1. 昨日は、節分だったので、豆まきをしました。
加えて、恵方巻きを食べました。恵方を向いて無言で…というのをやっていないので、巻き寿司を食べたという方が、正確かもしれませんが…(笑)。
この恵方巻き、セブンイレブンが仕掛け人と聞きました。近頃、恵方巻きに限らず、ハロウィンとか、小さいころにはなかったのに、風物詩ともいえるくらい認知度が高くなっている季節のイベントがあります…。日本人がイベント好きだから…といわれたりしますが、ご多分に漏れずついやってしまう自分に、「私ってティピカルジャパニーズ?」と自己突っ込みをいれちゃいます(笑)。
加えて、恵方巻きを食べました。恵方を向いて無言で…というのをやっていないので、巻き寿司を食べたという方が、正確かもしれませんが…(笑)。
この恵方巻き、セブンイレブンが仕掛け人と聞きました。近頃、恵方巻きに限らず、ハロウィンとか、小さいころにはなかったのに、風物詩ともいえるくらい認知度が高くなっている季節のイベントがあります…。日本人がイベント好きだから…といわれたりしますが、ご多分に漏れずついやってしまう自分に、「私ってティピカルジャパニーズ?」と自己突っ込みをいれちゃいます(笑)。
2. ところで、私には、節分を前にして、必ずやっていることがあります。
星まつり(星供養)を申し込むことです。
星まつりは、私が小さい頃より、祖母が家族分の申込みをしてくれていたもので、今では、私も申し込まないと気持ちが悪いのですが、どういう意味をもっているのか、よく知りませんでした。昔、祖母にやってもらっていた頃は、人型の紙に息を吹きかけさせられた記憶があり、なんとなく、神事だと思っていました。ネットで調べてみると、やはり、神社でもやっているようです。もっとも、名古屋に来た折に祖母に尋ねたところ、お不動様をお祀りしているお寺でも大丈夫ときき、今は成田山に申し込んでいます。つまり、密教系の祭事でもあるようです。本来は、道教の祭儀とも…(Wiki)。要は、節分に、悪事災厄から免れるよう祈願する…ということだと思います(汗)。
私は、自分で無宗教だと思っており、このように星祭りが神事か密教系かもわからず申し込んでお札をもらっていますし、お正月には神社に初詣、法事は仏教、クリスマスにはツリーを飾り(昔は、ミサにもいっていました)…等と、宗教的に節操のないティピカルジャパニーズです(笑)。ただ、カソリック系ミッションスクールに通っていましたので、キリスト教の薫陶を少し強く受けているほか、シスターを囲んで有志で聖書を読む会をやったりしていくうちに、信仰を持っている人に対する畏敬の念が自然と育ったのではないかと思っています。
宗教的に節操がないというと聞こえが悪いですが、宗教に寛容なのは、日本人のとてもよい誇れるところなのではないかと思っています。
でも、自分が宗教に寛容だからといって、他人の信仰に無神経になってはいけません。他人が信じている神様や預言者を冒涜することは、決してやってはいけないことだと思っています。
信教の自由も(20条1項)、表現の自由も(21条1項)、どちらも大変重要な人権ですが、憲法の授業では、一定の「内在的制約」には服すると習います。
表現の自由が保障されているといっても、無制約ではありえない。法的規制には慎重な議論が必要ですが…。でも、ペンに対しては、ペンで応ずるべきです。ペンに対して剣で応ずるならば、表現の自由に対する萎縮的効果も生じてしまいます…。
異なる文化をもつ外国とどのようにおつきあいをするのか、理解しがたい思想・信仰を持つ人々とどう接していくのか、容易にはこたえが出ない問題です。しかしながら、たとえ普段の生活でそのような問題意識をもつ機会がないとしても、国境を越えて人・カネ・物が動く現代社会において、日本のみが独り我が道を歩いていけるはずはなく、これからは、様々な問題に取り組んでいかざるを得ないのではないか…と思う今日この頃です。
星まつり(星供養)を申し込むことです。
星まつりは、私が小さい頃より、祖母が家族分の申込みをしてくれていたもので、今では、私も申し込まないと気持ちが悪いのですが、どういう意味をもっているのか、よく知りませんでした。昔、祖母にやってもらっていた頃は、人型の紙に息を吹きかけさせられた記憶があり、なんとなく、神事だと思っていました。ネットで調べてみると、やはり、神社でもやっているようです。もっとも、名古屋に来た折に祖母に尋ねたところ、お不動様をお祀りしているお寺でも大丈夫ときき、今は成田山に申し込んでいます。つまり、密教系の祭事でもあるようです。本来は、道教の祭儀とも…(Wiki)。要は、節分に、悪事災厄から免れるよう祈願する…ということだと思います(汗)。
私は、自分で無宗教だと思っており、このように星祭りが神事か密教系かもわからず申し込んでお札をもらっていますし、お正月には神社に初詣、法事は仏教、クリスマスにはツリーを飾り(昔は、ミサにもいっていました)…等と、宗教的に節操のないティピカルジャパニーズです(笑)。ただ、カソリック系ミッションスクールに通っていましたので、キリスト教の薫陶を少し強く受けているほか、シスターを囲んで有志で聖書を読む会をやったりしていくうちに、信仰を持っている人に対する畏敬の念が自然と育ったのではないかと思っています。
宗教的に節操がないというと聞こえが悪いですが、宗教に寛容なのは、日本人のとてもよい誇れるところなのではないかと思っています。
でも、自分が宗教に寛容だからといって、他人の信仰に無神経になってはいけません。他人が信じている神様や預言者を冒涜することは、決してやってはいけないことだと思っています。
信教の自由も(20条1項)、表現の自由も(21条1項)、どちらも大変重要な人権ですが、憲法の授業では、一定の「内在的制約」には服すると習います。
表現の自由が保障されているといっても、無制約ではありえない。法的規制には慎重な議論が必要ですが…。でも、ペンに対しては、ペンで応ずるべきです。ペンに対して剣で応ずるならば、表現の自由に対する萎縮的効果も生じてしまいます…。
異なる文化をもつ外国とどのようにおつきあいをするのか、理解しがたい思想・信仰を持つ人々とどう接していくのか、容易にはこたえが出ない問題です。しかしながら、たとえ普段の生活でそのような問題意識をもつ機会がないとしても、国境を越えて人・カネ・物が動く現代社会において、日本のみが独り我が道を歩いていけるはずはなく、これからは、様々な問題に取り組んでいかざるを得ないのではないか…と思う今日この頃です。