1. 今年の干支は、亥。
ということで、亥に因んで、猪子石の神明社にお参りにいってきました。
ところで、昔から疑問に思っていたのは、猪突猛進といわれるくらいの猪が、どうして、例のレースで神様に到着するのが最後になってしまったのかということ。牛と鼠の話は有名ですが、猪はゴールを通り過ぎてしまい戻ったからだなんて話もあるようで…。ただ、十二支の起源は古く、動物が割り当てられたのは、後になってから…「亥」には、「とざす」という意味があるそうです。
ということで、亥に因んで、猪子石の神明社にお参りにいってきました。
ところで、昔から疑問に思っていたのは、猪突猛進といわれるくらいの猪が、どうして、例のレースで神様に到着するのが最後になってしまったのかということ。牛と鼠の話は有名ですが、猪はゴールを通り過ぎてしまい戻ったからだなんて話もあるようで…。ただ、十二支の起源は古く、動物が割り当てられたのは、後になってから…「亥」には、「とざす」という意味があるそうです。
2. 猪子石(「いのこいし」地元では「いのこし」とも…)の神明社は、承和14(847)に創建され、江戸初期に水汲坂(現在の香坂。「猪子石神社」があるところ?)から現在地(名鉄引山バスターミナルの近く)へ遷座されたという古い神社です。 神明社ということで天照大御神をご祭神とし、また、「亥の子」(猪の子)信仰に因んだ五穀豊穣・子孫繁栄や境内の末社である龍耳社に因んで耳の神様として信仰されています。「亥の子」信仰とは、神明社の案内によれば、日本の民俗信仰に見える田の神とのこと。イノシシが一度に十二匹の子どもを産むとされるところから、多産の神として信仰されるようになり、後に、農業と結びついて豊穣の神とされるようになったそうです。
また、神明社の西にある「猪子石神社」には、猪に似ている石、「牡石」が(この牡石は「触ると祟る」といわれているそうです!)、神明社の西南にある「大石神社」には、やはり猪に似ている「牝石」が、それぞれ、祀られています。土着の信仰としては、これらの方が古かったのかもしれませんね。
無料で公開されている神明社資料館には郷土文化財「おまんと(馬の塔・御馬塔)」の馬標(ダシ)などが展示されていました。「おまんと」というのは初めて聞きましたが、古く室町末期に始まり、以後、尾張から西三河でおこなわれきた風習だそうで、馬の頭や背に標具を立て、首や胴体を豪華な馬具で飾り、村旗などが2列縦隊で行進し、所々で火縄銃を発砲し、神社に参詣し、棒の手を奉納する祭礼です。なんとも勇壮な感じですが、戦国時代の農民の戦技が神事と結びついて発達したのではないかといいます。神明社で行われたのは、平成3年が最後だそうです。
また、神明社の西にある「猪子石神社」には、猪に似ている石、「牡石」が(この牡石は「触ると祟る」といわれているそうです!)、神明社の西南にある「大石神社」には、やはり猪に似ている「牝石」が、それぞれ、祀られています。土着の信仰としては、これらの方が古かったのかもしれませんね。
無料で公開されている神明社資料館には郷土文化財「おまんと(馬の塔・御馬塔)」の馬標(ダシ)などが展示されていました。「おまんと」というのは初めて聞きましたが、古く室町末期に始まり、以後、尾張から西三河でおこなわれきた風習だそうで、馬の頭や背に標具を立て、首や胴体を豪華な馬具で飾り、村旗などが2列縦隊で行進し、所々で火縄銃を発砲し、神社に参詣し、棒の手を奉納する祭礼です。なんとも勇壮な感じですが、戦国時代の農民の戦技が神事と結びついて発達したのではないかといいます。神明社で行われたのは、平成3年が最後だそうです。
猪の子神明社 |
おまんと |
猪子石神明社の御朱印 |