爆発があったようだ。」と言われました。すると、その後、フロア中で、行員の家族から、安否確認の電話が入るようになりました。午後には、「地下鉄でサリンがまかれたらしい。」との情報が、人伝に広まりました。当時、インターネットなどなく、携帯電話も普及していませんでした。私は、未だポケベルを使用しており、携帯電話を購入したのは、翌年のことです。
 私が勤めていた銀行の本店には、千人単位で行員が働いていましたが、幸いにも、一人の負傷者もでませんでした。サリンをまかれたのが、銀行の始業よりも30分以上早い午前8時過ぎに霞が関駅を通る地下鉄(千代田線、丸ノ内線、日比谷線)だったからだと思います。
 とはいえ、自分をはじめ、多くの人が利用している地下鉄にサリンがまかれ、6000人余りの死傷者をだしたという事実に、驚愕・戦慄を覚えないはずはありません。その後、地下鉄の駅からはゴミ箱が撤去され、車内では、「網棚などに不審なものを発見された場合、お手を触れずに駅員にお知らせください」というような放送が流れるようになりました。しばらくは、網棚に物を載せる乗客がいると、網棚に物を置いたまま下車することがないようにと、不躾に観察したものです。

 
3. あれから、20年…。ご遺族の方、被害にあわれた方にとっては、どのような20年であったことか…。 
 当時、誰しも感じたのではないかと思いますが、どうして、あのような高学歴のメンバーが、麻原の命ずるままに事件に及んでしまったのでしょう…。
 国家転覆を本気で狙っていたのでしょうか…。それとも、ハルマゲドンの予言を実現しようとしていたのでしょうか…。でも、近時の報道では、一旦大量のサリンを廃棄していたにもかかわらず、警察の強制捜査を知って、麻原の命令で、実行日直前、急遽、粗悪なサリンを製造したといいます。
 入信のきっかけは、人それぞれだったのかと思います。いわゆる遊びの少ない方が成績優秀になりやすいのかもしれませんが、大学や会社に入ると、行き詰まることもあり、心に隙が生じたのかもしれません。そもそも神秘的な力に興味があったり、あるいは、ヨガを習っていただけの場合もあるのかもしれません。成績優秀だと批判されることに慣れていませんから、一旦、入信して、周囲が心配して干渉すると、猛反発するのかもしれませんし、だんだんと教団の正体がわかってきても、自ら選択した道を全否定するのを潔しとせず、不都合なものには目を瞑り続けた…ということがあるのかもしれません。あるいは、洗脳されていたというべきなのでしょうか…。
 昨日のNHKでは、親子関係に問題があるメンバーが多かったというようなことをいっていました。また、心の隙は誰にでもあるものだともいっていました。確かに、あの事件は、世紀末思想と軌を一にして、特異なカルト集団が起こしたのだと、言い切れるものでもないように思います。
 現在、事件を知らない世代に、再び、信者が増えていると聞きます。事件を起こしたメンバーとほぼ同世代を生きたものとして(ほんの少し上が多かったように思いますが…)、何ができるのか…。私自身が体験したことは少ないですが、二度とあのような悲惨な事件の起きることがないよう、これからも、事件について考え、伝えていかなければ…と思ったりもします。