2018年2月25日日曜日

杉本昌隆七段のトークショー ~藤井聡太六段と故村山聖九段の終盤力~


1. 週末に、大学院の口試がありました。私のゼミでは、全員、無事、修士課程を修了できそうで、ホッとしています。



2.(1) ところで、この週末には、藤井聡太六段の師匠である杉本昌隆七段のトークショーにもいってきました。


(2) 最近、将棋ブームですよね。
 私は、もちろん、観る将です。
 ただ、一応、俄かではなく(笑)、ニコニコで棋戦を中継するようになった頃から、時々みることはありました。でも、やっぱり、藤井六段の出現で、一気にみる回数が増えましたね。
 インターネット観戦が主ですが、実際に公開対局をみにいったことも、2度ほどあります。最初は、5年ほど前、ポートメッセなごやで羽生二冠がJT杯にでられたとき。羽生二冠は、見事、勝利され、なぜか、勝利された棋士だけが、なんと、観戦者全員と握手してくださった記憶です。2回目は、先日の朝日杯。東桜会館の2日目で、藤井四段(当時)が澤田六段と佐藤天彦名人に勝利され、驚天でした。



(3) ところで、私はまったく将棋をささないのかというと、ほんの少しさしていたことがあります(さしていたというほどのものでないかもしれませんが…)
 兄が小学校高学年、私が小学校低学年の頃です。当時、小学生男子の間で、将棋が流行っていたのでしょうか、兄が将棋にはまって、祖父に脚付きの将棋盤を買ってもらったことがありました。その頃、兄に、駒の動かし方と穴熊の組み方だけ教えられたのです。今思えば、兄は穴熊攻略を練習したかったのでしょうね。
 それから時がたち、兄が高校生、私が中学生の頃だったと思うのですが、突然、兄とその家庭教師によばれ、「指してみろ」といわれたことがあります。当時の兄の家庭教師は、東大の将棋部所属で、「駒の動かし方を知っているだけの初心者なら、王将だけで勝てる。」とおっしゃったようで、私に白羽の矢がたったわけです。私は、その頃には、穴熊の組み方もうろ覚えになっていましたが、何とか、穴熊囲いらしきものができたと思います。やることもなくなり、将棋を終わらすには、私が、相手の王をつまさなければならない…。でも、なにしろ、かつて兄とさしたときには、
100%負けていたので、つます技術はゼロでした(私が勝つというプログラムは組まれていない(笑))。どのように駒を動かしていたのか、まったく記憶はありません。ただ、最初に、一歩をとられたのを皮切りに、あっという間につまされしまいました。この体験は、強烈な衝撃だったようで、将棋や囲碁に強い憧れを残したのではないでしょうか。


(4) 話を杉本七段のトークショーに戻すと、お話はどれもおもしろかったのですが、一番印象に残ったのは、質疑応答で、故村山聖九段にふれたくだりでしょうか。
 杉本七段は、故村山聖九段とお年が近く、故村山聖九段は自分にも他人にも厳しかった等の思い出を語られた上で、藤井聡太六段の終盤力について、「よく、谷川浩司九段の光速の寄せに例えられるが、自分としては、村山聖さんの方が思い出される。」という趣旨のことをおっしゃられました。杉本七段は、村山聖さんのご両親と年賀状のやりとりをしており、その際、同じような趣旨のことを書いたことがあるともおっしゃっていました。「終盤は村山に聞け」とその終盤力をたたえられる村山聖さんですが、その現役時代は存じ上げません。でも、かつて、「聖の青春」を読んで、大泣きしたことがあった私は、思わぬところで早逝の天才と現在話題の天才とのつながりを聴くことができ、感激してしまいました。
 また、「藤井聡太六段が、『強くなることが僕の使命』といっているが、その『使命』はどこからくるものか」という趣旨の質問に対しては、杉本七段は「それは私が藤井にいっていることです。彼はあれだけの才能の持ち主なので、将棋を強くなる使命がある。今日のようにイベントにでたりするのは、私がやればいい。」等とおこたえてになっておられました。
 藤井聡太六段はきっと師匠のおっしゃる通り類稀なる才能の持ち主なのだろうと推察いたしますが、杉本七段のような素晴らしい師匠に恵まれたことも、藤井聡太六段の今日の活躍を支えているに違いない…と思いを致した週末でした。

トークショーでの杉本昌隆七段。
なお、「弟子・藤井聡太の学び方」も
面白く読ませていただきました。
特に、藤井六段の兄弟弟子の話が
心に残りました。

 

      2012年10月にポートメッセなごやで行われた
  将棋日本シリーズJTプロ公式戦
  (羽生二冠vs佐藤康光九段)。


こちらは、囲碁のイベントにて。
(2012年8月)
当時四冠だった井山裕太七冠。
囲碁も観戦するのですが
私にとっては、将棋よりも難しいです。