2016年2月15日月曜日

常滑、大野の散策と日本遺産


1.  日付が変わって、昨日の名古屋は、雨がやんだ後、湿気は高いまま温度があがり2とは思えない、むわっとする陽気でした(春一番も吹いたそうで…!?)
 昨日は、バレンタインデーでしたね♡♡♡
 事務所の近くの「ショコラトリー・タカス」のディスプレーに、「R2-D2」と「炭素冷凍されたハン・ソロ」発見♪言わずもがな、チョコレート製です(笑)。
   
お店の許可をいただいて撮影♪
「R2-D2」と「炭素冷凍されたハン・ソロ」

2.常滑の休日♪

(1)建国記念日に、常滑にドライブに出かけました。

(2)常滑に着いてすぐ、INAXライブミュージアムPizzeria la fornace」にて、ピザに舌鼓♪
   
Pizzeria la fornaceのピザ窯

 資料館やタイル博物館を見学。トイレのコレクションは、初めてです(笑)。
 常滑焼は、日本六古窯の一つ。
 常滑では、明治に入ると、土管の製造がはじまり、INAX(㈱LIXIL)も陶管製造を基いとし、土管やタイルといった建設用陶器を主力としていったようです。トイレなど衛生陶器では、TOTOと二社で、約9割のシェアを占めるとか…。
 ところで、昔って、どうして、空き地に土管が転がっていたんでしょう(笑)。「ウルトラマン」にも、子供が土管に落書きした怪獣が実体化するという話があったように記憶しています。


 
 
    
金色に輝くトイレも(笑)。


(3) やきもの散歩道を散策。
   
やきもの散歩道には、レンガ造りの煙突や窯が点在しています。

 以前常滑に行った際、廻船問屋瀧田家は公開されていなかったので、今回、訪れるのを楽しみにしていました。
 瀧田家は、18世紀初頭から続く旧家で、4代目の時代、弘化2年(1845年)には2隻の船を、5代目の時代には4隻の船持ちであったことが、確認できるそうで(持ち船の積載量は、700~1000ほど)、更に、明治に入ると、木綿問屋も開業していたようです

 江戸から明治にかけての知多半島って、海運業でも、頑張っていたんですね(尾張廻船は、大阪と江戸を結ぶ菱垣廻船や樽廻船の間隙を縫うように活躍していたとか…。)。
 瀧田家は、主屋、土蔵、離れからなり、1850年頃に建てられたそうです。
     
 
瀧田家へに至る坂道
   
復原前の瀧田家は、随分、荒れていたようです。
       


 古い箪笥と長持ち 瀧田家のお雛様

 ちなみに、江戸時代、知多半島は、醸造業も盛んでした。
 ソニーの盛田昭夫さんのご実家が小鈴谷村(こすがやむら。現在、常滑市。)の酒、味噌醸造家であったことは有名ですよね。
 また、知多半島の半田市は、あのミツカンの創業家、中埜家が酒造の副産物である酒粕を活かして粕酢の生産をはじめ、これが、江戸の寿司ブームを支えたといいます。
 先日の新聞には、愛知県が、半田市など15市町と連携して、醸造文化を文化庁の「日本遺産」(*)に申請したとの記事がでていました。

*「日本遺産(Japan Heritage)」とは
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを日本遺産として文化庁が認定する制度。
 ストーリーを語る上で欠かせない有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的とした文化施策です。
 「ストーリー」というのが、耳新しい感じがしますね。
 従来型の文化行政が、個々の資産(国宝・重要文化財・史跡・名勝・無形文化財・民俗文化財)ごとに、「」として指定し、その「保存」に重点を置いていたのに対し、日本遺産認定制度は、地域に点在する様々な遺産を、パッケージ化した上で一体的にPRし、点在する遺産を「」として、国内外に発信し、地域のブランド化、アイデンティティの再確認を促進していく「活用」重視の制度であるとされています(文化庁の「日本遺産」のパンフレット
参照)。
  ちなみに、国宝、重要文化財と文化財保護法についてはこちらに、「世界文化・自然遺産」(World Cultural and Natural Heritage)と「無形文化遺産」(Intangible Cultural Heritage)については、こちらに、少々ですが触れていますので、よかったら、ご覧くださいませ。

(4) 次に、旧大野町へ(現在は、合併して、常滑市になっています)。

かつて、「大野湊」とよばれ栄えた港町。そして、あの織田信長の妹お市の方の三女、お江(小督)の最初の嫁ぎ先として、有名です。
      
大野の古い町並みから
大野の中心部から大野城址をのぞむ。
丘の上に展望台がみえます。

 当時の大野城主は、佐治与九郎一成。ちなみに、与九郎の母は、お市の姉妹(おそらく妹)「お犬」で、お市に負けず劣らずの美人だったとか…。
 なぜ、信長は、お犬を大野に嫁がせ、信長亡き後、秀吉もまた、お江を大野に嫁がせたのか。
大野城址にある展望台
     
大野城址にある展望台からの眺めは最高!

大野城址(城山公園)にある展望台(復元した建物ではないそうです。)からは、伊勢湾が一望でき、対岸の三重県まで見渡せます。
 作家の永井路子さんは、展望台の中に掲示されていたのエッセイにおいて、未だ尾張一国の征服に力を傾けていた時代の信長がお犬を大野に嫁がせたのは、大野城が五万石にふさわしいささやかなものであったとしてもまさしく海の城であり、佐治家の本領である水軍に着目したからではないか、お市を浅井に嫁がせて近江路を開き、お犬を佐治に嫁がせ伊勢路への進出拠点を築いた、そして、秀吉がお江を嫁がせたのも、やはり、大野水軍が目当てだったのではないか、等と推測されています。


(5) 最後に、昨年12月に開業したばかりのイオンモール常滑に寄ってから、一路、高速で、名古屋へ。夜だと、30分ほどです。
     
イオンモール常滑の入り口。
外国の方にも人気の招き猫がそこかしこに…。
常滑焼と招き猫は縁が深いそうですが、
中部国際空港が近いことも意識しているのでしょうか。