2017年1月29日日曜日

千葉家裁松戸支部の控訴審判決(東京高判平成29年1月26日)The Tokyo High Court judgement dated January 26, 2017、桶狭間周辺の史跡巡り The historical spots around Okehazama


1. 離婚裁判において親権が争われた松戸事件の控訴審判決(東京高判平成29126日)
The Tokyo High Court judgement dated January 26, 2017

 昨年、ブログでふれた千葉家裁松戸支部平成
28329判決の控訴審判決(東京高判平成29126日)がでましたね。
 控訴審の判決文はまだ読んでいませんが、報道によると、第一審判決を変更し、母親を親権者としたようです。
 第一審判決を読むと、父親は、仕事一辺倒の生活を改め、家事や育児の分担を大幅に増やした矢先、夕方長女を保育所に迎えに行ったところ、長女が保育園におらず、帰宅後、母親が長女を連れて出たことに気付いたとのこと。このように母親は父親の了解を得ることなく子を連れだし、その後(第一審判決時には)約510か月間、父親との面会交流に合計で6回程度しか応じていませんでした。その上で、第一審は、母親は面会交流を月一回程度の頻度とすることを希望しているのに対し、父親は、年間100日に及ぶ面会交流の計画を提示していることなども総合考慮して、父親を親権者と指定するのが相当であると判示しました。このため、同判決は、「寛容性の原則」を採用したとの評価があります。
 これに対し、控訴審は、「面会は親権者を決める唯一の判断基準ではない。子供の意思や父母との関係など、他の事情よりも重要性が高いとはいえない」、「別居前から主に母が…監護し、安定した生活をしている。」、子も母親と一緒に暮らす意向がある等とした上で、子の利益を最も優先すれば、母親を親権者とするのが相当であると判断したようです。このように、報道に接したところでは、控訴審は、従来通りの「監護の継続性の原則」を採用したものと思われます。
 父親は上告するとのことですが…。
 何が「子の最善の利益」か…は、本当に難しい問題です。


 
    The Tokyo High Court, on January 26, 2017, reversed the judgment of the Matsudo branch of the Chiba District Court dated March 29, 2016.
The Matsudo judgment was regarded as the one in which the friendly parent rule was adopted.  I
n its decision i
t appointed a husband (a left behind father) as a parental authority of a child, considering that he submitted a parenting plan providing 100 days visitation chance to his wife, while she offered once a month visitation chance to him.
However, the Tokyo High Court decided to
appoint the wife as the parental authority of the child, considering that she had been the primary care-giver of the child and the child was spending a stable life.
It has always been a really difficult question “What is the child’s best interest?”

 2.桶狭間周辺の史跡巡り
The historical spots around Okehazama

 
 (1) 桶狭間周辺の史跡をまわってみました。
 まずは、ネットで調べた「酒楽亭 空庵」で腹ごしらえ(笑)。ラーメンにのっている鴨がレアでおいしかったです。


「酒楽亭 空庵」の
鴨はちラーメン
Kamohachi Ramen
(Ramen noodles with canard viande)
at Shurakutei-Kuan

 

(2)  次に、桶狭間古戦場公園(田楽坪)にいってみました。
 桶狭間古戦場公園は、かの桶狭間の戦い(1560)の中心地で、今川義元公の最期の地だといいます。
 公園内には、「今川義元公馬繋ぎの『ねずの木』」や「駿公墓碣」(すんこうぼけつ)があります。公園内の掲示板によれば、「ねずの木」は、着陣した今川義元公が田楽坪の泉で水を飲むために馬をつないだ木であるとして「ねず塚」として残され、なんと、この木に触れると熱病にかかるとの言い伝えがあるとか(怖)。また、「墓碣」の方は、「ねず塚」に埋められているのが、昭和28に偶然発見されたそうで、当時の村人が敗軍の将を弔うためにひっそり埋めて供養したのではないかとのこと。

  ここで、ボランティアガイドさんが声をかけてくださり、「リアル宝探し」を紹介されたので、これに挑戦しつつ、瀬名氏俊陣地跡長福寺桶狭間神明社戦評の松高根山とまわりました。

桶狭間古戦場公園内の
織田信長公と今川義元公の銅像
The statue of Nobunaga Oda (left)
 and Yoshimoto Imagawa (right)
in Okehazama Kosenjo Park
桶狭間古戦場公園内の
桶狭間の戦い案内
A map of a histric battlefiled of Okehazama


長福寺の境内。
池の脇では、今でも泉が湧き出ています。
ボランティアガイドさんは、
「桶狭間」の地名の由来は、
桶がくるくる廻るくらい
泉が勢いよく湧き出ていたからだと
おっしゃっていました。
(地名の
由来は諸説あるようです。)
A pond in Chofukuji Temple
recieves water from a spring.


桶狭間神明社。
桶狭間の戦いでは、
先発の瀬名氏俊が
武運を祈願したといいます。
Okehazama Shinmeisha Shrine
高根山にある有松神社。
高根山は標高54.5メートルで
付近では一番高いといいます。
桶狭間の戦いでは
松井宗信隊が着陣し
善照寺砦、中島砦方面の織田軍の動静を
監視したそうです。
(「桶狭間史跡マップ」より)
Takaneyama (Takane hill)



高根山から名古屋駅方面を望む
The center of the Nagoya city (around Nagoya Station)
looking from the top of Takaneyama
 
 

(3)  桶狭間の戦いにおいて、織田信長は、十倍以上の戦力を有する今川義元を破るため、当時の常識を破り、奇襲をかけて、大将の首をとった…、とてもドラマティックゆえ、数々の小説やドラマで描かれていていますよね。
 当日の信長のスケジュールは…。午前4時頃、清州城で鷲津砦・丸根砦が今川軍の攻撃を受けたとの報告を聞き、「敦盛」を舞ってから出陣、午前8時頃熱田神宮で戦勝を祈願、午前10時頃に善照寺砦に着き、本陣ここにありと見せかけておいて、雷雨の中を今川義元の本陣近くの釜ケ谷に進み、雨がやむや、今川軍に突撃したとのこと(公園内掲示板「信長公記」より。)。

  交通機関が発達した現代からみると、馬での移動にもかかわらず、すごい機動力があるように感じますが、当時としては、どうだったのでしょうか。

         
以前訪れた熱田神宮の信長塀。
桶狭間の戦いでの戦勝を祈願した織田信長が
大勝の御礼として奉納したとされます。
"Nobunaga Bei" in Atsuta Shrine
I visited the other day.
It was donated by Nobunaga Oda
as a token of the gratitude
for his victory of
Okehazama battle.


(4)  その後、イオン大高で買い物をすませ、帰途、大高城跡にも寄ってみました。
 今川義元は、桶狭間の戦いの際、前日に沓掛城に入り、大高城に向かう途中に休息していたところを、織田信長の襲撃をうけたといいます(前掲掲示板)。

  大高城は、東西約160メートル、南北32メートル、四方を二重の堀で巡らしていたといいます(大高城跡掲示板)。今川義元は大高城を重視しており、松平元康(家康)に兵糧輸送を命じこれに成功したことから、「大高の兵糧入れ」でも有名です。桶狭間の戦いの後は、一旦廃城となりましたが、大阪城落城の後、尾張藩の家老、志水忠宗がこの地に一万石を領し、城跡に館を設けて明治維新まで代々続いたそうです(山田柾之『愛知の城』より。)
                  
大高城跡。史跡に指定され
公園になっています。
a site of "Odaka Castle"
        
本丸跡?
左側の高くなっているところには
城山八幡社があります。
a site of "Honmaru"  ?

(5)  桶狭間周辺は、史跡が密集しており、また、古い民家を含め住宅密集地となっているにもかかわらず、結構、小高い丘が、ポツポツとあり、往時の戦いをしのびやすく、とても楽しい時間が過ごせました。

イオン大高の駐車場からの眺め
View from Aeon Mall Odaka

 
大高城跡近辺の街並み
a histrical streetscape
near the site of Odaka Castle

          I visited the historical spots around the Okehazama hill (allias "Dengakutsubo") where Yoshimoto Imagawa, the lord of Suruga, Totoumi, and Mikawa, was killed at the battle of Okehazama in 1560.  The battle was one of the most important events in the history of Japan.  Nobunaga Oda, the lord of Owari defeted Yoshimoto Imagawa whose army had ten times more soldiers than Oda's army.

2017年1月20日金曜日

大学院の思い出


1.  今年初めてのブログ更新になります。
 正直なところ、昨年末から、修論指導で精神的ゆとりを欠いていました。
 かつて修士論文を自分で書くのも大変なことでしたが、学生さんの修士論文作成を指導するのは、より大変なことであると実感しました。まだ、審査がすんでおりませんので、枕を高くして眠ることはできません(汗)


2.  もう20年ほど前になりましょうか、私が通っていたのは、筑波大学大学院の経営政策科学研究科企業法学専攻というコースでした。
 このコースは、東京キャンパス(文京区)で行われ、丸ノ内線茗荷谷駅が最寄駅となるので、当時勤めていた銀行から地下鉄1本で通うことができました。
 修士論文(国際私法)は、今、読み返すと、頭を抱えてしまいます…。親身に指導してくださった三井哲夫先生に対しては、感謝の念に堪えません(すっかりご無沙汰しておりますが…)。
 

3.  大学院では、2年次は修士論文の作成に専念しておりましたが、1年次は、授業やゼミも受講していました。
 正直に申しますと、大学時代は、法律の勉強になじめなかったのですが、社会人になってから法律の勉強をすると、こんなにも面白く感じるのかというくらい、大学院の授業やゼミは、どれも興味深いものでした。あのとき大学院の門をたたいていなかったら、現在、弁護士になっていなかったと断言できます。
 そんな興味深い授業やゼミの中で、最も印象に残っているのは、故竹内昭夫東京大学名誉教授の会社法です。
 だいぶ昔のことなので、記憶違いがあるかもしれませんが…。
 竹内先生は、当時、既に健康を害されており、何らかの管をつけて、車いすに乗り、ご家族が付き添われ、授業にいらっしゃっておられ、弥永真生教授がアシスタントとしてついていらっしゃいました。
 授業はソクラテスメソッドでおこなわれると宣言され、事前に、ケースが配布され、予習は必須でした。
 竹内先生はお声をだすのも大変そうな状態なので、授業の進行は弥永先生がなさっていました。でも、指名された学生が、二人、三人…と満足な回答をできないと、竹内先生の雷が落ちます。私には、まるで、命を削って、生徒を叱っていらっしゃるようにみえました。鬼気迫ると表現したくなるほどです。ストレートにおっしゃったわけではありませんが、「もっと、研究がしたい、でも、健康がそれを許さない、君たちは健康ではないか、なぜ、予習すらしてこないのか…」、というような思いがその叱咤の裏にはあるのではないかと、勝手に推察しておりました。
 それから何年も経ち、租税法にかかわるようになってから、金子先生と竹内先生のみなし配当に係る論争を後追いしました。
 竹内先生の書かれた「利益積立金の資本組入れとみなし配当課税の当否-金子説批判-」(上)(下)(商事法務、125843-、125930-)には、生前の竹内先生の思い出も相まって、胸をうたれました。その最後は、以下のようにむすばれています。
「みなし配当課税の制度は廃止すべきである。それとともに譲渡所得課税の制度を改正する必要があるのなら、もちろんそれも急ぐべきである。ただその改革が実現するまで、みなし配当の制度も必要であるといわれても(…)、それは得心できない。…略…
 それでは困る。理由を示さずに拒否されたのでは批判・検討の手掛かりもない。私が税法について知る所乏しいにも拘らず、敢えて税法の専門家の論文の批判・検討を試みたのは、これを手掛かりに議論を深めようと考えたからである。商法と税法の『ねじれ現象』を放置することはできない。もちろん、再批判によって骨の髄まで切り下げられるのは覚悟の上。租税摩擦で外国から責め立てられてもこれなら大丈夫と安心できるような理論を示してもらえれば、余計な口出しをした非礼を詫びて退散するのみである。」


I could not update my blog these days.  It was partly because I was busy supervising master theses.
I think it is more difficult to supervise a master thesis than to write.

It was about twenty years ago when I was a graduate student at University of Tsukuba.  My measure was a private international law, and my supervisor was Professor Tetsuo Mitsui, to whom I am more grateful than I can say.
Among lectures, I found “Corporate Law” by Professor Akio Takeuchi most impressive
.  The lecture was through Socratic method.  As Professor Takeuchi impaired his health, Professor Masao Yanaga assisted his lecture. It seemed difficult for Professor Takeuchi to let out his voice, but he scolded the students so strictly if they didn’t prepared enough.
Professor Takeuchi was a professor emeritus at the University of Tokyo, and well known by the dispute with Professor Hiroshi Kaneko regarding “Deemed Dividends”  (Minashi Haitou”).

2016年12月24日土曜日

クリスマスイブ Christmas Eve


 今年も残すところあと僅かになりました。

 なかなかブログの更新ができなくて…。
特に、法律の話題が少ない。
来年は、もう少し、増やしていきたいです。

 今日はクリスマスイブ。

  I wish you a Merry Chritsmas!
 
 今年のクリスマス・ツリーをアップします。
 今年は、ピンクと白い羽でまとめてみました。
 
   



 昨年のツリーはこちら

 一昨年のツリーはこちら

2016年11月30日水曜日

国際家事調停人研修 Mediator Training in English


1. 1125日から27日の日程で、大阪で開催された「ハーグ条約セミナー 英語による国際家事調停人研修」(日本仲裁人協会主催)に参加しました。

 日本の家事裁判所や簡易裁判所で行われている調停は、原則、別席調停です。
 これに対し、今回の研修で学んだのは、「対話促進型同席調停」です。

 まず、講師のレビン小林久子先生(元九州大学大学院教授)より、米国でADRの利用が盛んになった経緯や紛争解決の中心理論(交換理論、統合理論、トランスフォーマティブ理論、ナラティブ理論)について解説がありました。米国の調停理論には、心理学の成果のみならず、平和運動や反体制運動が影響を与えているというのは、大変、興味深いと思いました。また、同一のもの(例えば親権)を争った際の紛争解決の困難性(ゼロサム状態)について、その対処方法を理論的に構築しようとするアプローチ自体が(実際にいつも理論通りにいくかは別にして)慧眼だなあと感服しました。

 技法については、傾聴(Active-listening)、パラフレイジング、リフレイミング、サマライジング、ノートの取り方などを習いました。これらを実践すべくロールプレイが3回行われ、運よく(笑)、2回も調停人役がまわってきました。何事も一朝一夕にはまいりませんが、場数を踏むことの大切さを実感しました。

 昨年参加した「ハーグ条約に関する日豪合同あっせん人研修」や今年ロンドンで訪問したリユナイト等で見聞したところによると、オーストラリアやイギリスでは、Mediatorは何十時間ものトレーニングを受けているようです。
 日本では、少なくとも、弁護士が、裁判所の調停官・調停委員になったり、ADRのあっせん人になったりするために、特段のトレーニングプログラムは用意されてはいないことが多いように思います。それは、法曹としての養成プログラム(司法修習)を経た後、紛争解決の場で多様な経験を積んでいるからではないかと思われます。なので、特段のトレーニングプログラムが必要であるとまでは言い難いように思います。とはいえ、今回の研修のように、調停の理論や技法を学ぶことは、極めて有益なことだと思いました。

   
日本仲裁人協会の
受講証明書

I took part in a Hague Convention Related Seminar, “Mediator Training in 2016 in English”, organized by Japan Arbitration Association.  It was held in Osaka from November 25 until November 27. 
At the begining of
the seminar, Ms. Hisako Kobayashi-Levin (former professor of Kyushu University) explained about a social background of ADR procedures in the USA, some theories related to conflict resolution, and so on.  I was surprised to hear that a peace movement and an anti-establishment movement affected theories related to conflict resolution.
After we learned mediation skills such as "Active-listening", "Paraphrasing", "Reframing", "Summarizing" and "Note-taking", we challenged roll playing sessions to practice those skills. 

I found the training program quite practical and useful.
 

2. ところで、大阪では天王寺に宿をとっていたので、早朝、天王寺公園を散歩することができました。
 天王寺公園には、茶臼山があります。茶臼山は、今放映中の大河ドラマ「真田丸」の舞台の一つであり、大坂冬の陣(1614年)では徳川家康の本陣、大阪夏の陣(1615年)では、真田幸村の本陣となったとところです。茶臼山の横に広がる池にかかる橋には、六文銭の旗がはためいていました。
 また、研修3日目の会場は、大阪城の近くだったので、昼休みを利用して、大阪城まで足をのばしました。以前訪れたのは小学生か中学生の頃だったように思います。掘も石垣も、記憶よりも大きくて、びっくりしました。
 今度、ゆっくりと訪問し、真田丸の位置等も確認してみたいものです。
  
早朝冷え込みました。
茶臼山が河底池の湖面に
きれいに映っています。
"Chausuyama" hill
and a pond in Tennoji Park
 
河底池にかかる橋。
欄干には、六文銭の旗がはためいていました。
奥に見えるビルは、あべのハルカスです。
A brige in the park 
 
大阪城
Osaka Castle
 
  As I stayed at the hotel in Tennoji, I walked in the Tennoji Park early in the morning.  There is "Chausuyama" in Tennoji Park, which is famous for the Siege of Osaka in 1614 and 1615. 
I also visited Osaka Castle during a lunch break of the seminar. 

2016年11月18日金曜日

那古野浅間神社「舞の奉納」 “Mikomai” (a female Shinto dance) dedicated at Nagono Sengen Shrine


1. 先週末、円頓寺(えんどうじ)商店街のお祭りに遊びに行った際、四間道(しけみち)にある那古野(なごの)浅間神社で舞が奉納されているのを拝見しました。
 四間道は、いわゆる「清洲越し」で堀川沿いにできた清洲商人の街。元禄13年(1700年)の大火の後、道幅を四間に広げたことに、その名の由来があるといいます。
 那古野浅間神社は、木花開耶媛命(このはのさくやひめのみこと)を主祭神とする古社で、「尾張志」によれば、江戸時代、正保四年(1647年)に遷座したとの記載があるそうです。
 比較的小さなお社ですが凛とした境内で舞われる巫女舞に感動しました。
      
那古野浅間神社で奉納された巫女舞
“Mikomai” was dedicated
at Nagono Sengen Shrine
 
 
     

2. 浅間神社といえば、言わずと知れた富士信仰。「富士山 ―信仰の対象と芸術の源泉―」として、2013年にユネスコの世界文化遺産として記載(登録)されたのは、静岡や山梨のお社ですが、富士山の見えるところを中心に、全国に1000を超える浅間神社があります。江戸時代には、名古屋からも富士山をみることができたと聞いたことがありますが(なので「富士見町」という地名があるとか)、実際には見えないとも…。
 木花開耶媛命というと、ちょっと古いですが、山本 鈴美香さんの「白蘭青風」を思い出します。現在手元になく詳しいストーリーは覚えていないのですが、胸をわくわくさせて読んだ「7つの黄金郷」とは全く趣が違い、しかも、当時としては異色だったと思うのですが、日本の八百万の神様が人格化して(?)登場したので、強烈なインパクトを残しました…。
 もっとも、今年、巫女舞をみて思い出すのは「君の名は」かな…(笑)。
 なお、ユネスコの「世界文化・自然遺産」については、「無形文化遺産」とともに、本当に少々ですが、こちらに触れています。
 

  Last weekend, Mikomai (a female Shinto dance) was dedicated at “Nagono Sengen Shrine”.  The shrine is quite old, and was transferred to the present site in 1647 acoording to the “Owari-shi” (The History of Owari).  There are over 1000 "Sengen Shrine"s in Japan.  They are all in honor of the Sinto Goddess, "Konohanosakuyahime", who is thought as the goddess of Mount Fuj.  In 2013, major "Sengen Shrine"s located in Shizuoka and Yamanashi were added to the World Heritage Lists as part of “Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration”.

2016年10月14日金曜日

篠島 Shino-jima (Shino Island)


1. 先週末、日帰りで、篠島に行ってきました。
 篠島は、愛知県知多半島と渥美半島の先端を結んだ線上あたりに浮かぶ離島。
 連休中でも、名古屋市内から一時間余りで、上陸することができました。
 篠島へは、河和からも高速船が出ていますが、師崎からでているカーフェリーを利用しました。実は、その日の朝、篠島行を思い立って、ふらりと諸崎までドライブしたところ、諸崎港で出港間際のカーフェリーに運よく載せてもらえたのです。カーフェリーは、積載可能な乗用車が最大で12台という大きさ(大型トラックなら最大4台)なので、ラッキーでした。
 
2. お隣の日間賀島へは2度行ったことがありますが、篠島は初めてです。
 篠島に上陸すると、「島の駅SHINOJIMA」の観光案内でおすすめの食堂を尋ね、そのうちの一つ「魚菜食堂」にて、まずは、腹ごしらえ。
 篠島はしらすの漁獲高日本一とのこと。お刺身定食のほか、生しらすやワタセエビかき揚げなどに舌鼓をうちました。

    
島の駅SHINOJIMA
(There is a tourist information center
in "Shimano-ekei SHINOJIMA")


生しらす(魚菜食堂にて)
Raw young sardines
served at "Sakana Shokudo"


お刺身定食(魚菜食堂にて)
Sashimi Teishoku (Sashimi Meal)
served at "Sakana Shokudo"
 

3. ところで、先日、愛知県が、篠島を含む離島、山間部の観光振興のために、「ポケモンGO」の人気にあやかった観光キャンペーンを始めるとの報道を目にしました。
http://www.asahi.com/articles/ASJ9N5G1HJ9NOIPE02T.html
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/chiiki/rito-pokemon-bustour.html

 「ポケモンGO」の爆発的な人気も落ち着いた感がありますが、今月初めに「ポケモンGO」をダウンロードしたので、篠島までもやってみました(笑)。
 「島の駅SHINOJIMA」の観光案内で、「ポケモンGO」についても聞いてみましたが、「私はやらないからわかりません」とのこと(汗)。「ポケモンGO」をしているらしき人も、あまり、みかけません。
 仕方なく、「ポケモンGO」のアプリ内のポケストップの表示を頼りに、島内をまわってみました。同時に、島内観光もできるはず…。
 

4. まずは、サンサンビーチに向かい、神明神社や八王子社をおまいりしました。
 サンサンビーチは、真っ白な砂浜で、想像以上に素敵でした。
 神明神社のご祭神は、大土御祖神、大年神、宇迎之御魂神。境内の由緒によれば、771年、伊勢神宮より土之宮を篠島に勧請し荒魂宮の神域を拡大築造して土之宮三座をお祀りしたとのこと。そのゆかりからか、神明神社のお社は、伊勢神宮の御遷宮の折に下賜される御古材をつかっているそうです。そして、神明神社のお社は、八王子社に移され、更に、その後、島内に点在する小さな社に移されていきます。つまり、伊勢神宮で20年間使われたヒノキは、神明神社20年⇒八王子社20年⇒島内の社20年と、篠島で60年間にわたり、大切に使用されているといいます。
      
サンサンビーチ
Sun Sun Beach
 
神明神社
Shinmei Shrine

5. サンサンビーチの突き当りには、篠島の南部をめぐる遊歩道の入り口があります。これが、未舗装で、なかなかの道。海にそそりたつ崖っぷち沿いに柵がなかったりして、サンダル履きでは、冷や冷やもの…。でも、途中にある歌碑公園展望台から眺めは、絶景!結局、一度も人影をみることなく、篠島小学校、中学校に到着しました。
 その脇から「清正の枕石」まで行けるのですが、今回は断念しました(食堂で、遊歩道よりも険しい道と聞いたので…汗)。
 篠島は、慶長15年(1610年)に築城された名古屋城の普請の総大将となった加藤清正公が、砕石地の一つとして選んだことでも、有名なようです。案内板によれば、平成237月現在で、35か所、約200個の慶長時代に切り出された残石が確認されているとのこと。
 ところで、この遊歩道には、島内で最もポケストップが集中してありましたが、ポケモンの出現度は、港や、サンサンビーチ周辺とで、そんなに差はなかったように思います。
 結局、諸崎、フェリー内も含め、篠島周辺でゲットしたポケモンは、計77。コイル10、コイキング7、ビリリダマ3、メノクラゲ3、トキサント2、ニドラン2、ゴース1、ゴローン1、サンド1、シェルダー1、スリープ1、タッツー1、パウワウ1、ピッピ1、ポニータ1、マンキ―1、マルマイン1などなどでした。初心者ゆえ(レベル10くらいだったかな…)これが割と多いのか…よくわかりません。


遊歩道
a path

遊歩道には、沢山のポケストップがあります。
この写真では、道の真ん中あたりに少しみえている
お地蔵様の祠がポケストップです。
There were many Pokestops in "Pokemon Go" along a path.

展望台からの眺め
A view from the deck

写真に見える陸地の先端部に
「清正の枕石」があると思われます。
There was a stone known as
"Kiyomasa's Makuraishi"
(Kiyomasa’s pillow stone)
at the tip of the cape,
though I couldn't reach it.
 
I visited Shino-jima (Shino Island) on the weekend.
Shino-jima is situated off the western coast of Chita Peninsula and the eastern coast of Atsumi Peninsula. From Nagoya, it took about 1 hour to drive there.
The main beach called “Sun Sun Beach” was so beautiful with a long stretch of white sand.
I enjoyed "Pokemon Go" walking along a path.
The view from the deck was fantastic!!

2016年9月28日水曜日

非常勤裁判官 A part-time judicial officer


1. 今年の9月は、8月に引き続き、日本列島に台風が何度も接近・上陸したりしたせいか、雨の日が多かったですね。
 その9月も残すところ、今日を含めてあと3日。
 秋分をすぎると、まさに、「秋の日はつるべ落とし」。
 日照時間がどんどん減っていくこの季節はちょっぴり苦手です。
  
2. ところで、来月(10月)より、週に1回、名古屋簡易裁判所の民事調停官として勤務することになりました。
 民事調停官とは、「弁護士で五年以上その職にあったもののうちから、最高裁判所が任命」し(民事調停法第23条の2第1項)、「調停事件の処理に必要な職務を行う」(同条第2項)もので、任期は原則2年(同条第3項)、「非常勤」(同条第4項)です。
 弁護士がその身分をもったまま、裁判官と同等の権限を持って調停手続を主宰するので、「非常勤裁判官」という通称で呼ばれたりもします(日弁連「弁護士任官Q&A-非常勤-」参照)。
 この制度の目的としては、①弁護士から常勤裁判官への任官を促進するための環境整備、②調停手続をより一層充実・活性化すること、があげられています(上記Q&A)。
 弁護士登録から10年以上の歳月がたちましたが、まだまだ発展途上、これまで培った経験・知見を活かしつつ、更に精進に努めてまいりたいと思っております。
 
I was appointed as a conciliator (Choteikan), a part-time judicial officer who is empowered to conduct civil conciliation (Minji Choutei).  From October, I am going to work once a week at Nagoya Summary Court .