2017年5月8日月曜日

IBM事件と要件事実論 ~その3~


1. 2回にわたって、少しでも理解が深まればと、専ら自らの頭の整理のために、「IBM事件と要件事実論」と題してブログを書いてみましたが、結局、あまり、すっきりとしませんでした(笑)。
 → その1
   その2

 つくづく、理解&実力不足を感じます(涙)。

2. 予定していなかったけど、3回目の今日は、「規範的要件」の評価根拠事実をどのように位置付けるかに係る主要事実説vs間接事実説をもう少し掘り下げてみようと思います。
 そこで、弁論主義の簡単な説明からはじめます。避けて通りたいと思ったけど、やっぱり、避けられないかなと…(汗)。

 ええと…。「弁論主義」は、前々回のブログでご紹介した「当事者主義」の’仲間’(もしくは’子分’(笑))です。つまり、裁判所当事者の間の役割分担についての考え方です(立証責任は、当事者間の分担の話ですが…)。
 ところで、民事訴訟は、



訴えの提起
  ↓
審理(口頭弁論と証拠調べ)
  ↓
判決

という3段階に大きく区分されますが、
訴訟当事者の訴訟行為に注目すると、



申立て(訴訟当事者が裁判所に対し、一定の内容の裁判を求める意思を表現すること)
  ↓
主張(訴訟当事者が、申立てを基礎付けるため、法律効果あるいは具体的な事実の存否について陳述すること)
  ↓
立証(訴訟当事者が、事実上の主張を証明するために行う行為又は活動)

となります。

 この申立てのレベルでの当事者主義を「処分権主義」、主張・立証のレベル(攻撃・防御のレベル)での当事者主義を「弁論主義」といいます。
 民事訴訟では、このレベルを意識することが大切です。
 そして、ざっくりいうと、「処分権主義」は、「裁判を利用するか、利用するとして、どういう請求をたてるかは、当事者の権限であり、責任でもある。」というものです。また、「弁論主義」は、どのような主張をし、そのためにどのような立証をするかは、当事者の権限であり、責任でもある」となります。
 民事訴訟は、私的自治の原則が妥当する私益を巡る紛争を対象としているので、申立レベルや主張・立証レベルは、当事者主義が原則として採用されているのです(勿論、民事訴訟には、公益的側面もあり、特に、手続面では、原則として、職権主義が採用されています)。
 

3. さらに、「弁論主義」の内容は、以下の3つのテーゼで説明されます。



1テーゼ 主張責任の原則
  裁判所は、当事者の主張しない事実を判決の基礎としてはならない。
  当事者が弁論において主張した事実(訴訟資料)だけが判決の基礎となる。

2テーゼ 自白の拘束力
   裁判所は、当事者間に争いのない事実はそのまま判決の基礎としなければならない
  自白(当事者が自己に不利益な事実を争わない旨の陳述)された事実について、裁判所が証拠調べして自白に反する事実認定をすることはできない。c.f.民事訴訟法179

3テーゼ 職権証拠調べの禁止
   当事者間に争いのある事実を証拠により認定するには、当事者の申し出た証拠方法からしなければならない。
  
  ※第1テーゼ、第2テーゼの対象となる事実は、主要事実です

初めてきくと、先ほどの弁論主義の説明から飛躍を感じるかもしれません。ですが、それほど遠くもないです。要は、裁判所と当事者の役割分担として、主張・立証は、当事者がやってくださいということです(第一&第三)。
 ただ、誤解を恐れずにいうと、弁論主義は、裁判所の事実認定において、足かせ(制約)になっている面もあります。なぜなら、主要事実については、当事者が主張してくれなければ、判決の基礎とすることができませんし(第一)、当事者間で争いがある事実について、「こういう証拠がこんなところにあるのでは?」と思っても、当事者のどちらかが提出してくるのを待たなければならないというのが原則ですし(第三)、さらに、当事者間で争いがない事実については、「本当は当事者の主張と違うのでは?」と思っても、そのまま判決の基礎としなければならないからです(第二)。
 裁判では、当事者の一方が主張した事実について、他方は、認否をさせられます(認めるのか、認めないのか等をいわされます)。そして、原則として、当事者間に争いのある「争点」について、各当事者は、攻撃・防御をつくしていくのです。

 ところで、第一テーゼには、不意打ち防止機能(相手方の防御の機会の保障)があるといわれます。たとえば、前々回の原告が被告に100万円貸したから返してくれという例で、裁判所が、「あれ?原告は100万円貸したと主張し、被告はこれを認めているけど、本当は100万円をもらったんじゃないの?」との心証をいだき、裁判所がいきなりそのような認定をしたら、原告はびっくりです。原告としては、「被告がそのような主張をしていなかったから、反論のしようもなかったし、たいした立証をしなかったのだ。裁判所がその点を気にしていたのなら、もっと、『貸した』ことがわかる証拠を提出できた。裁判所はひどい。不意打ちだ!。」となりますよね。
 なお、裁判所は、不明な点等について、当事者に質問したり、立証を促したりする権能がないわけではありません。これを「釈明権」といいます。
 けれど、原告と被告が100万円の貸金の存在について争っていないのに、裁判所が、「本当は100万円をもらったんじゃないの?被告さん、これこれの証拠はありませんか?あったら、裁判所にだしてください!」などと割って入っていったらどうでしょうか。原告は、裁判所が被告の味方をしているように感じてしまうのではないでしょうか。釈明権を過度に行使すると、“不公平な裁判所”となり、弁論主義に反する可能性があるのです逆に、釈明権を適切に行使しないと、“不親切な裁判所”になります)。

4.  租税訴訟は、通常、行政訴訟ですが、行政訴訟にも弁論主義は妥当するのでしょうか。この点、課税処分取消訴訟を含む租税訴訟においても、通常の民事訴訟と同様に弁論主義が妥当するとされています(『租税訴訟の審理について』。行政事件訴訟法24条により、職権証拠調べが認められていますが、実務では、職権証拠調べがなされることはほとんどないようです。)

5. さてさて。
 ようやく、「規範的要件」の評価根拠事実をどのように位置付けるかに係る主要事実説vs間接事実説についてです。
 白表紙によると、かつては、間接事実説が有力だったようです。
 間接事実説理論的欠点は、もし、「規範的要件」、たとえば、「過失」自体が主要事実だとすると、これを直接立証することが理論上可能でなければなりませんが、具体的事実(「車両の速度を落とさなかったという事実)から切り離された「過失」自体を証拠によって直接立証することはできないことは明らかだと解される点にあります。また、実際上の欠点としては、さきほど説明した弁論主義の第一テーゼに関連して、指摘されています。すなわち、もし、「過失」が主要事実だとすると、原告は、「過失があった」と主張すれば当事者としての役割を果たしたことになってしまい、被告が的確な反論をできず、事案によっては、不意打ちになる恐れがあると解されるのです。白表紙は、「このような実際の弊害を防止するものとして釈明権の行使に期待することになろうが、主張責任によってもたらされる不利益がなくなった当事者に対して、釈明権行使だけで適切な事実主張をさせることは容易ではないであろう。」としています。
 これに対し、近時の有力説とされる主要事実説では、規範的評価を根拠づける評価根拠事実のみが主要事実となるので、これにあたる具体的事実(車両の速度を落とさなかった、前方不注意だったなど)について主張責任がある一方、規範的評価自体(「過失」)については主張責任がないことになります。白表紙は、主要事実説の実際的な難点として、第一テーゼのもと、当事者が主張しない評価根拠事実は、いかに有用であったとしても、裁判所がこれを基礎にできない点をあげています。
 そして、白表紙は、主要事実説、間接事実説、どちらも問題を抱えてはいるが、主要事実説のさきの難点を救うために、以下のような配慮がされることを前提として、主要事実説を妥当としています。すなわち、主要事実説の難点は、通常、立証された事実と主張内容とに食い違いがある場合に問題となるのであり、裁判所は、相手方の防御権を実質的に損なわない限り、立証活動の規制を比較的緩やかにし、当事者の主張しようとする真意を的確に把握して合理的に解釈し(いわゆる善解)、また、主張の欠落に対して釈明権の適切な行使することが期待されます

6. IBM事件でいうと、「不当」性の要件にせよ、最高裁が用いる基準、経済的合理性を欠いているか否かにせよ、具体的事実から切り離して直接立証することは困難なのではないかと思われます。なので、これを根拠づける評価根拠事実について、国に主張立証責任があるところまでは、異論はないのではないでしょうか。
 その評価根拠事実が、主要事実なのか、間接事実なのか…。この辺りは、白表紙もいうように、主要事実説をとるとしても、その難点に配慮し、柔軟な対応が望まれることもあるのではないかと思われます。、

 そして、最も重要な問題は、評価根拠事実として、どのような具体的事実を主張・立証すれば、「不当」性の要件が認められるか、なのではないでしょうか
 この点、控訴審判決は、「経済的合理性を欠く場合には,独立かつ対等で相互に特殊関係のない当事者間で通常行われる取引(独立当事者間の通常の取引と異なっている場合を含むものと解するのが相当であり,このような取引に当たるかどうかについては,個別具体的な事案に即した検討を要するものというべきである」と判示します。なので、評価根拠事実に、②は含まれているようです。すなわち、国は、②について、主張立証責任を負うのでしょう。
 他方、「『不当』か否かを判断する上で,同族会社の行為又は計算の目的ないし意図も考慮される場合があることを否定する理由はないものの,他方で,被控訴人が主張するように,当該行為又は計算が経済的合理性を欠くというためには,租税回避以外に正当な理由ないし事業目的が存在しないと認められること,すなわち,専ら租税回避目的と認められることを常に要求し,当該目的がなければ同項の適用対象とならないと解することは,同項の文理だけでなく上記の改正の経緯にも合致しない」とも判示しています。これを素直に読むと、①や③は、国が主張立証責任を負う評価根拠事実ではないように思えます。でも、経済合理性の判断で考慮しないわけではないといっているので、納税者側で、①や③について主張立証してみるしかないように思います。

7. 更なる問題としては、②「独立当事者間の通常の取引と異なっている」という評価根拠事実も、また、「通常」というような評価を含んでいることです。
 しかも、ざっくりとした比較でいけませんが
 ’法人税の負担を不当に減少させる’< ’独立当事者間の通常取引と異なっている’
と感じる方は、少なくないのではないでしょうか。
 法人税法132条は、税務署に極めて大きな権限を与えているところ、控訴審判決によれば、同族会社の取引が独立当事者間の通常の取引と異なっているだけで、「不当」性の要件をみたしているとして判断される可能性があり(正当な目的があっても、どの程度考慮されるかわかりません)、恐ろしいように思います。
 谷口教授は、控訴審判決について、「不当性要件の射程を『大きく拡張するもの』であり、納税者が主張するように、租税法律主義に違反する」と記しておられます。

 なお、金子宏先生の『租税法(第22版)』(弘文堂)では、
「不当」性
→経済的合理性を欠いている場合
→①異常ないし変則的で、②租税回避以外にそのような行為・計算を行ったことにつき、正当で合理的な理由ないし事業目的が存在しないと認められる場合のこと
としておられます。
ただ、ここで、
→独立・対等で相互に特殊関係のない当事者間で行われる取引とは異なっている取引には、それにあたると解すべき場合が多いであろう
 というのがでてきます。
 ここは、第17版以降に記載の変更があったところで、私のもっている第14版では、「経済的合理性を欠いている場合とは、それが異常ないし変則的で租税回避以外に正当な理由ないし事業目的が存在しないと認められる場合のみでなく、独立・対等で総合に特殊関係のない当事者間で通常行われる取引(…)と異なっている場合をも含む」と記載されています。この点、太田弁護士が金子先生にこの変更の趣旨を確認したとおっしゃっておられるのが、大変興味深いです(税務弘報
64112頁以下)。
 また、金子先生は、①と②の2点を、’主要な論点’としてあげておられます(ここも、第21版以降、3点→2点への変更がありました。)。
 ’主要な論点’というのは、要件事実的にいうと、評価根拠事実(現在の有力説では、主要事実でもあります。)を意味するのではないかと思われます。
 ①と②を要求すると、不等号としては、’>’になるような気がしないでもないですが(笑)、この立証が、独立当事者間の通常の取引と異なるとの立証ととりかえ可能であるのなら、控訴審判決と大差なくなってしまうようにも思われます。