2015年2月28日土曜日

海遊館セクハラ訴訟(最判平成27年2月26日)について


1. 名古屋市東区にある天神様の梅が咲き始めています。
 梅の花って、未だ春浅い時期に良い香を漂わせて咲き、素敵ですよね。 桜とはまた違った魅力があります。 何となく「梅は咲いたか。桜はまだかいな。」というフレーズが、頭に浮かんできました。
 どこで耳にしたのか…。よくわからず、ネットで調べてみると、端唄で、芸妓さんを暗喩しているとのこと。
 びっくりです…。

    
 
七尾天神の梅
 
2. 一昨日、海遊館セクハラ訴訟の最高裁判決(最判平成27年2月26日)がでました。  
http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/883/084883_hanrei.pdf
 事案は、男性従業員X1、X2が、それぞれ、複数の女性従業員に対してセクハラ(セクシュアル・ハラスメント)発言をしたこと等を懲戒事由として、Y社から、出勤停止の懲戒処分を受けるとともに、降格された(結果として相応の給与上の不利益を伴います。)ことから、出勤停止処分は懲戒事由の事実を欠き、または、懲戒権を濫用したものとして無効であり、降格無効であるなどとして、無効確認等を求めたというものです。
 問題となったセクハラ発言ですが、最高裁判決の末尾に、別紙1・別紙2として、まとめて、記載されています。
 これを読むと、「アウトでしょう。」と思うのは、私が女性だからでしょうか、それとも、職業柄でしょうか。 
 ちなみに、X1、X2は、私とほぼ同年代です。
 セクハラをした側は、その認識に乏しく、処分を受けた後も、反省するどころか、開き直り、逆切れすることが、往々にしてあると指摘されたりしていますが、本件は、まさに、そういうケースではないか…とも思えます。
 もっとも、別紙1・別紙2の発言は、控訴審が認定したもので(最高裁は事実認定しません。)、第一審判決、控訴審判決をみてみると、X1、X2とも、Y社が懲戒事由とした事実そのものについて、争っています(処分がなされる前にX1らがY社に提出した確認書では、大筋、認めているようにも思えますが…)

 
 
3. 本件では、上述のとおり、Y社の処分の有効性等が争われたのですが、裁判所の判断は、第一審・最高裁と控訴審とで、わかれました。
 第一審(大阪地判平成25年9月6日)は、Y社が懲戒事由とした事実の多くを認め、出勤停止処分は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当だから、有効であり(労働契約法15条)、したがって、降格も有効である等として、X1らの請求を棄却しました。

 ところが、控訴審(大阪高判平成26年3月28日)は、X1らは、女性従業員から明白な拒否の姿勢を示されておらずその言動が女性従業員から許されていると誤信していたこと、懲戒を受ける前にY社から事前に警告や注意等を受けていなかったこと、などを考慮すると、懲戒解雇の次に重い出勤停止処分は重きに失し、社会通念上相当とは認められず、手続きの適性を欠くとのX1らの主張について判断するまでもなく、権利の濫用として無効であり、降格もまた無効である等と判示しました。
 これに対し、最高裁は、以下のように述べた上で、出勤停止処分は、社会通念上相当であり、Y社は懲戒権を濫用していないから、有効であり、降格も有効である等と判示しました。すなわち、X1について、「極めて露骨で卑わいな発言等を繰り返すなどした」、X2については、「著しく侮蔑的ないし下品な言辞で」侮辱、困惑させた等とした上で、X1ら発言内容は、「いずれも女性従業員に対して強い不快感嫌悪感ないし屈辱感等をあたえるもので、職場における女性従業員に対する言動として極めて不適切なものであって、その執務環境を著しく害するものであったというべきであり、当該従業員らの就業意欲の低下能力発揮の阻害を招来するものといえる。」、また、控訴審が、女性従業員から明白な拒否の姿勢が示されておらず、許されていると誤信したなどとしていた点について、「職場におけるセクハラ行為については、被害者が内心でこれに著しい不快感や嫌悪感を抱きながらも、職場の人間関係の悪化等を懸念して、加害者に対する抗議や抵抗ないし会社に対する被害の申告を差し控えたりちゅうちょしたりすることが少なくないと考えられること」等から、X1らに有利にしんしゃくすることは相当でない。



 
4.  ところで、ご高承の通り、セクハラというのは、そう昔からある言葉ではありません。
 「セクシャル・ハラスメント」が「新語・流行語大賞」の新語部門の金賞に選ばれたのは、平成元年(1989年)のこと。
 欧米では、既に社会問題として認識されていたそうですが、その後、日本においても、「セクハラ」という言葉は、あっという間に浸透していったと思います。でも、セクハラ言動に関する適切な認識が醸成しているかは、別問題のようです。
 今日では、セクハラは、日本で造語された「パワハラ」と並んで、企業が取り組むべき重要な課題の一つであるといえましょう。
 いわゆる均等法111は、事業主に対し、職場における性的言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置義務を課していますし、厚生労働省はこれに関する指針(平成18年厚生労働省告示第615条)をだしています。
 海遊館訴訟の事案では、性的な要求はありませんでしたし、性的な行動(ボディタッチなど)ではなく、性的な発言(セクハラ発言)が主として問題となっています。しかしながら、最高裁は、上記のとおり、セクハラ発言に対し、極めて厳しい評価を下しました。しかも、セクハラの被害者が明白な拒否の姿勢を示さなかったため、加害者が許されていると誤信していたとしても、これを加害者に有利に斟酌すべきでないとしたのです。
 コンプライアンスの観点からは、セクハラ事案において、加害者は、ことほど左様に、被害者と認識のずれがあり得ることを前提にした上で、態度で示されなくてもセクハラ言動を控えることができるよう、従業者全員の認識を高めるべく、社内教育の実施等、適切な措置を講じた上で、セクハラ言動を許さない姿勢を明確に示し、その義務を果たしていかなければならない…といえるでしょう。

2015年2月20日金曜日

愛知県弁護士会インドネシア視察旅行


1. 平成27年2月12日から17日まで、愛知県弁護士会国際委員会インドネシア視察旅行に参加してまいりました。
 

2. インドネシアを訪れるのは、今回で2回目ですが、前回の訪問は、実に四半世紀前…。
 現在のインドネシアの概要について、少し触れると…。
 インドネシアの2013年度の名目GDP(IMF)は、約8703億USドルで世界第16位東南アジアではトップです(ちなみに、日本は、約4兆8985億USドルで世界第
3位)。
 もっとも、インドネシアは、日本の約5倍となる約189万平方キロメートルの面積を有し、その人口も、約2.49億人(インドネシア政府統計)と、中国、インド、アメリカに次ぐ世界第4位の規模であることから、一人当りのGDP(IMF)では、3509USドルと、世界第116位になっています(ちなみに、日本は、約38467USドルで世界第24位です)。
 首都ジャカルタの人口は約960万人(2010年インドネシア政府統計)ですが、首都圏となると、約2600万人まで増加するとか…(JICAのHP)。
 ジャカルタは、想像していた以上の大都会でした。
 高層ビルが林立し、道路にはきれいな日本車があふれ(自動車もバイクも90%以上が日本製だといいます…)、渋滞、渋滞、渋滞…。
 少し車で走ると、違った街の顔も…。
 現在、インドネシアは雨季。空港でみたテレビでは、ジャカルタの洪水を報道していました。
   
ジャカルタの朝

 
3. 今回、訪問した先は、以下の通りです(訪問順)。

ジャカルタ地方裁判所

インドネシア統一弁護士会(PERADI)

ジャカルタジャパンクラブ(JJC)

ガジャマダ大学名古屋大学インドネシア・日本法律研究センター
 

 訪問の詳細については、事務所通信として、発信したいと思っています。
 また、インドネシアのお土産等、やわらかい話題については、おいおい、このブログで取り上げたいと思っています。

→<後記>事務所通信第5号に載せました。

    http://www.hisaya-ave.com/jimushotsushin5/tsushin5.pdf

2015年2月6日金曜日

著作権法の改正(旧著作権法による保護、電子書籍に対応した出版権の整備等)


1.  今日、お昼に久屋大通りを歩いていたら、スミレ(?)が咲いていました。
まだまだ寒い日が続きますが、春の訪れも近いということでしょうか…。

 
久屋大通り公園に咲いていたスミレ(?)
 
まったくもって見にくいですが、手前にスミレ(?)が…


2.  先日、樹齢400年を超えるものもある盆梅をみて…ということで、盆栽の著作権について思うことを気ままに云々と書きましたが、著作権の保護期間についての記載が抜けていたなあと思いました。

(先日のブログ↓)

 現行著作権法は、昭和45年にそれまでの著作権法(明治32年法律第39号。明治32年7月15日施行。以下、「旧法」といいます。)を大改正して制定されました(昭和45年法律第48号。昭和46年1月1日施行。以下、「現行法」といいます。)。現行法附則2条1項は、「改正後の著作権法(…)中著作権に関する規定は、この法律の施行の際現に改正前の著作権法(…)による著作権の全部が消滅している著作物については、適用しない。」としています。なお、現行法の著作権の保護期間は、創作のときにはじまり、原則として、著作者の死後50年となっています(現行法51条)。
 旧法は、「文書演述図画建築彫刻模型写真演奏歌唱其の他文芸学術もしくは美術(音楽を含む以下之に同じ)の範囲に属する著作物の著作者はその著作物を複製するの権利を専有す」(旧法1条)と規定しています。また、「本法施行前に著作権の消滅せざる著作物は本法施行の日より本法の保護を享有す。」(旧法47条)とし、保護期間については、「発行又は興行したる著作物の著作権は著作者の生存間及び其の死後三十年間継続す」(旧著作権法3条1項)等と規定されていました。
 樹齢400年を超える盆栽が旧法上の「著作物」にあたるとしても、旧法施行時(明治32年7月15日)に著作権が消滅していると、そもそも、旧法の保護対象とはなりませんし、現行法施行時(昭和46年1月1日)に著作権がすべて消滅していると、現行法は適用されないものと思量されます。
 

3. ところで、現行法の制定は、前述の通り、昭和45年であり、昨今の急激なデジタル化、ネットワーク化という時代の変化を受けて、近時、改正が相次いでいます。
 直近の改正は、昨年(平成26年)の電子書籍に対応した出版権の整備等を内容とするもので、今年(平成27年)1月1日に施行されました。

(平成26年改正に係る文化庁のホームページ↓)

 本の出版・販売というのは、「原作」等の「伝達」を行っているといえますが、現行法上、出版者には、著作者の権利も著作隣接権も与えられていません(文化庁長官官房著作権課「著作権テキスト」参照)。
 著作権者は、著作物について、「出版権」を「設定」できるとしているのみです(現行法79条)。
 今回の改正では、この「出版権」について、電子書籍に対応した整備がなされたということです(その他に、今回の改正では、視聴覚的実演条約実施に伴う規定の整備が行われています)。
 具体的には、出版権の内容として、紙媒体による出版のみならず、CD-ROM等記録媒体による出版や、インターネット送信による電子出版を行う権利が加えられました。これにより、インターネット送信による電子出版を行う権利を出版権の内容として設定していれば、出版者自らインターネット上の海賊版に係る差止請求をできるようになりました。
 詳細については、上記文化庁のホームページをご覧いただければと思います。

2015年2月4日水曜日

節分に…


1.  昨日は、節分だったので、豆まきをしました。
 加えて、恵方巻きを食べました。恵方を向いて無言で…というのをやっていないので、巻き寿司を食べたという方が、正確かもしれませんが…(笑)。
 この恵方巻き、セブンイレブンが仕掛け人と聞きました。近頃、恵方巻きに限らず、ハロウィンとか、小さいころにはなかったのに、風物詩ともいえるくらい認知度が高くなっている季節のイベントがあります…。日本人がイベント好きだから…といわれたりしますが、ご多分に漏れずついやってしまう自分に、「私ってティピカルジャパニーズ?」と自己突っ込みをいれちゃいます(笑)。

    


 
2.  ところで、私には、節分を前にして、必ずやっていることがあります。
 星まつり(星供養)を申し込むことです。
 星まつりは、私が小さい頃より、祖母が家族分の申込みをしてくれていたもので、今では、私も申し込まないと気持ちが悪いのですが、どういう意味をもっているのか、よく知りませんでした。昔、祖母にやってもらっていた頃は、人型の紙に息を吹きかけさせられた記憶があり、なんとなく、神事だと思っていました。ネットで調べてみると、やはり、神社でもやっているようです。もっとも、名古屋に来た折に祖母に尋ねたところ、お不動様をお祀りしているお寺でも大丈夫ときき、今は成田山に申し込んでいます。つまり、密教系の祭事でもあるようです。本来は、道教の祭儀とも…(Wiki)。要は、節分に、悪事災厄から免れるよう祈願する…ということだと思います(汗)。
 私は、自分で無宗教だと思っており、このように星祭りが神事か密教系かもわからず申し込んでお札をもらっていますし、お正月には神社に初詣、法事は仏教、クリスマスにはツリーを飾り(昔は、ミサにもいっていました)…等と、宗教的に節操のないティピカルジャパニーズです(笑)。ただ、カソリック系ミッションスクールに通っていましたので、キリスト教の薫陶を少し強く受けているほか、シスターを囲んで有志で聖書を読む会をやったりしていくうちに、信仰を持っている人に対する畏敬の念が自然と育ったのではないかと思っています。
 宗教的に節操がないというと聞こえが悪いですが、宗教に寛容なのは、日本人のとてもよい誇れるところなのではないかと思っています。
 でも、自分が宗教に寛容だからといって、他人の信仰に無神経になってはいけません。他人が信じている神様や預言者を冒涜することは、決してやってはいけないことだと思っています。
 信教の自由も(201項)、表現の自由も(211項)、どちらも大変重要な人権ですが、憲法の授業では、一定の「内在的制約」には服すると習います。
 表現の自由が保障されているといっても、無制約ではありえない。法的規制には慎重な議論が必要ですが…。でも、ペンに対しては、ペンで応ずるべきです。ペンに対して剣で応ずるならば、表現の自由に対する萎縮的効果も生じてしまいます…。
 異なる文化をもつ外国とどのようにおつきあいをするのか、理解しがたい思想・信仰を持つ人々とどう接していくのか、容易にはこたえが出ない問題です。しかしながら、たとえ普段の生活でそのような問題意識をもつ機会がないとしても、国境を越えて人・カネ・物が動く現代社会において、日本のみが独り我が道を歩いていけるはずはなく、これからは、様々な問題に取り組んでいかざるを得ないのではないか…と思う今日この頃です。