1. 今日から10月になりましたので、先月のことになってしまいましたが、9月12日から17日まで、愛知県弁護士会国際委員会のウズベキスタン共和国視察旅行に行ってきました。
ウズベキスタン視察旅行記を、事務所通信第3号に載せましたので、ご覧ください。
訪問先のCOLIBRILAWやタシケント国立法科大学日本法教育センター等のみならず、ウズベキスタンの司法制度や、弁護士アドボカート(Advocate、адвокат)とユリスト(Jurist、юрист)の違い、原則、土地私有制が認められていないこと等にも、少し触れてあります。
ウズベキスタン視察旅行記を、事務所通信第3号に載せましたので、ご覧ください。
訪問先のCOLIBRILAWやタシケント国立法科大学日本法教育センター等のみならず、ウズベキスタンの司法制度や、弁護士アドボカート(Advocate、адвокат)とユリスト(Jurist、юрист)の違い、原則、土地私有制が認められていないこと等にも、少し触れてあります。
2. ところで、 ウズベキスタン共和国というと、皆さん、どのようなイメージを持っていらっしゃるでしょうか。
ウズベキスタン共和国には、名古屋大学の日本法教育研究センターがあるのですが、その学生さんたちが、日本に短期留学した際、日本人に、「ウズベキスタン人です。」と自己紹介すると、「ああ、あのターバン巻いている?」(アフガニスタンと間違えているものと思われます…)とか、「え?パキスタン?」とか、言われたと苦笑していました。
「スタン」というのは、ペルシャ語で「国、地域」を表すそうで(「ウズベキスタン」は、「ウズベク人の国」ということになります。)、確かに、ウズベキスタンの周りには、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン等々、「スタン」でおわる国名の国が他にもあります。
個人的には、ウズベキスタンというと、シルクロードの要衝にあり、ティムール帝国の首都であったサマルカンドがある国というイメージが強く、その他は、旧ソ連から独立した国であることや、以前、NHKドキュメントでみた「スザニ」(手刺繍をほどこした布)が印象に残っていたくらいでしょうか…。
あと、ウズベキスタンというと砂漠のイメージがあり(実際、キジルクム砂漠があります。)、ウズベク人は遊牧民族なのかと勝手に思っていたのですが、基本的に農耕民族であり、旧ソ連時代には、綿花栽培が盛んだったとのこと。
ウズベキスタンに着いた際、並ぶ列も定かでない混乱に満ちた入国審査を体験し、どうなることかと心配しましたが、少なくとも、滞在中出会ったウズベキスタンの方々の中には、日本人と同じ農耕民族で親近感がわくからでしょうか、日本人的な気遣いを感じることもありました。
ウズベキスタン共和国には、名古屋大学の日本法教育研究センターがあるのですが、その学生さんたちが、日本に短期留学した際、日本人に、「ウズベキスタン人です。」と自己紹介すると、「ああ、あのターバン巻いている?」(アフガニスタンと間違えているものと思われます…)とか、「え?パキスタン?」とか、言われたと苦笑していました。
「スタン」というのは、ペルシャ語で「国、地域」を表すそうで(「ウズベキスタン」は、「ウズベク人の国」ということになります。)、確かに、ウズベキスタンの周りには、カザフスタン、タジキスタン、トルクメニスタン等々、「スタン」でおわる国名の国が他にもあります。
個人的には、ウズベキスタンというと、シルクロードの要衝にあり、ティムール帝国の首都であったサマルカンドがある国というイメージが強く、その他は、旧ソ連から独立した国であることや、以前、NHKドキュメントでみた「スザニ」(手刺繍をほどこした布)が印象に残っていたくらいでしょうか…。
あと、ウズベキスタンというと砂漠のイメージがあり(実際、キジルクム砂漠があります。)、ウズベク人は遊牧民族なのかと勝手に思っていたのですが、基本的に農耕民族であり、旧ソ連時代には、綿花栽培が盛んだったとのこと。
ウズベキスタンに着いた際、並ぶ列も定かでない混乱に満ちた入国審査を体験し、どうなることかと心配しましたが、少なくとも、滞在中出会ったウズベキスタンの方々の中には、日本人と同じ農耕民族で親近感がわくからでしょうか、日本人的な気遣いを感じることもありました。
きれいに並べられたドライフルーツ。とても美味しかったです。 |
3. ウズベキスタンで、民家(名古屋大学の卒業生の方のご実家)にうかがう機会がありました。
当の卒業生の方はいらっしゃらず、しかも、大勢でうかがったにもかかわらず、大層、大層、歓迎してくださいました。
ウズベキスタンのお料理は、牛、羊等のお肉料理は少々脂っこいですが、付け合せにたくさんの野菜がでてくるので、意外にヘルシーです。
当の卒業生の方はいらっしゃらず、しかも、大勢でうかがったにもかかわらず、大層、大層、歓迎してくださいました。
ウズベキスタンのお料理は、牛、羊等のお肉料理は少々脂っこいですが、付け合せにたくさんの野菜がでてくるので、意外にヘルシーです。
招き入れられた部屋のテーブルには既に豪華な盛り付けが… |
最後の〆は、プロフ(ピラフのようなお米料理)。
プロフ♪ |
心づくしの手料理は、どれも、とてもおいしかったです!!!
お酒については、ウズベキスタン人は、イスラム教徒にもかかわらず、旧ソ連時代、ウオッカを飲めないと出世できなかった(?)とかで、飲まれる方が多かったように思います。うかがったお宅でも、ご主人は、お酒を飲まれました。その飲み方が、ロシア式…。ウオッカについては、乾杯すると一気飲みしなければなりません。乾杯は、一度ならず、何度も行われ、皆で立ち上がって乾杯しては一気飲みし、空になったグラスを頭で振ってみせるから大変…。でも、これが、盛り上がるんですね。私は、しっかり、コーラでごまかしましたが(申し訳ない…)、乾杯するほどに、ウズベキスタン人と日本人の垣根がなくなっていくようで、お酒の力ってすごいなと思いました。
帰り際には、お土産までいただいてしまって、そのおもてなしに、大変、大変、感激しました。
こちらは、レストランでいただいたウズベキスタンの赤ワイン。 なんとメルロー(BAGIZAGAN社)。 ウズベキスタン伝統の甘いワインではありませんでした。 |
4. ウズベキスタンは、親日的な国と言われます。
日本が第二次世界大戦で敗戦した後、いわゆるシベリア抑留者のうち、約2万5000人もの日本人が、ウズベキスタンに連行され、ウズベキスタン全域で、強制労働に従事したといいます。
その際、日本人は、勤勉によく働き、ウズベキスタンの人々に感銘を与えたそうです。
抑留者の方の中には、悲しいことに、日本の地を踏むことなく、ウズベキスタンで亡くなった方もおられたため、ウズベキスタン各地には、日本人墓地があります。
ウズベキスタン訪問前に読んだ「ウズベキスタンの桜」(中山恭子著)や「シルクロードの青の都に暮らす」(胡口靖夫著)には、日本人墓地をめぐるウズベキスタンの方々の心温まる対応が記されています。
日本が第二次世界大戦で敗戦した後、いわゆるシベリア抑留者のうち、約2万5000人もの日本人が、ウズベキスタンに連行され、ウズベキスタン全域で、強制労働に従事したといいます。
その際、日本人は、勤勉によく働き、ウズベキスタンの人々に感銘を与えたそうです。
抑留者の方の中には、悲しいことに、日本の地を踏むことなく、ウズベキスタンで亡くなった方もおられたため、ウズベキスタン各地には、日本人墓地があります。
ウズベキスタン訪問前に読んだ「ウズベキスタンの桜」(中山恭子著)や「シルクロードの青の都に暮らす」(胡口靖夫著)には、日本人墓地をめぐるウズベキスタンの方々の心温まる対応が記されています。
タシケントの日本人墓地。 |
日本人抑留者が建設にかかわり タシケントを襲った大地震でも壊れなかったというナヴォイ劇場。 |