1. 今年初めてのブログ更新になります。
正直なところ、昨年末から、修論指導で精神的ゆとりを欠いていました。
かつて修士論文を自分で書くのも大変なことでしたが、学生さんの修士論文作成を指導するのは、より大変なことであると実感しました。まだ、審査がすんでおりませんので、枕を高くして眠ることはできません(汗)。
正直なところ、昨年末から、修論指導で精神的ゆとりを欠いていました。
かつて修士論文を自分で書くのも大変なことでしたが、学生さんの修士論文作成を指導するのは、より大変なことであると実感しました。まだ、審査がすんでおりませんので、枕を高くして眠ることはできません(汗)。
2. もう20年ほど前になりましょうか、私が通っていたのは、筑波大学大学院の経営政策科学研究科企業法学専攻というコースでした。
このコースは、東京キャンパス(文京区)で行われ、丸ノ内線茗荷谷駅が最寄駅となるので、当時勤めていた銀行から地下鉄1本で通うことができました。
修士論文(国際私法)は、今、読み返すと、頭を抱えてしまいます…。親身に指導してくださった三井哲夫先生に対しては、感謝の念に堪えません(すっかりご無沙汰しておりますが…)。
このコースは、東京キャンパス(文京区)で行われ、丸ノ内線茗荷谷駅が最寄駅となるので、当時勤めていた銀行から地下鉄1本で通うことができました。
修士論文(国際私法)は、今、読み返すと、頭を抱えてしまいます…。親身に指導してくださった三井哲夫先生に対しては、感謝の念に堪えません(すっかりご無沙汰しておりますが…)。
3. 大学院では、2年次は修士論文の作成に専念しておりましたが、1年次は、授業やゼミも受講していました。
正直に申しますと、大学時代は、法律の勉強になじめなかったのですが、社会人になってから法律の勉強をすると、こんなにも面白く感じるのかというくらい、大学院の授業やゼミは、どれも興味深いものでした。あのとき大学院の門をたたいていなかったら、現在、弁護士になっていなかったと断言できます。
そんな興味深い授業やゼミの中で、最も印象に残っているのは、故竹内昭夫東京大学名誉教授の会社法です。
だいぶ昔のことなので、記憶違いがあるかもしれませんが…。
竹内先生は、当時、既に健康を害されており、何らかの管をつけて、車いすに乗り、ご家族が付き添われ、授業にいらっしゃっておられ、弥永真生教授がアシスタントとしてついていらっしゃいました。
授業はソクラテスメソッドでおこなわれると宣言され、事前に、ケースが配布され、予習は必須でした。
竹内先生はお声をだすのも大変そうな状態なので、授業の進行は弥永先生がなさっていました。でも、指名された学生が、二人、三人…と満足な回答をできないと、竹内先生の雷が落ちます。私には、まるで、命を削って、生徒を叱っていらっしゃるようにみえました。鬼気迫ると表現したくなるほどです。ストレートにおっしゃったわけではありませんが、「もっと、研究がしたい、でも、健康がそれを許さない、君たちは健康ではないか、なぜ、予習すらしてこないのか…」、というような思いがその叱咤の裏にはあるのではないかと、勝手に推察しておりました。
それから何年も経ち、租税法にかかわるようになってから、金子先生と竹内先生のみなし配当に係る論争を後追いしました。
竹内先生の書かれた「利益積立金の資本組入れとみなし配当課税の当否-金子説批判-」(上)(下)(商事法務、1258・43-、1259・30-)には、生前の竹内先生の思い出も相まって、胸をうたれました。その最後は、以下のようにむすばれています。
「みなし配当課税の制度は廃止すべきである。それとともに譲渡所得課税の制度を改正する必要があるのなら、もちろんそれも急ぐべきである。ただその改革が実現するまで、みなし配当の制度も必要であるといわれても(…)、それは得心できない。…略…
それでは困る。理由を示さずに拒否されたのでは批判・検討の手掛かりもない。私が税法について知る所乏しいにも拘らず、敢えて税法の専門家の論文の批判・検討を試みたのは、これを手掛かりに議論を深めようと考えたからである。商法と税法の『ねじれ現象』を放置することはできない。もちろん、再批判によって骨の髄まで切り下げられるのは覚悟の上。租税摩擦で外国から責め立てられてもこれなら大丈夫と安心できるような理論を示してもらえれば、余計な口出しをした非礼を詫びて退散するのみである。」
正直に申しますと、大学時代は、法律の勉強になじめなかったのですが、社会人になってから法律の勉強をすると、こんなにも面白く感じるのかというくらい、大学院の授業やゼミは、どれも興味深いものでした。あのとき大学院の門をたたいていなかったら、現在、弁護士になっていなかったと断言できます。
そんな興味深い授業やゼミの中で、最も印象に残っているのは、故竹内昭夫東京大学名誉教授の会社法です。
だいぶ昔のことなので、記憶違いがあるかもしれませんが…。
竹内先生は、当時、既に健康を害されており、何らかの管をつけて、車いすに乗り、ご家族が付き添われ、授業にいらっしゃっておられ、弥永真生教授がアシスタントとしてついていらっしゃいました。
授業はソクラテスメソッドでおこなわれると宣言され、事前に、ケースが配布され、予習は必須でした。
竹内先生はお声をだすのも大変そうな状態なので、授業の進行は弥永先生がなさっていました。でも、指名された学生が、二人、三人…と満足な回答をできないと、竹内先生の雷が落ちます。私には、まるで、命を削って、生徒を叱っていらっしゃるようにみえました。鬼気迫ると表現したくなるほどです。ストレートにおっしゃったわけではありませんが、「もっと、研究がしたい、でも、健康がそれを許さない、君たちは健康ではないか、なぜ、予習すらしてこないのか…」、というような思いがその叱咤の裏にはあるのではないかと、勝手に推察しておりました。
それから何年も経ち、租税法にかかわるようになってから、金子先生と竹内先生のみなし配当に係る論争を後追いしました。
竹内先生の書かれた「利益積立金の資本組入れとみなし配当課税の当否-金子説批判-」(上)(下)(商事法務、1258・43-、1259・30-)には、生前の竹内先生の思い出も相まって、胸をうたれました。その最後は、以下のようにむすばれています。
「みなし配当課税の制度は廃止すべきである。それとともに譲渡所得課税の制度を改正する必要があるのなら、もちろんそれも急ぐべきである。ただその改革が実現するまで、みなし配当の制度も必要であるといわれても(…)、それは得心できない。…略…
それでは困る。理由を示さずに拒否されたのでは批判・検討の手掛かりもない。私が税法について知る所乏しいにも拘らず、敢えて税法の専門家の論文の批判・検討を試みたのは、これを手掛かりに議論を深めようと考えたからである。商法と税法の『ねじれ現象』を放置することはできない。もちろん、再批判によって骨の髄まで切り下げられるのは覚悟の上。租税摩擦で外国から責め立てられてもこれなら大丈夫と安心できるような理論を示してもらえれば、余計な口出しをした非礼を詫びて退散するのみである。」
I could not update my blog these days. It was partly because I was busy supervising
master theses.
I think it is more difficult to supervise a master thesis than to write.
I think it is more difficult to supervise a master thesis than to write.
It was about twenty years ago when I was a graduate student at
University of Tsukuba. My measure was a
private international law, and my supervisor was Professor Tetsuo Mitsui, to
whom I am more grateful than I can say.
Among lectures, I found “Corporate Law” by Professor Akio Takeuchi most impressive. The lecture was through Socratic method. As Professor Takeuchi impaired his health, Professor Masao Yanaga assisted his lecture. It seemed difficult for Professor Takeuchi to let out his voice, but he scolded the students so strictly if they didn’t prepared enough.
Professor Takeuchi was a professor emeritus at the University of Tokyo, and well known by the dispute with Professor Hiroshi Kaneko regarding “Deemed Dividends” (Minashi Haitou”).
Among lectures, I found “Corporate Law” by Professor Akio Takeuchi most impressive. The lecture was through Socratic method. As Professor Takeuchi impaired his health, Professor Masao Yanaga assisted his lecture. It seemed difficult for Professor Takeuchi to let out his voice, but he scolded the students so strictly if they didn’t prepared enough.
Professor Takeuchi was a professor emeritus at the University of Tokyo, and well known by the dispute with Professor Hiroshi Kaneko regarding “Deemed Dividends” (Minashi Haitou”).