2019年1月3日木曜日

猪子石の神明社


1. 今年の干支は、亥。
 ということで、亥に因んで、猪子石の神明社にお参りにいってきました。
 ところで、昔から疑問に思っていたのは、猪突猛進といわれるくらいの猪が、どうして、例のレースで神様に到着するのが最後になってしまったのかということ。牛と鼠の話は有名ですが、猪はゴールを通り過ぎてしまい戻ったからだなんて話もあるようで…。ただ、十二支の起源は古く、動物が割り当てられたのは、後になってから…「亥」には、「とざす」という意味があるそうです。


2. 猪子石(「いのこいし」地元では「いのこし」とも…)の神明社は、承和14847)に創建され、江戸初期に水汲坂(現在の香坂。「猪子石神社」があるところ?)から現在地(名鉄引山バスターミナルの近く)へ遷座されたという古い神社です。 神明社ということで天照大御神をご祭神とし、また、「亥の子」(猪の子)信仰に因んだ五穀豊穣・子孫繁栄や境内の末社である龍耳社に因んで耳の神様として信仰されています。「亥の子」信仰とは、神明社の案内によれば、日本の民俗信仰に見える田の神とのこと。イノシシが一度に十二匹の子どもを産むとされるところから、多産の神として信仰されるようになり、後に、農業と結びついて豊穣の神とされるようになったそうです。
 また、神明社の西にある「猪子石神社」には、猪に似ている石、「牡石」が(この牡石は「触ると祟る」といわれているそうです!)、神明社の西南にある「大石神社」には、やはり猪に似ている「牝石」が、それぞれ、祀られています。土着の信仰としては、これらの方が古かったのかもしれませんね。
 無料で公開されている神明社資料館には郷土文化財「おまんと(馬の塔・御馬塔)」の馬標(ダシ)などが展示されていました。「おまんと」というのは初めて聞きましたが、古く室町末期に始まり、以後、尾張から西三河でおこなわれきた風習だそうで、馬の頭や背に標具を立て、首や胴体を豪華な馬具で飾り、村旗などが2列縦隊で行進し、所々で火縄銃を発砲し、神社に参詣し、棒の手を奉納する祭礼です。なんとも勇壮な感じですが、戦国時代の農民の戦技が神事と結びついて発達したのではないかといいます。神明社で行われたのは、平成3年が最後だそうです。



猪の子神明社
 
おまんと

 

猪子石神明社の御朱印


2019年1月1日火曜日

謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします。

 
お正月のお軸

2018年12月27日木曜日

三井哲夫教授を偲んで


1. クリスマスも終わり、明日は、いよいよ、仕事納め。

毎年載せているので、今年のクリスマスの写真をアップしておきます(↓)。
今年のツリーは、
青いオーナメントのバージョンにしました。
 

2.(1) 丁度、2年くらい前に、「大学院の思い出」と題してブログを綴ったことがあります。その際にも触れましたが、大学院での私の指導教授は、三井哲夫教授でした。
 今月に入り、三井先生の奥様から、三井先生が亡くなられたとのお知らせをいただきました。
 大学院を卒業してからは、ご無沙汰ばかりをしておりました。三井先生からの年賀状に、「一度、遊びにいらっしゃい。」と書かれていたこともあったのに、結局、連絡をとらずじまいに、三井先生は逝かれました。本当に忸怩たる思いです。

(2)  三井先生をはじめ、当時の大学院での指導は、概して、放任主義だったのではないかと思います。私は、心配性で、三井先生の研究室を、定期的にたずねていましたが、三井先生は、私が持参した修論の原稿にはあまり目を通すことはなく、いつも、ニコニコと雑談していらした記憶です。
 あるとき、三井先生の研究室をたずねると、『かわいそうなチェロ』(近代文藝社)という三井先生の随想集をいただきました。その随想集にもあるように、三井先生は、チェロや、絵画など、高尚な趣味を嗜まれており、研究室での雑談には、いつも、エスプリを感じました。また、三井先生は、フランス語に堪能で、国際私法の授業でも、しばしば、フランス語を用いられていました。それだけでなく、「古代文字の研究は、ヒエログリフか楔形文字のどちらかになると思うんだが、私は、楔形文字なんだ。」とおっしゃられたことがあり、そういうものかとびっくりしたこともあります。
 その当時、私は、司法試験を受けたり、弁護士になることは、微塵も考えていませんでした。三井先生が要件事実の大家でらっしゃることは知っていましたが、三井先生とは、要件事実どころか、国際私法の話もあまりしなかった記憶です。
 弁護士になった後、特に、要件事実について、いつか、三井先生のお話をうかがいたいと思っていたのですが、とうとう、その機会はなくなってしまいました。
 三井先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

2018年11月25日日曜日

日弁連研修「会社法と税法~役員報酬について~」、秋の比叡山を訪ねて


1. 日弁連実務研修「会社法と税法~役員報酬について~」

 今月初旬、残波事件で有名な山下清兵衛弁護士による「会社法と税法~役員報酬について~」と題した日弁連ライブ実務研修がありました(同研修は、東京で行われたものですが、愛知県弁護士会にもライブ配信されるため、名古屋で受講できます。)
 残波事件については、このブログでも軽くとりあげたことがあります。
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2016/04/blog-post.html
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2014/11/blog-post.html
 山本清兵衛弁護士のお話をうかがうのは初めてではありませんが、今回は、弁護士会の研修において、弁護士に向けて、法人税法34についての強烈なメッセージを発しておられました。それは…
・同条は、「天下の悪法」である
・役員報酬の決定は私的自治の範囲にあり、課税庁は虚偽給与だけを否認すればよいはずである
・同条2項「不相当に高額な」というのは課税要件であるのに、政令に包括委任しているようにみえるが、これについて、憲法違反としている租税法学者は一人もいない
・同条1項各号の定める例外は、使い勝手が悪い。折角、予想外の収益をあげることができても、役員が多めのボーナスをとることができない。日本の会社経営者のやる気をそぐ
などなどです。
 また、第二残波事件とよばれる事案(訴訟までいたることなく満額是認通知をもらったそうです。)や、東地判平成291013日についても、触れられていました。
 賛否はともかく、折角、興味深い研修なのに、研修が終了した際に、会場をみまわしたところ、なんと受講者は私一人しか残っていませんでした。残念です。

2.(1) 先日、愛知県の文化財の会で、比叡山延暦寺と日吉大社をたずねました。

(2)  比叡山延暦寺では、国宝の根本中堂と重要文化財の廻廊について、平成28年度から10年をかけて実施される保存修理事業の最中です。
 現在の根本中堂と廻廊は、かの有名な織田信長の焼き討ちの後、天海大僧正(慈眼大師)が江戸幕府第3代将軍徳川家光公に再建を進言し、寛永19年(1642年)に完成したもの。前回の大規模保存修理は、昭和29年に行われたそうですから、今から約60年前。屋根の全面葺き替え(根本中堂は銅板葺き、廻廊はとち葺き)や、柱・床組み等の塗り替え、保存修理が行われます。
 廻廊の屋根に用いられているとち葺きでは、厚さ
2.4cm、長さ30cmの板が少しずらして葺かれているのですが、「とち」ではなく、「サワラ」が使用されているそうです。
廻廊のとち葺き。
近くで見ると痛んでいるのがわかります。

上からみた廻廊。
普段ではみられないアングルですね。

 銅板葺きが用いられている根本中堂の屋根には、なんと、
14,000枚もの銅板が使用されているそうです。再建当初は、とち葺きだったとのことで、約100年後の葺き替え時でさえ、とち葺きの材料を調達するのは難しかったのかもしれません。見学者の一人がどのくらいの年数で緑青が生ずるのかと質問すると、「最近の銅は緑青が生じにくい」との意外な回答がありました。

根本中堂の銅板葺き。
はがれそうになっている箇所があります。

 塗装については、「丹塗(たんぬり)」と「ちゃん塗」の違いの説明があり、簡単にいうと、前者は水性、後者は油性で、雨露がかかるところは後者になっているようです。

丹塗りの部分。

ちゃん塗りの部分。
金具を外したところで元の色がわかります。

 修理事業の様子は、根本中堂の周りに設置された修学ステージから見学することができます。修理中、外観をみられないのは残念ですが、修学ステージは6階まであり、屋根を真横からみることができますので、一見の価値があると思います。
根本中堂の外観。
紅葉がきれいでした。

 根本中堂の中には、ご本尊の薬師瑠璃光如来(秘仏)、その宝前には「不滅の法灯」があります。ご案内いただいた僧侶のお話では、「延暦寺でなにか一つあげるとすれば不滅の法灯とおこたえしています。」とのこと。天台宗を開かれた伝教大師最澄の「一隅(いちぐう)を照らす」にも通じ、約1200年前から消えていないことが大事なのではなく、光を照らし続けていることに意味があるとおっしゃいます。
 延暦寺にお参りするのは、3度目です。最初は、小学生の頃の家族旅行で、比叡山国際観光ホテル(今はないようです。)に宿泊し、夜景がとてもきれいだった記憶です。2度目は、中学生の修学旅行。なので、落ち着いてお参りしたのは、今回が初めてだといえます。
 伝教大師最澄と弘法大師空海。平安仏教の両巨頭です。両者は、同じ頃、遣唐使の一員として唐に渡り、帰国後、しばらくは親交があったもののその後それは絶たれたといいます。空海については、国宝展でその書を目にしたり、あるいは、今年、偶々、夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を読んで、空海がどのように唐に渡り密教を学んだのかについて思いを馳せたりと、見聞きすることは多いです。また、以前、高野山の宿坊に泊まり、感銘を受けたことがあります。最澄については、学校で学んだ以上の知識はありません。もっと知りたいなと素直に思いました。
 

(3) 日吉大社は、全国3800余の日吉、日枝、山王神社の総本宮であり、今年、西本宮鎮座1350年を迎えるとのことです。
 宮司さんによれば、元々、神代より比叡山(八王子山)にいらっしゃる大山昨神(おおやまくいのかみ)を麓にお迎えして創祀されたそうですが、天智天皇が飛鳥から近江大津宮へ遷都した翌年である天智天皇7年(668年)に大和王朝の守護神であった大己貴神(おおなむちのかみ。大国主神の別名もある国造りの神様。)を大和国三輪山より勧請して西本宮にお祀りすることになったため、大山昨神(おおやまくいのかみ)は東本宮にてお祀りすることになったとのこと。当時の中央政権の神様をおよびしたからには、それに従うことになった地方政権は、お山がバックとなる麓のよい場所を譲らねばならなかったということでしょうか。
 日吉大社で祀られている神様は日吉大神と総称されるそうですが、伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建立した後は天台宗の護法神として崇敬されたそうで、中国の天台山の神様に因んで、山王権現とも呼ばれるそうです。日吉大社は、やはり織田信長の焼き討ちで灰燼に帰しましたが、日吉造で再建された西本宮本殿、東本宮本殿は、ともに、国宝に指定されています。日吉造(ひえづくり、聖帝造り(しょうたいづくり)ともいう。)とは、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面の三方に廂がめぐらされた形をしており、全国でも日吉大社にのみ現存する様式だそうです。また、神仏混交であったため、床下には下殿(げでん)と呼ばれるスペースがあり、それぞれ、釈迦如来などのご本尊が祀られていたというのも注目すべき点でしょうか。西本宮で正式参拝した後、下殿にいれていただきましたが、明治以降の神仏分離により、現在では、神式の祭壇となっていました。

日吉大社の西本宮。
柿がなっていました。
「神猿(まさる)」が好んで食べることから
「猿柿」とよばれているそうです。

宮司さんがいらっしゃるところに
下段への入口があります。
勿論、勝手には入れません。
今回はいけませんでしたが
山の中腹には、日吉大社の奥宮が
みえています。
 

2018年10月30日火曜日

弁護士会の行事(佐久島、将棋)、弁護士自治と非弁行為の禁止


1.  10月も明日で終わり。今年も残すところ2ヶ月ほど…。本当に、「あっ」という間に、時が過ぎていきます(涙)。

2.  今月は、日本税法学会の中部地区勉強会で柄にもなく発表するため、慣れない準備で、相当、あたふたしたりしましたが(また、この件もご報告したいです。)、他方で、弁護士会の楽しい行事もありました。
 一つは、所属する弁護士会の会派が主催した佐久島を訪ねる日帰旅行。佐久島は、日間賀島や篠島と同じく、三河湾に浮かぶ離島。3つの中では、一番大きいのに、人口は一番少ないらしい…。佐久島は、「癒やしとアートの島」を標榜しており、自転車を借りて、「おひるねハウス」や「かもめの駐車場」などの現代アートをみてまわりました。勿論、お昼は、お刺身やゆで蛸に舌鼓を打ちました。朝市には、岩牡蠣も!また、驚いたのは、佐久島には、古墳がいっぱいあったこと。古墳があるということは、豪族がいたということ、すると、古代、佐久島には何らかの産物があり、本土と交易して栄えていたのかな…?などと想像が広がります。

     「お昼寝ハウス」   「かもめの駐車場」

 もう一つは、中弁連の将棋大会の後に行われた杉本昌隆七段と香川愛生女流三段のトークショー(将棋大会にはでていません笑)。以前、このブログで、杉本七段のトークショーにいったことに触れたことがありました。新しい藤井七段ネタとしては、杉本七段が出版された「弟子・藤井聡太の学び方」には藤井七段のことが書いてあるので、出版前にみてもらったところ、出版社より厳しいゲラチェックが入ったとか…笑。今度は、香川女流三段の素晴らしい聞き手もあり、以前にも増して、楽しかったです。香川女流は、頭の回転が速くて受け答えがとても面白いし、私が失礼にも市販の扇子を差し出したところ、快く揮毫してくださり、その優しい人柄に感激してしまいました!!
色紙をもっていなくて、
鞄の中に入っていた市販の扇子を
恐縮しながらだしたところ、
快く、揮毫してくださり、
感激でした!
 

3. ところで、弁護士会は、強制加入団体なので、弁護士名簿に登録すると、必ず、どこかの弁護士会の会員にならなければなりません(弁護士法361項)。弁護士会の歴史は明治13年の代言人規則に基づく代言人組合にまで遡れるそうで(高中正彦『弁護士法概説』)、戦前の旧弁護士法下では、司法大臣の監督を受けるものとされていました(旧弁護士法34条)。これに対し、現弁護士法は、「弁護士会は、弁護士及び弁護士法人の使命及び職務にかんがみ、その品位を保持し、弁護士及び弁護士法人の事務の改善進歩を図るため、弁護士及び弁護士法人の指導、連絡及び監督に関する事務を行うことを目的とする。」(弁護士法31条)と規定するとおり、弁護士会が弁護士を指導監督し、監督官庁はない、すなわち、弁護士自治を有するというのが、弁護士の誇りといえるでしょうか。医師会や歯科医師会は任意加入団体ですし、税理士会は強制加入団体ですが、監督官庁がありますね。
 また、弁護士法72条は、「弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない」と規定します。いわゆる非弁行為の禁止です。最近、これに違反するのでは…?というドラマが話題となっていますが、週末の新聞にそのプロデューサーの記事がでており、非弁には配慮して一定のルールを守っているとのことでした。一度みてみなくては!

2018年8月31日金曜日

夏の終わりに


1.  今日で8月も終わり。まだまだ暑い日が続きそうですが、夏が過ぎゆくのは、それはそれで淋しい気がします。
 私は、日が短くなってくる秋が少し苦手です。これは、恐らく、(旧)司法試験受験時代が関係しているのかなと思っています。
 私は、弁護士になるための(旧)司法試験を5回受験しています。つまり、4回失敗しています。そのうち、3回は、論文試験で不合格となりました。この論文試験の発表が秋だったのです。
 いわゆる(旧)司法試験(二次試験)には、択一、論文、口述の3つがありました。口述試験まで行くと、失敗しても、翌年、口述試験から受験できますが、論文試験で失敗すると、翌年、択一試験という私の苦手なマークシートの試験からはじめなければなりません。秋に論文試験失敗の結果を受け、翌年も、司法試験の受験を続けるのか決断するのは、つらいことでした。論文試験に落ちると成績がでるのですが、2回目、3回目は、「
A」での不合格。あともう少しなのはわかるのですが、はっきりいって、4年も、5年も、勉強していると、法律を「研究」しているのとは違って、同じことの繰り返しになってきます。もしかしたら、この先何年やっても、私は、頭一つ抜けることはないのかもしれません。そもそも、司法試験の勉強をはじめたのは、学部卒業後、8年間勤務した銀行を退職し、地縁のない名古屋に居を移したからです。つまり、弁護士を志した時点で、既に、三十路を迎えていました。比較的遅い年齢での挑戦と、重なる失敗に、周囲の目は厳しくなるばかり…。何よりも情けないのは、諦めるという決断がなかなかできない自分でした。司法試験の合格率は、当時、合格人数を増やしている最中であっても、約2~3%だったと思います。難しい試験ですから、司法試験の受験を始める前は、「むかなかったらすぐにやめよう。」と思っていました。でも、はじめてみると、なかなかやめられない。「何がいけなかったんだろう。」と自問すると、「司法試験をはじめたのがいけなかった。」などと、今更どうしようもないことを考え、涙がにじむばかり…。秋になり、日が短くなってくると、進むも、引くも、うまく決断できない、情けない気持ちを、今でも、思い出します。

2. 今年の夏は、旅行にいけませんでしたが、2回、帰省しました。

(1) 先週末は、租税訴訟学会の平成30年度研修・研究大会(2日間)に参加するため、帰省しました。
同大会の発表は、どれも、大変興味深く、大層刺激を受けました。
佐藤信行先生の「電子取引と仮想通貨」は、特に、ブロックチェーンの説明がよかったです。愛知県弁護士会の情報法関連チームに入っていて、Fintechの講演を聴きに行ったことはありますが、佐藤先生は今までになく文系にもわかりやすく説明してくださり、仮想通貨の法規制のあり方を考えるのに役立つと思いました。
藤曲武美先生の「通則法改正後の税務調査の実態・問題点及び和解について」も興味深かったです。通則法改正後、審理が厳しくなり、税務調査に時間がかかるようになったため、税務調査の件数が減っているとのこと。藤曲先生は、税務調査は交渉の場であるのに、調査担当の裁量が狭くなり、融通がききにくくなっていることを問題視されておられましたが、これは、やはり、税理士さんならではの観点なのだろうか…と思いました。
阿部泰隆先生の「租税事件と適正手続保障」は、なかなか痛快で、示唆に富んでいました。
山本洋一郎先生の「宮崎シーガイア事件等勝訴事例紹介」は、これまで誌面で拝読していた事件について、第一審係属後に減額更正により落ちた論点があることや、残った論点に関する裁判官の求釈明など、事件の経過を直にうかがえてよかったです。
「勝訴事例の紹介」では、特に、関税法事件は今までなじみの薄かった輸入豚肉に関する関税についての問題点を聞けて面白かったです。

(2) もう一回は、弁護士知財ネットのジャパンコンテンツ調査研究チームで、新作歌舞伎「NARUTO」を観劇した機会に、帰省しました。
すごい舞台でした!!!
観劇後の懇親会には、出演者もかけつけてくださり、ジャパンコンテンツを堪能しました。

 
 


2018年7月31日火曜日

思い出の事件簿 ~不在者の帰還~


1. 今年の夏の暑さは、一入ですね。西日本豪雨や逆走台風など、異常気象の被害にあわれた方には胸が痛みます。心よりお見舞い申し上げます。

2. (1) 以前、失踪宣告取消の審判申立をしたことがあると、このブログで触れました。
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2015/05/blog-post_26.html
 実は、不在者管理人をしていて、当該不在者がみつかり、その財産を引き継いだ、という経験もあります。
 不在者財産管理制度については、こちら(↓)。
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2017/04/blog-post.html

(2) 不在者さんがみつかった経緯は…。
 実は、不在者さんは居所不定になって公園などで寝泊まりしていたところ、いわゆる「生活保護ビジネス」の業者の方に声をかけられ、生活保護申請をしました。その結果、当該不在者自身が知らないうちに相続していた不動産を管理する私のところに固定資産税の減免決定通知が届き、ビックリ…という展開です。
 ところが、私がその経緯を確認しているうちに、不在者さんは、再び、行方がわからなくなってしまいました。そこで、区役所の方に、もし、不在者さんが再び現れたら、連絡してほしいと頼んでおいたところ、その不在者さんは再び同じ業者に声をかけられ、生活保護を申請したのです。区役所から連絡を受けた私は、早速、不在者財産管理人選任申立をしたご親戚に声をかけ、ご一緒に区役所に向かい、無事、不在者さん本人であることを確認しました。

(3) 実は、その後、不在者さんに財産を引き継ぐには、少々、苦労しました。
 家裁からは、不在者さんにまず居所を定めるよう指示されたのですが、これって意外に難しいんですね。不在者さんは、生活保護申請できないとわかって業者の寮からでざるをえず、私もない知恵を絞ろうとしたのですが、不在者さんはなかなか居所を定めることができませんでした。不在者さんは携帯電話を持っていないので、こちらから不在者さんに連絡をとることはできず、不在者さんが約束した日時に事務所にこられないと、このまま連絡がとれなくなったらどうしよう…と、こちらが途方に暮れてしまいます。

(4) 本件でよかったと思ったのは、初動で不在者さんの預金口座を調べておいたことです。本件は遺産分割協議を契機に不在者財産管理人が選任されたのですが、当初、不在者さんの財産は不明でした。でも、不在者さん以外の共同相続人間における遺産分割協議に時間がかかったこともあり、不在者財産管理人就任後、念のため、不在者さんの生誕から居所不明になるまでの住所地近辺の金融機関に対して不在者さんの預金口座の照会をおこなったところ、不在者さん名義の預金口座をみつけることができました。
 遺産分割協議後、不在者財産管理人名義の預金口座も開設しましたが、不在者さん名義の口座では、居所不明後に数回、同日に同金額の入出金があったため、不在者さんの生存の可能性が細いながらもあることを示していたのです。
 不在者管理人は、いつまで、不在者の財産を管理するのか?実際には、失踪宣告がなされるまでということが結構多いのではないかと思います。本件でも、家裁から失踪宣告を打診されましたが、上記不在者さんの預金口座の入出金を理由に失踪宣告を見送っていました。
 そして、不在者さんの1回目の生活保護申請と2回目の生活保護申請の間は結構あいたので、固定資産税を支払うだけの流動性資産が足りなくなり、家裁の権限外許可を受けて、不動産を売却しておりました。
 不在者さんが本人であることは確認できていること、不在者さんは不在者名義の預金口座の通帳とキャッシュカードを保有していたこと、不在者さんは名古屋を離れた後に居所を定めたいと話しており、その前に財産の引継ぎを望んでいたこと等から、家裁とも相談し、不在者さんに無事に不動産の売却代金を引き継いだ上、「管理終了報告書」を家裁に提出し、不在者財産管理人選任処分は取消され、本件は終了しました。