2015年11月30日月曜日

古都奈良の秋、春日大社の式年造替と文化財の保護制度


1.  11月も今日で終わり、明日から、師も走る12月。
 時の流れが速く、焦ります。

 
2.(1)  芸術のも過ぎ行こうとしていますが、今日は古都奈良の秋と文化財の話題を

 
(2)   先日、秋たけなわの古都奈良春日大社を訪れる機会がありました。
 春日大社は、1300年前、平城京遷都の頃に創設された藤原(中臣)氏の氏神さまを祀る神社で、現在、60次式年造替が行われています。 

銀杏の黄葉がきれいな春日大社の回廊
 
(3)   春日大社の御本殿(国宝)は、4棟が軒を接するように並んでいます。
 各殿は、「春日造」という、奈良・和歌山を中心に全国に流布している形式で造られています。重要文化財に指定されている全国の本殿建築の約
2割が「春日造」で、「流造」についで多いといいます(田中泉「平成27年度修理建物国宝春日大社御本殿」『春日』第94)。
 各殿に祀られているのは 東側より、武甕槌命(たけみかづちのみこと。常陸の国、鹿島神宮よりお迎えしたといいます。)、経津主命(ふつぬしのみこと。下総の国、香取神宮よりお迎え。)、そして、藤原氏の祖神である天児屋根命(あめのこやねのみこと。河内の国、枚岡神社よりお迎え。)と比売神(ひめがみ。天児屋根命の妻。)の4柱です。
 ちなみに、藤原氏の氏寺は、興福寺だそうで、そのため、春日大社と興福寺の関係は深く、神仏習合思想により、一体となっていたこともあったとか…。今でも、興福寺のお坊さんが春日大社で読経することがあるといいます。
 

(4)   春日大社では、古くから定期的に本殿を新たに建て替える式年造替が行われてきたところ、慶長18年(1613)年には江戸幕府の支援により造替が行われ、以後20年毎の本殿造替の制が定まり、明治16年(1883年)からは修理をもって造替代えられたといいます(前掲・田中)。
 ということで、御本殿では、現在、檜皮葺屋根の葺替え等がおこなわれており、その様子を、特別に拝見させていただきました。
 式年造替を行う主たる理由は、社殿の清浄さを尊ぶことなのでしょうが(前掲・田中)、現代では、文化技術継承していく重要な機会になっているといいます(学芸員の先生談)
     
檜皮葺屋根の葺替の様子。
修理工事中、神様は、お引越しなさっています。

 
3.(1)   ところで、国宝重要文化財は、どういう法律にどのような規定があるのかご存知でしょうか。
 平成25年に制定された文化財保護法という法律が、規律しています。
 

(2)  明治維新により、一旦は、廃仏毀釈等により、仏像、建造物、美術品などの大量破壊や海外流出が生じましたが、明治政府は、明治4、「古器旧物保存方」という太政官布告を発しました。更に、日清戦争後の国家意識の勃興を背景にして、明治30、「古社寺保存法」が公布され、歴史的・美術的に価値の高い建造物や宝物類を「国宝」等に指定し、保存のための補助金を支出するようになりました。古社寺保存法は対象を社寺に限っていたところ、昭和4、古社寺保存法を廃止して、「国宝保存法」が公布され、社寺のみならず、「建造物、宝物其ノ他ノ物件ニシテ特ニ歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範ト為ルベキモノ」については、国宝に指定されると、輸出・移出が禁じられ、現状変更も内務大臣の許可が必要となりました。昭和8年には、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が公布され、従来の国宝の他に重要美術品等の指定がなされ、国宝同様に輸出・移出に制約を課すこととされました。
 戦後、昭和24法隆寺金堂炎上を機に、文化財保存のための抜本的施策を講ずるよう世論が高まり、昭和25、文化財保護のための総合立法である「文化財保護法」が成立しました。これにより、国宝保存法、史跡名勝天然記念物保存法、重要美術品等ノ保存ニ、関スル法律の三法廃止され、建造物、美術工芸品、史跡、名勝天然記念物の保護が一体的に処理されることとなったほか、新たに無形文化財民俗資料、埋蔵文化財も保護対象となりました(文部科学省のHP「学制百二十年史」より)。
 

(3) 文化財保護法は、
建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料
を「有形文化財」と定義し(同法211号)、
文部科学大臣は、
有形文化財のうち重要なもの
を「重要文化財」に、
重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの
を「国宝」に指定できます(同法2712項)。
 

(4) 重要文化財や国宝の指定を文部科学大臣から受けると、都道府県教育委員会を通じて、重要文化財指定書または国宝指定書が交付されます。
 国宝、重要文化財の指定を受けた場合、指定文化財の所有者には、以下のような義務等が生じます。

・公共のために保存し、文化財保護法等に従った管理をすること(同法42項、311項)。

・可能な限り、公開するよう努めること(同法42項。47条の2以下参照。)。

・原則として、海外への輸出禁止(同法44条)。

現状変更しようとするときは、文化庁長官の許可を得なければならず(同法431項)、修理しようとする際には、文化庁長官に事前届出なければならないこと(同法43条の21項)。

有償譲渡の際には、譲渡の相手方予定対価の額等を記載した書面をもって、まず、文化庁長官に国に対する売渡の申出をしなければならないこと(同法461項)。
⇒この売渡申出の制度は、優先買取権を認めているものです。
 売渡の申出があった場合、文化庁は
30日以内に買取るかどうかを決定し、買い取る場合は、申出のあった予定対価に相当する額で契約が成立したものとみなされ(同条4項)、買い取らない場合は、その旨を申出者に通知します(同条3項)。
 

(5) そんな機会に恵まれることは滅多にないかもしれませんが、相続、寄贈等により、指定文化財取得した場合、新所有者は、指定文化財の取得後20日以内指定書を添えて、所有者の変更の届出提出する必要があります(文化財保護法321項、国宝、重要文化財又は重要有形民俗文化財の管理に関する届出書等に関する規則3条参照)
 所有者変更の届出を怠ると、5万円以下の過料に処せられることがあるので、ご注意ください(同法2032号)。
 また、有償譲渡の際の売渡申出を怠ると、10万円以下の過料に処せられることがあります。(同法2022項)。
 

(6) 昨年11月、文化庁は、所在不明国指定文化財がある旨発表し、世間に衝撃を与えました(全10,524件のうち、所在不明が109件、追加で確認必要な件数が238件。)。
 今年の1月には、新たに国宝2件を含む72件が所在不明になっているとの第2次調査結果を発表しています。その結果、所在不明と判明した文化財180にのぼりました。うち、国宝3で、すべて刀剣だそうです(短刀<銘国光>、太刀<銘吉平>、刀<名物稲葉江>の3振り)。
http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2015012101.pdf#search='%E9%87%8D%E8%A6%81%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1+%E6%89%80%E5%9C%A8%E4%B8%8D%E6%98%8E'
 まさに国の宝ですから、なんとか、対策をとってほしいですね。

2015年11月14日土曜日

徳川美術館の開館80周年記念特別展「全点一挙公開国宝源氏物語絵巻」



1.  日付が変わって、昨日になってしまいましたが、徳川美術館開館八十周年記念特別展として、「全点一挙公開国宝源氏物語絵巻」を開催するということで、式典&内覧会にいってきました。
 

2.  「源氏物語」は、紫式部が発表間もない頃から絵画化されていたとみられるものの現在まで伝わってはいないようで、今回の特別展で展示される源氏物語絵巻が、現存最古のものだとのこと。それも、54帖分すべてが残っているわけではなく、尾張・徳川家に伝来し、徳川美術館が所蔵する915段分の詞書と絵(および絵が失われ詞書のみが残る絵合1段)と、阿波・蜂須賀家に伝来し、五島美術館が所蔵する34分のみが、900の時を経て、現在にまで伝わっているのだそうです(徳川美術館のパンフレットより。ただし、諸家に分蔵される詞書の数行の断簡等はあるそうです)。
 今回の特別展では、「全点一挙公開」とあるように、徳川美術館および五島美術館所蔵の絵巻のほか、東京国立博物館や個人所蔵の断簡もみられます。
 

3.  国宝源氏物語絵巻の原本を拝見するのは、今回が初めてでした。なにしろ900年ですから、経年による変化劣化は著しいものがあると思われますが、緑色や赤色が、比較的鮮やかに残っているところもあります。平安の色彩を復元した模写は、着物の柄や御簾に透ける様まで緻密に描かれていて、それらをみてから原本をみると、描かれた往時の様を想像できたりもします。
 また、NHKニュースでも、取り上げられていましたが、特別展に先立ち行われた修復を通して下絵が発見されたところ、その過程もわかる展示となっていて、大変、興味深かったです。
「全点一挙公開国宝源氏物語絵巻」のパンフレット
  

4.  源氏物語「絵巻」なので、横長長大なはず…と思われるかもしれませんが、現在は、裁断されています。
 式典では、徳川美術館の館長でいらっしゃる徳川義崇氏(尾張徳川家第22代当主)が、19代当主の徳川義親氏が裁断を敢行した際のエピソードなどを披露してくださいました。また、徳川美術館は、尾張徳川家の大名道具を基としていますから、これからも、大名の暮らしを感じることのできるような美術館を目指していきたいという趣旨のことをおっしゃっておられました。
 特別展は、126日までやっているそうです。
 
徳川美術館&蓬左文庫の開館80周年記念式典
 

2015年11月10日火曜日

四日市 ~かつての公害訴訟と共同不法行為論~



1.   名古屋は、今日、小春日和のとても気持ちの良い一日でした。でも、さすがに11月、とっぷりと日が暮れるのは、はやいです。
 

2.(1)  昨日は、所用があり、四日市を訪れました。
  近鉄の四日市駅からJR四日市駅方面に向かって走る中央通り、本当に立派ですね。
                  
ランチによった近鉄百貨店からの眺め

 
(2) 四日市と言えば、石油コンビナートが有名です。

      
こちらも近鉄百貨店からの眺め。煙突と煙がみえます。

石油コンビナートといえば…。四日市の繁栄の基礎ともなり、また、かつては、四日市ぜんそくを引き起こしたこともありました。
 四日市公害訴訟(津地判四日市支昭和47.7.24を含む四大公害訴訟は、昭和42年から44年にかけて、健康被害を受けた住民が加害企業に対し、相次いで提起したもので、いずれも、民法の不法行為の領域の理論の発展を促したといいます(大塚直「7 四大公害訴訟判決」法学教室349・20)。
 特に、四日市公害訴訟は、「共同不法行為論」で有名です。「共同不法行為」って、不法行為論の論点の一つで、特に、関連共同性をめぐる議論については、受験時代、頭を悩ませた記憶があります。かつての通説は、客観的関連共同性説とよばれ、判例もこの立場であるとされています。この説では、関連共同性について、客観的共同関係があればよいとします。これに対し、有力にとなえられたのが、主観的関連共同性説。関連共同性について、客観的共同関係では足りないと、要件を重くしつつ、各人の行為と損害との間の因果関係は不要で、共同行為と損害の間に因果関係が認められればよいとします。さらに、強い関連共同性、弱い関連共同性と、類型化する説もあらわれました。
 四日市公害訴訟判決は、以下のように述べます。

 「共同不法行為が成立するには、各人の行為がそれぞれ不法行為の要件をそなえていることおよび行為者の間に関連共同性があることが必要である」「ところで、右因果関係については、各人の行為がそれだけでは結果を発生させない場合においても他の行為と合して結果を発生させ、かつ、当該行為がなかったならば、結果が発生しなかったであろうと認められればたり当該行為のみで結果が発生しうることを要しないと解すべきである」。
 四大公害訴訟は、この後、日本が、「公害対策立法先進国」になる原動力になったといわれています(前掲大塚)。
 また、損害賠償が認められても、企業が操業をやめなければ、被害はおさまりません。その後の公害訴訟においては、論点が、損害賠償から差止めへと移っていきました(大村敦志「四日市ぜんそく事件()」法学教室353・65)。

 

(3) ところで、私は、四日市というと、萩尾望都さんの「かたっぽのふるぐつ」も思い浮かびます。作品中では、「Y市」とされていて、四日市という具体名はでてこないのですが…。
 特に、ぜんそくで急死したクラスメート渡辺悠君について、担任の先生が、「渡辺は公害に勝てなかったなあ」というと、小学生の主人公が、「先生!ユウはかんぷまさつじゃ公害に勝てないって言ってました。…あれは毒だもの。亜硫酸ガスにはプロレスラーだって勝てない。負ける。」と言い返すシーン。当時の少女漫画では異色で、鮮烈な印象が残っています。
 前述の四日市公害訴訟判決は、とても長いのですが、最後の損害論において、慰謝料の算定で考慮した点として述べられるくだりに、急死された原告の方の話がでてきます…。つい、印象が重なります…。

 
3. 四日市には、昨年、大雨の中、お昼を食べに行ったこともあります。
「浜松茂」さん、素晴らしかったです♪
    
渡り廊下。強く降りしきる雨もまた一興。

7月だったので、アユを焼いてくださいました。