1.総則6項事件と「租税回避」について(続き)
(1) 昨日のブログは、総則6項事件において、「合理的理由」すなわち「実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」というきわめて規範的な「事情」があれば、「租税法上の一般原則」である「平等原則」の例外が認められることから、その事情の中に、租税回避を理由とするものがあれば、結局、法的根拠なき租税回避行為の否認が認められる結果となってしまっているのではないか…という杞憂(笑)でしめくくりました。
それでは、本判決では、何が「実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」として認められたのでしょうか。
まず、「本件各通達評価額と本件各鑑定評価額」との間の「大きなかい離」をもって「実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」があるということはできないと判断されました。つまり、単に、評価通達による申告では時価と大きなかい離が生じてしまうことを理由として、評価通達によらない時価をもって課税庁がする処分は、平等原則違反として、認められないということになります。
そして、本判決において「実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」があるとされたのは、
ⅰ本件購入・借入れにより相続税の負担は著しく軽減されることになったこと
ⅱ本件購入・借入れは「租税負担の軽減をも意図して」行われたこと
が
本件購入・借入れのような行為をせず、又はすることのできない他の納税者との間に看過し難い不均衡を生じさせ、実質的な租税負担の公平に反する
とされたからです。
ここで疑問に思うのが、ⅰについては、「大きなかい離」があれば、誰が本件購入・借入れをしたとしても、評価通達に基づいて申告すると、相続税の負担が著しく軽減される結果となってしまうのではないかということです(借入金や基礎控除による税負担の軽減は誰にでも認められますので…。)。
とすると、結局、ⅱの「租税負担の軽減をも意図して」が重要になってくるのではないか…。
納税する際に、法が許す範囲内で、租税負担を軽減できる方法を選択するのは、本来、自由なはずです。はたして、「租税負担の軽減」の「意図」は、「租税回避の意図」と同じなのでしょうか?
(2) そもそも、 「租税回避」というのは講学上の概念で、法律に定義などはありません。
「租税負担の軽減」というと、「租税回避」と違って、単なる「節税」にもみえるところ、金子宏教授は、「節税(tax saving)」については、「租税法規が予定しているところに従って税負担の減少を図る行為」とするのに対し、「租税回避(tax avoidance)」については、「租税法規が予定していない異常ないし変則的な法形式を用いて税負担の減少を図る行為である」とします。もっとも、「節税と租税回避の境界は、必ずしも明確ではなく、結局、社会通念によって決めざるを得ない」としているのです。また、租税回避行為の否認については、「租税法律主義のもとでは、法律の根拠がない限り租税回避行為の否認は認められないと解するのが、理論上も実務上も妥当であろう。新しい租税回避の類型が生み出されるごとに、立法府は迅速にこれに対応し、個別の否認規定を設けて問題の解決を図るべきであろう。」(『租税法24版』)とされています。
清永敬次教授は、もう少しクリアに、「租税回避(tax avoidance, Steuerumgehung)というのは、課税要件の充足を避けることによる租税負担の不当な軽減又は排除をいう。」としつつ、「租税回避というとき、一般にややもすると、租税回避行為は許されない行為であると考えられがちであるが、これを禁止するための規定がない場合には、租税回避があるからといってこれが税法上否認されることはないのであるから、租税回避行為はその限りで税法上承認されている行為に他ならないと考えるべきものである」(『税法新装版』)とおっしゃっています。
更に、岡村忠生教授は、「租税回避は、課税要件を充足せずに税負担を<軽減する>ことであるとされるが、そのようなことが果たしてありえるのか、税負担は、<軽減された>のではなく、単に最初からその金額だっただけではないのか、と問われたとき、答えはないと思われる。…略…租税回避の研究のためには、まず租税回避が現実に存在することを示さねばならないはずである。しかし、それは、たとえばUFO(空飛ぶ円盤)の存在証明と、何が異なるのだろうか」(「租税回避研究の意義と発展」『租税回避研究の展開と課題』)ともおっしゃっています。
こうやってみてくると、「租税回避」がどういうものかあまりはっきりしない上に、法的根拠なく否認することはやはり難しいのでは…と思ってしまうのです。
(3) ところで、法人税法132条の2の「不当性要件」について濫用基準を採用したといわれるヤフー事件((最判平28・2・29)の最高裁判例解説において、徳地淳=林史高調査官も、同条の不当性要件の解釈に係るヤフーの主張を採用しがたいとするにあたり、「『租税回避』の概念についても、その意味内容は多義的であり、不当性要件の解釈の決め手となるようなものではなく」等と記しています。
ところが、同じ最高裁判例解説において、「租税法律主義は、租税の賦課徴収が、法律の根拠に基づき、法律に従って、行われなければならないとする原則であり、私人にとって将来の予測を可能にし、法的安定を確保することを目的とするものである。そうすると、租税法規が適用されるべき事案であること、あるいは、適用されるべき事案でないことが、関係者に明らかな場合であるならば、租税法規を適用し又は適用しないこととしても、租税法律主義違反の問題は生じないと解される」とした上で、ヤフー事件の最高裁判決が採用した濫用基準が濫用の有無の判断にあたり「租税回避の意図」を要求していることから、「租税回避を意図して組織再編税制に係る各規定の趣旨、目的から逸脱する態様でその適用を受け又は免れた場合」には、「その関係者にとって、組織再編税制に係る各規定が適用されるべき事案であること又は適用されるべき事案でないことは明らかというべきである。」から「これを132条の2により否認することは租税法律主義の目的である予測可能性及び法的安定性の確保を害するものではなく、租税法律主義違反の問題を来すものではない」と記しているのです。
要するに、「租税回避」の概念なんて多義的でよくわかんないよね!と批判しながら、納税者に「租税回避の意図」があれば予測可能性が確保されるから租税法律主義違反の問題なんて生じないんじゃね!といっている?ようにみえるのです…。こわいです…。ヤフー事件は132条の2という個別分野に関する一般的否認規定を適用したもので、租税回避行為の否認に関する事案ではありませんがが…。
(4) そもそも、これは、また日を改めたいですが、租税法律主義のもと、租税法の解釈において、課税庁に有利な一般原理の適用をみだりに認めてよいのでしょうか。
信義則については、最高裁(最判昭和62.10.30)がとても厳しい条件のもとに適用があることを認めています。「信義誠実の原則なり信頼保護の原則なりが問題となる一つの局面は、行政の違法な活動を信頼して行動した私人を保護するということにある」わけですが(塩野宏『行政法Ⅰ』)、金子宏教授は、「納税者が誤った表示をなした場合に、それに対する行政庁の信頼を保護するために信義則の適用が認められるべきか」について「ごく例外的な場合を除いて認められないと解すべきであろう」とされています。
外国税額控除事件(最判平成17年12月19日)においても、事案の説明は避けますが、「本件取引に基づいて生じた所得に対する外国法人税を法人税法69条の定める外国税額控除の対象とすることは,外国税額控除制度を濫用するものであり,さらには,税負担の公平を著しく害するものとして許されない」と判示したのに対し、金子宏教授は「限定解釈を行った例であると理解しておきたい」(『租税法24版』)とされています。
実は、私は同事案はかなり特殊な事例で、裁判所が苦慮しつつ判断を下したものであり、先例性に乏しいのかと思っていました。
ところが、やはり、ヤフー事件の最高裁判例解説では、同事件の濫用基準は、外国税額控除事件判決の「制度濫用」の評価の基礎とされた内容が「参考にされたものと考えられる」と書いてあるのです。
(5) 総則6項事件について 中里実教授は、「本件は、通常の感覚の持ち主であれば、他の納税者との間に『看過しがたい不均衡を生じさせ、実質的な租税負担の公平に反する』(本判決)という感覚をいだくことがありうるのではないかと思われる事案である。そうであるからこそ、最高裁で納税者が敗訴したのであろう。」(「租税法の難問【第35回】」税務弘報2023・2)とした上で、「もちろん、納税者のような考え方を正当と考える論者も存在するであろうから、その点について批判するつもりはないが、しかし、本件納税者の出訴、敗訴により、実務上、他の納税者が多大な迷惑を被っているという点だけは無視するわけにはいかないであろう。」とまで書いておられます。
確かに、既に述べたように、「平等原則」とか、「実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」とかいう曖昧な基準で、租税回避の否認が認められた結果にみえてしまうのは、とてもこわいことです。本判決を何度読んでも、高齢になったら借入れして不動産投資などすると租税回避と認定される恐れがあるのか(亡くなる何年くらい前に購入していれば。「近い将来発生することが予想される被相続人からの相続」といわれないのか)、相続人としては、相続税の費用を捻出したいこともあるはずけど、本件で一つをすぐに売却したことは「事情」に考慮されているのか…などなど…どこからアウトになるのかが極めてわかりにくいように思います。
ただ、通常の感覚の持ち主であれば「実質的な租税負担の公平に反する」という点については、確かに…高齢だし…片方は売っちゃったし…なによりも、相続税がゼロになっちゃっているし…とも思う反面、それは、究極的には「実質的な租税負担の公平に反するというべき事情」ではないとされた評価通達と時価の「大きなかい離」によるものであり、実際にも、最高裁判決を受けて、先日、「『タワマン節税』と呼ばれる相続税の軽減策をめぐり、国税庁は30日、新たな算定ルール案を発表した。マンションを相続する場合、相続税の算定根拠となる評価額が時価(市場価格)を大きく下回っていることへの対応で、評価額を階数などを加味した市場価格の6割以上にするのが柱だ。」(令和5年7月1日付朝日新聞)と報道された通り、本来は、その大きなかい離を是正すべく、国税庁がすみやかに評価通達を改正すべきだったのではないか…。利にさとい納税者は改正前には税負担の軽減に成功してしまうわけですが、それを納税者に帰責して否認してよいのか、疑問を禁じ得ません。
金子宏教授は、1978年初出の著作(「租税法と私法-借用概念及び租税回避について-」)において、「新たな租税回避の類型が生み出された場合に、それに対して否認規定ないし対処規定が設けられると、前述のように、納税者は、自己の行為をそれにアジャストさせ、その適用を避けつつ、その外側の安全地帯において租税回避の試みを繰り返すことが少なくない。これに対処するためにさらに新たな立法がなされ、このような無限のサークルの中で租税法規はますます複雑化することになる。しかし、租税法規の複雑化は、おそらく、現代国家の租税制度の一つの宿命であって、今日のように、税負担が重く、しかも租税がわれわれの経済生活のあらゆる局面と密接な関連を持っている時代においては、税負担に関する法的安定性と予測可能性を重視することが不可欠であり、そして法的安定性と予測可能性を重視する限りは、租税法規の複雑化は避けることができないと思われる。」と書いておられます。