2018年12月27日木曜日

三井哲夫教授を偲んで


1. クリスマスも終わり、明日は、いよいよ、仕事納め。

毎年載せているので、今年のクリスマスの写真をアップしておきます(↓)。
今年のツリーは、
青いオーナメントのバージョンにしました。
 

2.(1) 丁度、2年くらい前に、「大学院の思い出」と題してブログを綴ったことがあります。その際にも触れましたが、大学院での私の指導教授は、三井哲夫教授でした。
 今月に入り、三井先生の奥様から、三井先生が亡くなられたとのお知らせをいただきました。
 大学院を卒業してからは、ご無沙汰ばかりをしておりました。三井先生からの年賀状に、「一度、遊びにいらっしゃい。」と書かれていたこともあったのに、結局、連絡をとらずじまいに、三井先生は逝かれました。本当に忸怩たる思いです。

(2)  三井先生をはじめ、当時の大学院での指導は、概して、放任主義だったのではないかと思います。私は、心配性で、三井先生の研究室を、定期的にたずねていましたが、三井先生は、私が持参した修論の原稿にはあまり目を通すことはなく、いつも、ニコニコと雑談していらした記憶です。
 あるとき、三井先生の研究室をたずねると、『かわいそうなチェロ』(近代文藝社)という三井先生の随想集をいただきました。その随想集にもあるように、三井先生は、チェロや、絵画など、高尚な趣味を嗜まれており、研究室での雑談には、いつも、エスプリを感じました。また、三井先生は、フランス語に堪能で、国際私法の授業でも、しばしば、フランス語を用いられていました。それだけでなく、「古代文字の研究は、ヒエログリフか楔形文字のどちらかになると思うんだが、私は、楔形文字なんだ。」とおっしゃられたことがあり、そういうものかとびっくりしたこともあります。
 その当時、私は、司法試験を受けたり、弁護士になることは、微塵も考えていませんでした。三井先生が要件事実の大家でらっしゃることは知っていましたが、三井先生とは、要件事実どころか、国際私法の話もあまりしなかった記憶です。
 弁護士になった後、特に、要件事実について、いつか、三井先生のお話をうかがいたいと思っていたのですが、とうとう、その機会はなくなってしまいました。
 三井先生のご冥福を心よりお祈りいたします。