2018年11月25日日曜日

日弁連研修「会社法と税法~役員報酬について~」、秋の比叡山を訪ねて


1. 日弁連実務研修「会社法と税法~役員報酬について~」

 今月初旬、残波事件で有名な山下清兵衛弁護士による「会社法と税法~役員報酬について~」と題した日弁連ライブ実務研修がありました(同研修は、東京で行われたものですが、愛知県弁護士会にもライブ配信されるため、名古屋で受講できます。)
 残波事件については、このブログでも軽くとりあげたことがあります。
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2016/04/blog-post.html
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2014/11/blog-post.html
 山本清兵衛弁護士のお話をうかがうのは初めてではありませんが、今回は、弁護士会の研修において、弁護士に向けて、法人税法34についての強烈なメッセージを発しておられました。それは…
・同条は、「天下の悪法」である
・役員報酬の決定は私的自治の範囲にあり、課税庁は虚偽給与だけを否認すればよいはずである
・同条2項「不相当に高額な」というのは課税要件であるのに、政令に包括委任しているようにみえるが、これについて、憲法違反としている租税法学者は一人もいない
・同条1項各号の定める例外は、使い勝手が悪い。折角、予想外の収益をあげることができても、役員が多めのボーナスをとることができない。日本の会社経営者のやる気をそぐ
などなどです。
 また、第二残波事件とよばれる事案(訴訟までいたることなく満額是認通知をもらったそうです。)や、東地判平成291013日についても、触れられていました。
 賛否はともかく、折角、興味深い研修なのに、研修が終了した際に、会場をみまわしたところ、なんと受講者は私一人しか残っていませんでした。残念です。

2.(1) 先日、愛知県の文化財の会で、比叡山延暦寺と日吉大社をたずねました。

(2)  比叡山延暦寺では、国宝の根本中堂と重要文化財の廻廊について、平成28年度から10年をかけて実施される保存修理事業の最中です。
 現在の根本中堂と廻廊は、かの有名な織田信長の焼き討ちの後、天海大僧正(慈眼大師)が江戸幕府第3代将軍徳川家光公に再建を進言し、寛永19年(1642年)に完成したもの。前回の大規模保存修理は、昭和29年に行われたそうですから、今から約60年前。屋根の全面葺き替え(根本中堂は銅板葺き、廻廊はとち葺き)や、柱・床組み等の塗り替え、保存修理が行われます。
 廻廊の屋根に用いられているとち葺きでは、厚さ
2.4cm、長さ30cmの板が少しずらして葺かれているのですが、「とち」ではなく、「サワラ」が使用されているそうです。
廻廊のとち葺き。
近くで見ると痛んでいるのがわかります。

上からみた廻廊。
普段ではみられないアングルですね。

 銅板葺きが用いられている根本中堂の屋根には、なんと、
14,000枚もの銅板が使用されているそうです。再建当初は、とち葺きだったとのことで、約100年後の葺き替え時でさえ、とち葺きの材料を調達するのは難しかったのかもしれません。見学者の一人がどのくらいの年数で緑青が生ずるのかと質問すると、「最近の銅は緑青が生じにくい」との意外な回答がありました。

根本中堂の銅板葺き。
はがれそうになっている箇所があります。

 塗装については、「丹塗(たんぬり)」と「ちゃん塗」の違いの説明があり、簡単にいうと、前者は水性、後者は油性で、雨露がかかるところは後者になっているようです。

丹塗りの部分。

ちゃん塗りの部分。
金具を外したところで元の色がわかります。

 修理事業の様子は、根本中堂の周りに設置された修学ステージから見学することができます。修理中、外観をみられないのは残念ですが、修学ステージは6階まであり、屋根を真横からみることができますので、一見の価値があると思います。
根本中堂の外観。
紅葉がきれいでした。

 根本中堂の中には、ご本尊の薬師瑠璃光如来(秘仏)、その宝前には「不滅の法灯」があります。ご案内いただいた僧侶のお話では、「延暦寺でなにか一つあげるとすれば不滅の法灯とおこたえしています。」とのこと。天台宗を開かれた伝教大師最澄の「一隅(いちぐう)を照らす」にも通じ、約1200年前から消えていないことが大事なのではなく、光を照らし続けていることに意味があるとおっしゃいます。
 延暦寺にお参りするのは、3度目です。最初は、小学生の頃の家族旅行で、比叡山国際観光ホテル(今はないようです。)に宿泊し、夜景がとてもきれいだった記憶です。2度目は、中学生の修学旅行。なので、落ち着いてお参りしたのは、今回が初めてだといえます。
 伝教大師最澄と弘法大師空海。平安仏教の両巨頭です。両者は、同じ頃、遣唐使の一員として唐に渡り、帰国後、しばらくは親交があったもののその後それは絶たれたといいます。空海については、国宝展でその書を目にしたり、あるいは、今年、偶々、夢枕獏さんの「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を読んで、空海がどのように唐に渡り密教を学んだのかについて思いを馳せたりと、見聞きすることは多いです。また、以前、高野山の宿坊に泊まり、感銘を受けたことがあります。最澄については、学校で学んだ以上の知識はありません。もっと知りたいなと素直に思いました。
 

(3) 日吉大社は、全国3800余の日吉、日枝、山王神社の総本宮であり、今年、西本宮鎮座1350年を迎えるとのことです。
 宮司さんによれば、元々、神代より比叡山(八王子山)にいらっしゃる大山昨神(おおやまくいのかみ)を麓にお迎えして創祀されたそうですが、天智天皇が飛鳥から近江大津宮へ遷都した翌年である天智天皇7年(668年)に大和王朝の守護神であった大己貴神(おおなむちのかみ。大国主神の別名もある国造りの神様。)を大和国三輪山より勧請して西本宮にお祀りすることになったため、大山昨神(おおやまくいのかみ)は東本宮にてお祀りすることになったとのこと。当時の中央政権の神様をおよびしたからには、それに従うことになった地方政権は、お山がバックとなる麓のよい場所を譲らねばならなかったということでしょうか。
 日吉大社で祀られている神様は日吉大神と総称されるそうですが、伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を建立した後は天台宗の護法神として崇敬されたそうで、中国の天台山の神様に因んで、山王権現とも呼ばれるそうです。日吉大社は、やはり織田信長の焼き討ちで灰燼に帰しましたが、日吉造で再建された西本宮本殿、東本宮本殿は、ともに、国宝に指定されています。日吉造(ひえづくり、聖帝造り(しょうたいづくり)ともいう。)とは、三間・二間の身舎(もや)の前面、両側面の三方に廂がめぐらされた形をしており、全国でも日吉大社にのみ現存する様式だそうです。また、神仏混交であったため、床下には下殿(げでん)と呼ばれるスペースがあり、それぞれ、釈迦如来などのご本尊が祀られていたというのも注目すべき点でしょうか。西本宮で正式参拝した後、下殿にいれていただきましたが、明治以降の神仏分離により、現在では、神式の祭壇となっていました。

日吉大社の西本宮。
柿がなっていました。
「神猿(まさる)」が好んで食べることから
「猿柿」とよばれているそうです。

宮司さんがいらっしゃるところに
下段への入口があります。
勿論、勝手には入れません。
今回はいけませんでしたが
山の中腹には、日吉大社の奥宮が
みえています。
 

2018年10月30日火曜日

弁護士会の行事(佐久島、将棋)、弁護士自治と非弁行為の禁止


1.  10月も明日で終わり。今年も残すところ2ヶ月ほど…。本当に、「あっ」という間に、時が過ぎていきます(涙)。

2.  今月は、日本税法学会の中部地区勉強会で柄にもなく発表するため、慣れない準備で、相当、あたふたしたりしましたが(また、この件もご報告したいです。)、他方で、弁護士会の楽しい行事もありました。
 一つは、所属する弁護士会の会派が主催した佐久島を訪ねる日帰旅行。佐久島は、日間賀島や篠島と同じく、三河湾に浮かぶ離島。3つの中では、一番大きいのに、人口は一番少ないらしい…。佐久島は、「癒やしとアートの島」を標榜しており、自転車を借りて、「おひるねハウス」や「かもめの駐車場」などの現代アートをみてまわりました。勿論、お昼は、お刺身やゆで蛸に舌鼓を打ちました。朝市には、岩牡蠣も!また、驚いたのは、佐久島には、古墳がいっぱいあったこと。古墳があるということは、豪族がいたということ、すると、古代、佐久島には何らかの産物があり、本土と交易して栄えていたのかな…?などと想像が広がります。

     「お昼寝ハウス」   「かもめの駐車場」

 もう一つは、中弁連の将棋大会の後に行われた杉本昌隆七段と香川愛生女流三段のトークショー(将棋大会にはでていません笑)。以前、このブログで、杉本七段のトークショーにいったことに触れたことがありました。新しい藤井七段ネタとしては、杉本七段が出版された「弟子・藤井聡太の学び方」には藤井七段のことが書いてあるので、出版前にみてもらったところ、出版社より厳しいゲラチェックが入ったとか…笑。今度は、香川女流三段の素晴らしい聞き手もあり、以前にも増して、楽しかったです。香川女流は、頭の回転が速くて受け答えがとても面白いし、私が失礼にも市販の扇子を差し出したところ、快く揮毫してくださり、その優しい人柄に感激してしまいました!!
色紙をもっていなくて、
鞄の中に入っていた市販の扇子を
恐縮しながらだしたところ、
快く、揮毫してくださり、
感激でした!
 

3. ところで、弁護士会は、強制加入団体なので、弁護士名簿に登録すると、必ず、どこかの弁護士会の会員にならなければなりません(弁護士法361項)。弁護士会の歴史は明治13年の代言人規則に基づく代言人組合にまで遡れるそうで(高中正彦『弁護士法概説』)、戦前の旧弁護士法下では、司法大臣の監督を受けるものとされていました(旧弁護士法34条)。これに対し、現弁護士法は、「弁護士会は、弁護士及び弁護士法人の使命及び職務にかんがみ、その品位を保持し、弁護士及び弁護士法人の事務の改善進歩を図るため、弁護士及び弁護士法人の指導、連絡及び監督に関する事務を行うことを目的とする。」(弁護士法31条)と規定するとおり、弁護士会が弁護士を指導監督し、監督官庁はない、すなわち、弁護士自治を有するというのが、弁護士の誇りといえるでしょうか。医師会や歯科医師会は任意加入団体ですし、税理士会は強制加入団体ですが、監督官庁がありますね。
 また、弁護士法72条は、「弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない」と規定します。いわゆる非弁行為の禁止です。最近、これに違反するのでは…?というドラマが話題となっていますが、週末の新聞にそのプロデューサーの記事がでており、非弁には配慮して一定のルールを守っているとのことでした。一度みてみなくては!

2018年8月31日金曜日

夏の終わりに


1.  今日で8月も終わり。まだまだ暑い日が続きそうですが、夏が過ぎゆくのは、それはそれで淋しい気がします。
 私は、日が短くなってくる秋が少し苦手です。これは、恐らく、(旧)司法試験受験時代が関係しているのかなと思っています。
 私は、弁護士になるための(旧)司法試験を5回受験しています。つまり、4回失敗しています。そのうち、3回は、論文試験で不合格となりました。この論文試験の発表が秋だったのです。
 いわゆる(旧)司法試験(二次試験)には、択一、論文、口述の3つがありました。口述試験まで行くと、失敗しても、翌年、口述試験から受験できますが、論文試験で失敗すると、翌年、択一試験という私の苦手なマークシートの試験からはじめなければなりません。秋に論文試験失敗の結果を受け、翌年も、司法試験の受験を続けるのか決断するのは、つらいことでした。論文試験に落ちると成績がでるのですが、2回目、3回目は、「
A」での不合格。あともう少しなのはわかるのですが、はっきりいって、4年も、5年も、勉強していると、法律を「研究」しているのとは違って、同じことの繰り返しになってきます。もしかしたら、この先何年やっても、私は、頭一つ抜けることはないのかもしれません。そもそも、司法試験の勉強をはじめたのは、学部卒業後、8年間勤務した銀行を退職し、地縁のない名古屋に居を移したからです。つまり、弁護士を志した時点で、既に、三十路を迎えていました。比較的遅い年齢での挑戦と、重なる失敗に、周囲の目は厳しくなるばかり…。何よりも情けないのは、諦めるという決断がなかなかできない自分でした。司法試験の合格率は、当時、合格人数を増やしている最中であっても、約2~3%だったと思います。難しい試験ですから、司法試験の受験を始める前は、「むかなかったらすぐにやめよう。」と思っていました。でも、はじめてみると、なかなかやめられない。「何がいけなかったんだろう。」と自問すると、「司法試験をはじめたのがいけなかった。」などと、今更どうしようもないことを考え、涙がにじむばかり…。秋になり、日が短くなってくると、進むも、引くも、うまく決断できない、情けない気持ちを、今でも、思い出します。

2. 今年の夏は、旅行にいけませんでしたが、2回、帰省しました。

(1) 先週末は、租税訴訟学会の平成30年度研修・研究大会(2日間)に参加するため、帰省しました。
同大会の発表は、どれも、大変興味深く、大層刺激を受けました。
佐藤信行先生の「電子取引と仮想通貨」は、特に、ブロックチェーンの説明がよかったです。愛知県弁護士会の情報法関連チームに入っていて、Fintechの講演を聴きに行ったことはありますが、佐藤先生は今までになく文系にもわかりやすく説明してくださり、仮想通貨の法規制のあり方を考えるのに役立つと思いました。
藤曲武美先生の「通則法改正後の税務調査の実態・問題点及び和解について」も興味深かったです。通則法改正後、審理が厳しくなり、税務調査に時間がかかるようになったため、税務調査の件数が減っているとのこと。藤曲先生は、税務調査は交渉の場であるのに、調査担当の裁量が狭くなり、融通がききにくくなっていることを問題視されておられましたが、これは、やはり、税理士さんならではの観点なのだろうか…と思いました。
阿部泰隆先生の「租税事件と適正手続保障」は、なかなか痛快で、示唆に富んでいました。
山本洋一郎先生の「宮崎シーガイア事件等勝訴事例紹介」は、これまで誌面で拝読していた事件について、第一審係属後に減額更正により落ちた論点があることや、残った論点に関する裁判官の求釈明など、事件の経過を直にうかがえてよかったです。
「勝訴事例の紹介」では、特に、関税法事件は今までなじみの薄かった輸入豚肉に関する関税についての問題点を聞けて面白かったです。

(2) もう一回は、弁護士知財ネットのジャパンコンテンツ調査研究チームで、新作歌舞伎「NARUTO」を観劇した機会に、帰省しました。
すごい舞台でした!!!
観劇後の懇親会には、出演者もかけつけてくださり、ジャパンコンテンツを堪能しました。

 
 


2018年7月31日火曜日

思い出の事件簿 ~不在者の帰還~


1. 今年の夏の暑さは、一入ですね。西日本豪雨や逆走台風など、異常気象の被害にあわれた方には胸が痛みます。心よりお見舞い申し上げます。

2. (1) 以前、失踪宣告取消の審判申立をしたことがあると、このブログで触れました。
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2015/05/blog-post_26.html
 実は、不在者管理人をしていて、当該不在者がみつかり、その財産を引き継いだ、という経験もあります。
 不在者財産管理制度については、こちら(↓)。
http://hisaya-avenue.blogspot.com/2017/04/blog-post.html

(2) 不在者さんがみつかった経緯は…。
 実は、不在者さんは居所不定になって公園などで寝泊まりしていたところ、いわゆる「生活保護ビジネス」の業者の方に声をかけられ、生活保護申請をしました。その結果、当該不在者自身が知らないうちに相続していた不動産を管理する私のところに固定資産税の減免決定通知が届き、ビックリ…という展開です。
 ところが、私がその経緯を確認しているうちに、不在者さんは、再び、行方がわからなくなってしまいました。そこで、区役所の方に、もし、不在者さんが再び現れたら、連絡してほしいと頼んでおいたところ、その不在者さんは再び同じ業者に声をかけられ、生活保護を申請したのです。区役所から連絡を受けた私は、早速、不在者財産管理人選任申立をしたご親戚に声をかけ、ご一緒に区役所に向かい、無事、不在者さん本人であることを確認しました。

(3) 実は、その後、不在者さんに財産を引き継ぐには、少々、苦労しました。
 家裁からは、不在者さんにまず居所を定めるよう指示されたのですが、これって意外に難しいんですね。不在者さんは、生活保護申請できないとわかって業者の寮からでざるをえず、私もない知恵を絞ろうとしたのですが、不在者さんはなかなか居所を定めることができませんでした。不在者さんは携帯電話を持っていないので、こちらから不在者さんに連絡をとることはできず、不在者さんが約束した日時に事務所にこられないと、このまま連絡がとれなくなったらどうしよう…と、こちらが途方に暮れてしまいます。

(4) 本件でよかったと思ったのは、初動で不在者さんの預金口座を調べておいたことです。本件は遺産分割協議を契機に不在者財産管理人が選任されたのですが、当初、不在者さんの財産は不明でした。でも、不在者さん以外の共同相続人間における遺産分割協議に時間がかかったこともあり、不在者財産管理人就任後、念のため、不在者さんの生誕から居所不明になるまでの住所地近辺の金融機関に対して不在者さんの預金口座の照会をおこなったところ、不在者さん名義の預金口座をみつけることができました。
 遺産分割協議後、不在者財産管理人名義の預金口座も開設しましたが、不在者さん名義の口座では、居所不明後に数回、同日に同金額の入出金があったため、不在者さんの生存の可能性が細いながらもあることを示していたのです。
 不在者管理人は、いつまで、不在者の財産を管理するのか?実際には、失踪宣告がなされるまでということが結構多いのではないかと思います。本件でも、家裁から失踪宣告を打診されましたが、上記不在者さんの預金口座の入出金を理由に失踪宣告を見送っていました。
 そして、不在者さんの1回目の生活保護申請と2回目の生活保護申請の間は結構あいたので、固定資産税を支払うだけの流動性資産が足りなくなり、家裁の権限外許可を受けて、不動産を売却しておりました。
 不在者さんが本人であることは確認できていること、不在者さんは不在者名義の預金口座の通帳とキャッシュカードを保有していたこと、不在者さんは名古屋を離れた後に居所を定めたいと話しており、その前に財産の引継ぎを望んでいたこと等から、家裁とも相談し、不在者さんに無事に不動産の売却代金を引き継いだ上、「管理終了報告書」を家裁に提出し、不在者財産管理人選任処分は取消され、本件は終了しました。

2018年6月30日土曜日

琵琶湖博物館


   今日は、客員をしている大学院で、修論の中間発表会と教室を利用しての懇親会がありました。
 今週は、何かと気骨が折れることが多かったのですが、学生さんと楽しくお話しすると、気が晴れます。

2.  先日、親戚の法事の会があり、その帰りに、琵琶湖博物館に行く機会がありました。
 琵琶湖を訪れたことは何度かありますが、琵琶湖博物館は初めてです。琵琶湖博物館では、琵琶湖の生い立ちや今を展示しているほか、水族展示室、すなわち、淡水魚の水族館があります。意外に興味深かったのが、琵琶湖の生い立ちなどの展示室です。琵琶湖というと日本最大の湖ということくらいしか思い浮かばず…「古代湖」だということを初めて知りました。古代湖というのは、①固有種がいて、②10万年以上の歴史を有する湖のことだそうです。世界に約3億6000ある湖のうち、古代湖は約30しかないといいます。普通の湖は、1万年もたたずになくなってしまうそう…(それでも気が遠くなるくらい長いですが…)。琵琶湖は、バイカル湖、タンガニーカ湖についで古い古代湖で、なんと、今の三重県上野盆地辺りから400万年かけて現在の位置まで北上したそうです。
 また、琵琶湖には約60種もの固有種がすんでいるとのこと。平成27年には、「琵琶湖の保全及び再生に関する法律」が施行されています。最近、テレビで「池の水全部抜く大作戦」というのをみかけますが、まさか、琵琶湖の水を全部抜くわけにはいきません。外来魚の問題は簡単には解決できないでしょうが、世界的に見ても貴重な存在である琵琶湖ですから、その姿を後世にまで伝えてほしいなと思いました。
 ところで、琵琶湖をみていて、昔読んだ万城目学さんの「偉大なる、しゅららぼん」を思い出しました。題名からは想像できないお話で、琵琶湖が古代湖だと聞くと、もしかして…などと改めて思ってしまいました(笑)。

琵琶湖博物館
博物館内の施設
お昼をいただいた湖里庵
 

 
 
 

2018年5月29日火曜日

大阪地判平成30年5月9日と横目調査について


1. 久しぶりに、法律の話題を…。
 

2.(1)  今月初旬に、日経新聞で、「競馬脱税の市職員有罪 国税調査、違法性残る」と題する記事をみました。
 

(2) 今回のケースの被告人Xは、有名な外れ馬券のケース(最判平成27310日など)の被告人ように、長期間にわたり数回かつ頻繁に網羅的な購入をして当たり馬券の払戻金を得ることにより多額の利益を上げていたというわけではないようです。
 インターネットの新聞記事の情報も総合すると、X(市職員で、なんと、税務担当の部署に所属していたようです。)は、日本中央競馬会(JRA)が指定する5レースで1着馬を全て当てる「WIN5」で、2回にわたり予想を的中させ、平成24と平成26年に、それぞれ、約5600万円、約2億3200万円の払戻金を得たにもかかわらず、これらを所得として申告していなかったようです。 

(3)  ということで、今回のケースで特に問題となったのは、いわゆる「横目調査」の違法性です。
 競馬で予想を的中させて払戻しを得た人のほとんどは、必要な申告をしておらず、税務当局もこのような無申告のすべてを把握し、反則調査をしているわけではない実態があるといいます。なのに、税務当局は、どうして、Xについて、当たり馬券による多額の払戻金を得ながら申告していないと、知ることができたのでしょうか。
 日経の記事によれば、Xは、「国税局が別事件の調査にかこつけて網羅的に口座を調べた結果、発覚した」とし、調査の必要のない口座を調べる「横目」と呼ばれる手法はプライバシーを侵害し違法だと主張したようです。

(4) 残念ながら、判決文は入手できていないのですが、日経の記事によると、大阪地裁(大地判平成30年5月9日)は、「調査対象の範囲の絞り込みが不十分だった疑いは否定できない」としつつも、「銀行側の了解、協力を得ており、違法の程度は重大とまでは言えない」としてXの主張を退けました。

(5)  Xは起訴内容を認めているとのことですので、「脱税したのは事実なのに、捜査の端緒に難癖をつけるなんて、お門違いの文句だ!税務調査ないし犯則調査の際に多額の入金がある預金口座を網羅的にチェックするのは当り前じゃないか。」と思われる方は少なくないかもしれません。ですが、この問題は意外に奥が深いようにも思います。
 刑事手続においては、証拠裁判主義(刑事訴訟法317条)がとられているところ、明文はありませんが、違法収集証拠排除法則、すなわち、司法の廉潔性ないし違法捜査の抑制の見地から、手続違反の程度・状況等や証拠や事件の重大性等を勘案した上で、違法に収集された証拠の証拠能力を否定すべきとする法則が、一般に採用されています。日本国憲法をみてみると、その人権カタログにおいて、刑事手続に関連するものの多さに驚かされます。刑事手続においては、手続の違法性について、極めて厳格にこれを考える傾向にあるといえます。判例も、「令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定される。」と判示しています。
 この点、税務当局が行う調査には、税務調査のほか犯則調査がありますが、犯則調査については、犯罪事実が認められれば検察庁に告発して刑事手続移行するのですから、刑事手続と同様の手続の厳格さが認められてしかるべきです。また、税務調査で得られた資料や情報を犯則調査において利用することを安易に認めれば、憲法や刑事訴訟法が要請するところの潜脱になりかねません。
 国税局の査察部(いわゆるマルサ)のフロアには、「関係者以外立入禁止」の立て札がたっていますが、これは、税務調査で得られた情報が犯則調査の端緒に用いられることのないように…という配慮からたっているのでしょうか。それとも、犯則調査の内偵を他部署に知られることなく隠密裏にすすめることができるように…という配慮からでしょうか。もしや、前者の配慮はまったくなされていないのではないか…、これは杞憂でしょうか。

(6)  なお、横目調査については、反則調査ではなく、税務調査において、その違法性が争われたことはあります。
 たとえば、京都地判昭54年2月23日は、「税務署長が更正処分をなす場合には税務調査が必要である(略)が、右調査の端緒となるべき資料の収集方法自体を規制する規定は存在せず、調査の必要性があり、かつ、これと相手方の私的利益との衡量により社会通念上相当な限度において権限ある税務職員の合理的な選択に委ねられていると解すべきである。従つて、仮に税務調査の端緒が他の税務機関の入手した資料によつたとしても、そのために法定された税務調査を全くなさなかつたり、右調査を回避するために当該資料を入手したと認めうる等の特別の事情がない限り、これを違法というべきではない。」と判示しています。

2018年4月30日月曜日

寺社巡りと御朱印


1. GWに入りましたね。
 今年は、特にどこかに行く予定はないので、ブログの話題に困ります(笑)。少なくとも1か月に1度の更新を心掛けているのですが…。
 今日は、寺社巡りと御朱印の話題を…。
 

2.(1) このブログで、時々、寺社の話題をとりあげることがありますが、私は、昔から寺社を巡るのが好きで、また、一時期は、結構熱心に御朱印を集めていました。
      
今まで集めた御朱印帳の一部


(2) 御朱印を集め始めたきっかけは、小学生の頃、祖父に御朱印帳を買ってもらったことです。小学校の遠足(鎌倉)や修学旅行(日光)でも御朱印をいただいており、振り返るとびっくり…。当時は緩やかだったのか、しぶい趣味だと許していただいた記憶です。
 その後、中学、高校でも、修学旅行、家族や友達との旅行などの折に寺社をたずねると必ず御朱印をいただくため、御朱印帳は、二冊目、三冊目…と増えていきました。
最初の御朱印帳。
遠足でいった鎌倉や
修学旅行で訪れた日光でも
御朱印をいただいてます(汗)

祖父が、最初の御朱印帳に書いてくれました。
実は、御朱印の前は、
御朱印帳のようなもので
スタンプを集めていました。
祖父は、これを見咎めたのかもしれません
 

(3) 特に、小・中の頃は、子供が御朱印をいただくのは珍しかったのか、御朱印帳を差し出すと、目を丸くされたものです。もっとも、私のまわりでは、御朱印集めが次第にプチブームに…。
 とはいえ、最近、御朱印集めが脚光をあび、オークションに出品されることもあるとの報道に接し、びっくり。昔とはちがって、芸術的な(?)御朱印が増えているようです。
 三井寺では、御朱印帳の袋に絵を描いてくださって、感激。

(4) 現在、愛知県の文化財に関する集まりに入っていて、一年に一回、重要文化財をまわる機会があります。
 昨年の秋には、醫王山高田寺、妙興報恩禅寺、尾張大國霊神社をたずねました。
 昔ほど熱心にはできませんが、これからも、少しずつでも、寺社をたずね、御朱印をいただいていきたいなと思っています。
医王山高田寺(こうでんじ)は
720年に行基が開山した寺が
伝教大師によって、高田寺と名付けられたとのこと。
 
妙高報恩禅寺は、
臨済宗妙心寺派の寺院。
修行の中心であった時代の様子を
色濃く残しています。
尾張大國霊神社。
尾張の国の総社で
通称「国府宮」(こうのみや)。
本殿の中庭でみせていただいた
磐境(いわくら)が
このお社の歴史を物語っています。
はだか祭りで有名ですね。
    
右から、高田寺、妙興寺、国府宮の御朱印。