1.いつまでも暑いと思っていのに、あっという間に、コートが必要なくらい寒くなってまいりました。まさに、今年の流行語の候補である「二季」ですね。
2. 宇奈月温泉の再訪と宇奈月温泉事件
(1) まだ、残暑が残る頃、宇奈月温泉を訪れる機会がありました。
宇奈月温泉といえば…。法学部に入学したての頃、篠塚昭次教授の「法学入門」の講座において、権利濫用のリーディングケースとして、信玄公旗掛松事件とともに習った宇奈月温泉事件が、鮮明な記憶として残っています。
というのも、宇奈月温泉には、小学3年生頃にも訪れたことがあって、「宇奈月」(うなづき)という響きが「頷き」(うなずき)を連想させ「なんて楽しい名前なんだろう」と印象深く覚えていたので(頭の中がお花畑でおはずかしいですが…)、その宇奈月温泉が法学の授業ででてきたのが、とても嬉しかったのです(笑)。
ちなみに、篠塚教授の授業はとてもわかりやすかったです。確か、物権変動において公信力説という少数説をとっておられて、直接、授業でお話をうかがうと、当時の私は見事に説得されてしまいました。
(2) さて、宇奈月温泉事件の概要ですが、大正6年頃、黒部鉄道株式会社(Y)が宇奈月温泉のために設置した引湯管について、全長約7、500メートルのうち6メートルがAの土地の約2坪を通過していたところ、XがAからこの土地を譲り受け、隣接するXの土地約3、000坪をあわせて時価の数十倍の価格で買い取ることをYに要求し、Yがこれを拒絶すると、Xが土地所有権に基づき、Yに対して、引湯管の撤去等を求めたというものです。
(3) 大審院(大判昭和10年10月5日民集14巻22号)は、以下のように判示してXの上告を棄却し、第一審、控訴審と同様に、Yが勝訴しました。
「所有權ニ対スル侵害又ハ其ノ危険ノ存スル以上所有者ハ斯ル状態ヲ除去又ハ禁止セシムル爲メ裁判上ノ保護ヲ請求シ得ヘキヤ勿論ナレトモ該侵害ニ因ル損失云フニ足ラス而モ侵害ノ除去著シク困難ニシテ縦令之ヲ爲シ得ルトスルモ莫大ナル費用ヲ要スヘキ場合ニ於テ第三者ニシテ斯ル事實アルヲ奇貨トシ不當ナル利得ヲ圖リ殊更侵害ニ關係アル物件ヲ買収セル上一面ニ於テ侵害者ニ對シ侵害状態ノ除去ヲ迫リ他面ニ於テハ該物件其ノ他ノ自己所有物件ヲ不相當ニ巨額ナル代金ヲ以テ買取ラレタキ旨ノ要求ヲ提示シ他ノ一切ノ協調ニ應セスト主張スルカ如キニ於テハ該除去ノ請求ハ單ニ所有権ノ行使タル外形ヲ構フルニ止マリ眞ニ權利ヲ救済セムトスルニアラス即チ如上ノ行爲ハ全體ニ於テ専ラ不當ナル利益ノ摑得ヲ目的トシ所有權ヲ以テ其ノ具ニ供スルニ歸スルモノナレハ社會觀念上所有權ノ目的ニ違背シ其ノ機能トシテ許サルヘキ範圍ヲ超脱スルモノニシテ權利ノ濫用ニ外ナラス従テ斯ル不當ナル目的ヲ追行スルノ手段トシテ裁判上新会社ニ對シ當該侵害状態ノ除去竝将来ニ於ケル侵害ノ禁止ヲ訴求スルニ於テハ該訴訟上ノ外観ノ如何ニ拘ラス其ノ實體ニ於テハ保護ヲ興フヘキ正當ナル利益ヲ缺如スルヲ以テ此ノ理由ニ依リ直ニ之ヲ棄却スヘキモノト解スルヲ至當トス」
このように、大審院は、Xの請求が認められるとYに「莫大ナル費用」が必要となること等を理由として権利濫用になることを認めた上で、Xの請求を棄却すべきであると判断したのです。
鈴木禄彌教授は、権利濫用法理の問題として取り上げられている諸事例を3つの類型にわけて、上記判決については一種の強制調停の機能をもつ事例(全然権限のない者に対する本来正当な権利の行使が権利濫用とされる場合)であって今日では権利濫用事件の代表的ケースであるとしており(鈴木禄彌「財産法における『権利濫用』理論の機能」法律時報30巻10号)、幾代通教授は、上記判決がこの類型として恐らく最初のものだろうとしています(幾代通「判批」ジュリスト200号)。
つまり、宇奈月温泉事件の上告審判決は、所有権に基づく妨害排除請求にかかる請求原因事実は認められるものの、社会通念(社会観念)に基づいて、当時は明文の規定がなかったにもかかわらず(民法1条3項に「権利ノ濫用ハ之ヲ許サス」という明文が置かれたのは昭和22年の民法改正(法律第222号、昭和23年1月1日施行)によります。)、権利濫用の抗弁を認めたものと考えられます。この点、東裁判官は、信玄公旗掛松事件の「判批」において、公害事件において、差止請求を求める場合に権利濫用を論じるとすれば、原告が被告の権利侵害の主張立証に対し、被告がその侵害は適法であると抗弁で主張立証する際、その適法性の抗弁の中で権利濫用を論じることになるのに対し、宇奈月温泉事件では、土地所有権に基づく妨害排除請求に対し、その所有権行使が濫用であるという事実が独立の要件となっていると指摘しています(東孝行「判批」公害環境判例百選)。もっとも、権利濫用の抗弁については、名古屋高判昭和52年3月28日判タ355号295頁は、「権利濫用の事実(抗弁)は、その基礎となる客観的主観的な事実関係が口頭弁論にあらわれていることで足り、あえて、抗弁として被告が明確に主張することを要するものではないけれども、事実審裁判所が証拠調をした結果、原告の請求が権利濫用にわたると認めた場合には、被告をして右の事実を抗弁として主張するか否かを釈明し、被告が右の主張をした場合には、原告に対しても右の点についての防禦方法を講じさせるなどの処置を経て判決をしなければならないものといわなければならない」と判示しており、かなり特殊な抗弁といわざるを得ないですね。
(4) 今回、宇奈月温泉を再訪し、温泉街にある引湯管の実物(赤松を材料として昭和28年に制作され、昭和54年頃まで使用されていたもの。現在の引湯管は、合成樹脂管となっているそうです。)を初めてみました。その説明文によれば、宇奈月温泉のお湯は、江戸時代に開湯した7キロ上流の黒薙温泉より引湯しており、富山県出身の高峰譲吉博士による黒部川水源開発事業とともに計画されたといいます。
宇奈月駅から黒薙駅を通って猫又駅まで黒部峡谷鉄道(通称トロッコ列車)で往復しましたが、黒部峡谷は、引湯管を少しずらすのにも莫大な費用がかかるだろうなと思わせるような急峻な渓谷です。
「宇奈月温泉木管事件碑」というのもあり、宿泊していた宇奈月温泉のお宿(延楽さん)のご厚意で連れて行っていただきました。問題となった無許可で引湯管が敷設された2坪が「宇奈月温泉木管事件碑」の近辺であったとすれば、現在は侵害の除去に莫大な費用がかかるとは思えませんが、当時の引湯管はトロッコ列車のような感じのところを通っていたのでしょうね。
(5) ところで、大審院の判決って、旧字体とカタカナで、句読点もなく、非常に読みにくいですね…。
実は、先日、日本税法学会中部地区で「社会通念と立証活動~租税法律主義からの観点も踏まえて~」と題してご報告する機会をいただいた関係で、(「社会観念」(社会通念)について言及がある)宇奈月温泉事件を含む複数の大審院の判例を読んだのですが、当たり前ですけれど、最高裁の判例を読むようにはいきません。しかも、報告資料に、宇奈月温泉事件の判決文を載せたのですが、これが大変(笑)。私がもっている判例データベースでは、大審院の判例は、文字おこしがされていないので、自分で打ち込まなければならず(もしかしたら縦書きでもスキャンする方法があるのかもしれませんが…)、旧字体の中には変換候補にでてこないものもあって手書文字入力検索をつかう必要があったりして、少々、労力を要しました。
それにしても、冒頭でも述べましたが、入学直後に宇奈月温泉事件についての講義を受けてから約40年…、たまたま、今年、判決を読み返す機会があった上で、宇奈月温泉を再訪することになるなんて、不思議な縁を感じずにはいられません。
結局、報告資料には含めませんでしたが、やはり、「社会観念」(社会通念)について言及のある信玄公旗掛松事件についても調べたので、明日は、信玄公旗掛松事件についても、少し、書いてみたいと思います。
![]() |
宇奈月温泉の温泉街に展示されている赤松の引湯管 |
![]() |
| 宇奈月温泉から車で10分くらいのところにある 宇奈月温泉木管事件碑 |

