2016年2月13日土曜日

デンソー逆転敗訴(名古屋高裁平成28年2月10日判決)、芝田村町の散策


1. (1) 一昨日の日経新聞に、「デンソー逆転敗訴」という記事がでていて、驚きました。
 しかも、裁判長は、なんと、「国破れて3部あり」(*)で有名な藤山雅行裁判官。
 デンソーのプレスリリースは、こちら(↓)。
 http://www.denso.co.jp/ja/news/newsreleases/2016/160210-01.html
 デンソーは、上告&上告受理申立てするみたいですね。

*一応、ご説明致しますと、勿論、杜甫の有名な五言律詩「春望」の書き出しをもじったものです。藤山裁判官が、東京地裁民事3部(行政専門部)におられるときに、当時(今でも?)、行政訴訟における国や自治体の敗訴率が極めて低い中、国や自治体に不利な判決を連発したことから、そのようにいわれはじめました。もっとも、藤山コートの国や自治体の敗訴判決は、結構、上級審でひっくり返っているんですよね。今回は、藤山コートが、国敗訴の原審をひっくりかえしたわけですが…。

(2) 本件は、タックスヘイブン対策税制に係る更正処分等の取消請求訴訟であり、原審である名古屋地裁平成2694日判決は、デンソーのシンガポール子会社には実態があり、タックスヘイブン税制の適用除外要件を充たすというデンソーの主張を認め、課税処分の一部を取り消していました。
 このブログでは、第一報のみをとりあげたまま(↓)、控訴審の行方に注目していました…。
http://hisaya-avenue.blogspot.jp/2014/09/blog-post_9.html

 名古屋高裁も訴訟記録の閲覧を制限しているようですが、もうすこし詳しい情報を入手したら、今度こそ、地裁判決と高裁判決を比較、概観してみたいと思います。
→ <後記>
     平成222010)年3月期および平成232011)年3月期について、名古屋地裁平成29126日判決は、デンソーの主張を認め、課税処分を取り消しました。
http://hisaya-avenue.blogspot.jp/2017/02/tokyo-district-courts-decision.html


→  <後記2>   名古屋高裁平成28年210日判決は、上告審である最高裁平成29年1024日判決で再びひっくり返り、デンソーの逆転勝訴となりました。
https://hisaya-avenue.blogspot.jp/2017/10/291024.html
 
2. (1) ところで、前回ブログで予告した、芝田村町の散策について、少し…。

(2) 芝田村町は、昔の町名です。
 町名の由来は、あの「忠臣蔵」の浅野内匠頭が、松の廊下で刃傷事件をおこした後、一時預かりとなり、即日、切腹させられた、一関藩主田村右京太夫上屋敷があったことによるものです。
       
史跡「浅野内匠頭終焉之地」

(3) この辺り、いわゆるマッカーサー道路(環二通り)ができて、ものすごく変わっちゃいました。
       
マッカーサー道路。
以前、この辺り(道路予定地)は
長い間、建築規制があって、
低い建物しかありませんでした。

 遠い昔になっていまいましたが(笑)、大学生のとき、今はもうマッカーサー道路にひっかかってしまって立ち退かれたお宅に、家庭教師としてうかがっていました。私の指導はともかく、大変、優秀な生徒さんだったので、なんと、中三だというのに、内申点がめきめきとあがりました。良いことしか思い出せません。
    
赤レンガ通りについての説明。
赤レンガ通り沿いには、新銭座町にて、
慶應三年、福沢諭吉が慶應義塾を創設したとの案内板も。
上野の戦争の最中でも、授業をやめなかったそうです。

 新橋駅から、途中、赤レンガ通りを歩いて通っていたのですが、覚えているお店、「インドネシアラヤ」(前に、ブログで触れたことも…)、籐家具屋さん(「田中栄八商店」?)、三味線屋さん、などなど…やっぱりもうないですね。
 「北京飯店」は、マッカーサー道路に面しながらも、健在!

 新正堂は、場所が移ってしまっていたけれど、ありました♪(新年会のケーキを買いに行ったことがあったなあ…)。
        
懐かしの「ウメヤ」さん

 赤レンガ通りではありませんが、駄菓子屋さん「ウメヤ」(梅屋?)さんは、とじられてしまったようです(淋)。
                           
亡き父(於芝田村町)。