2016年4月30日土曜日

残波事件の第一審判決(東地判平成28年4月22日)-The Tokyo District Decision dated April 22, 2016- & 安土城をたずねて-Azuchi Castle Ruins -


1.残波事件の第一審判決(東地判平成28年4月22日)について

(1) 以前、このブログで、泡盛「残波」蔵元である酒造会社が、役員4人に支給した報酬計19億4000万円(4年間の基本報酬計12億7000万円と、退職慰労金6億7000万円)のうち6億円について、沖縄国税事務所に「不相当に高額」と判断されたため、その処分を不服として、東京地方裁判所で争っているという事案について触れたことがありました。
http://www.hisaya-avenue.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html
沖縄国税事務所は、沖縄県と熊本国税局管内(熊本、大分、宮崎、鹿児島)で、売上が同社の半分~2倍の酒造会社約30社を抽出し(倍半基準)、役員の基本報酬を比較したとのこと。

(2) 先日、毎日新聞のネットニュースで、東京地裁(東地判平成28年4月22日)が、上記約19億円余の役員報酬のうち、創業者に対する約6億7000万円の退職慰労金は「不相当に高額」とはいえないとして、約5000万円分の課税処分を取り消しましたが、給与については30社の最高額よりも高いから「不相当に高額」である等と判示した旨の記事がでていました。

(3) この事案については、かねてより興味のある論点について争われている上、昨年、租税訴訟学会名古屋支部の研修会で、納税者の代理人をつとめられている山下清兵衛弁護士のお話をうかがったことがあり、大変注目していました。
 以前のブログでも触れましたが、平成18年5月に会社法が施行される前には取締役の賞与は利益処分とされていたところ、裁判例(名古屋地方裁判所平成6615日判決)は、過大役員報酬不算入制度(「不相当に高額」制度)の趣旨について、隠れた利益処分に対処するためである等としていました。ところが、会社法施行により、取締役の報酬、賞与等は「職務執行の対価として株式会社から受ける財産上の利益」と整理され、会計基準において、賞与も費用として処理されることとなったにもかかわらず、上記制度は存置されたのです。
 山下弁護士は、上記研修会において、「役員給与は、利益処分ではなく、費用そのものであるから、職務対価性があれば否認することはできないはず。」とされた上で、法人税法342項の趣旨について、「実働のない役員給与は否認しようとするもの」との持論を披露されていました。つまり、同条1項の改正後、「不相当に高額」か否かは、「法人利益への貢献度」(職務対価性)のみで判定されるべきであるとの見解です。
 確かに、立法事実が変遷しているのですから、同制度の趣旨も変容してしかるべきとも思われます。ただ、政令レベルにはなりますが、「当該役員の職務の内容、その内国法人の収益及びその使用人に対する給与の支給の状況、その内国法人と同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する給与の支給の状況等に照らし」と、相当性判断の要素(法人税法施行令701項イ。退職給与以外の給与に係るいわゆる実質基準)が示されているのをどのように解釈すべきか…。
 ちなみに、退職給与についても、「当該役員のその内国法人の業務に従事した期間、その退職の事情、その内国法人と同種の事業を営む法人でその事業規模が類似するものの役員に対する退職給与の支給の状況等に照らし」と、法人税法施行令701項によって判断要素が示されています。

(4) 事案の性質上、判決文は非開示とのこと。残念です。

The Tokyo District Court in its decision dated April 22, 2016, repealed an order by tax authorities for an Awamori "Zampa" brewing company to pay about 50 million yen in tax. The Court decided that the amount of retirement benefits for a founder executive was not "unreasonably high" as provided for in Article 34, Paragraph 2 of Corporation Tax Act.  Under the article, if the executive compensation is "unreasonably high", the portion deemed "unreasonably high" should not be included in the deductible expenses.
 

2.安土城をたずねて

(1) 滋賀県近江八幡市安土町にある「安土城跡」等をたずねました。

(2)「安土城跡」
 安土城は、言わずもがな、織田信長により築城されたお城。「安土桃山時代」と、戦国末期をあらわすエポックの名称(の一部)にもなっています。
 信長が安土城の築城に着手したのは、長篠の戦いに勝利した翌年、天正4年(1576年)、その3年後の天正7年天主完成し、信長は、岐阜城から安土城に居を移します。そして、わずか3年後の天正10年、本能寺の変により信長がこの世を去り、信長を討った明智光秀も三日天下で秀吉に敗れると、安土城は、何ものかの手により火が放たれ、焼失してしまします。そして、天正12年、小牧長久手の戦いで織田信雄が秀吉に屈すると、安土城は廃城となり、以後は、信長が安土城内に建てた「摠見寺」が、その菩提を弔いながら、現在に至るまで、城跡を守り続けていたといいます(城跡の案内板より)。
 「安土城跡」に足を踏み入れると、まず、大手道に圧倒されます。
 大手道は、直線部分、横道・七曲状部分、主郭外周路部分と、3つに分かれるそうですが、最初の直線部分は、大手門から山腹まで、約180メートルにわあって直線的に延びる部分の道幅約6メートルあり、道の両脇には、ひな壇状に、家臣らの屋敷が配されています。

 今まで、いくつか城址を訪れたことがありますが、まるで神社かお寺の参道のように、まっすぐで、広くて、長い階段で迎えられたことはなかったように思います。安土山の麓からみると、この立派な大手道が続き、その先には煌びやかな5階建ての天主がそびえ、まさに、「見せる城」だったのでしょう。とはいえ、わずか3年信長の権勢を体現した安土城は、当時、いかほどの人々の目に触れたのでしょうか。でも、安土城を目にしたそう多くはないと思われる人々の中には、宣教師ルイス・フロイスがおり、ヨーロッパにその様を伝えたというのですから、不思議な気がします。
 安土城というと、穴太衆による野面積の石垣が有名ですが、その石垣が思ったよりもきれいによく残っているのに驚きました。
 大手道をのぼりはじめてすぐ右側に「伝前田利家邸跡」、もう少し上ると、左側に「伝羽柴秀吉邸跡」等と続き、往時の姿に、想像が膨らんでいきます。
 黒金門跡を通り、高石垣をめぐりながら、本丸跡(千畳敷と呼ばれる場所で、清涼殿に酷似した建物があったとされます。)に辿り着き、天主跡まで頑張ってのぼると(ここまでのぼるのは、大変でないとは言えない…笑)、約20メートル四方の平地に礎石がきれいに並んでいて、また、びっくり…。天主は、地下1階、地上6階(5層7階建)だったそうで、礎石が見える平地は、地下1階部分、天主台は、約2倍の面積だったといいます。
 天主跡から二の丸跡を経て下っていくと、「摠見寺」跡へ。「摠見寺」は、本能寺の変の後の天主炎上による類焼を免れ、江戸時代までは本堂も残っていたそうです(現在は、天主に向かって大手道の右脇に移っています)。「摠見寺」跡は、琵琶湖(西の湖?)がみおろせ、素晴らしい眺めが堪能できるとともに、安土城創建当時の遺構である三重塔、さらに下ると二王門(楼門)にも出会える…。恥ずかしながら、このような遺構があることを知らなかったので、感激してしまいました(笑)。
 「安土城城跡」は、現在、「摠見寺」の境内となっていることもあってか、全体的に、手が入りすぎている感がなく(勿論、修復はされているそうです…)、とてもよかったです。


   
入山前に出会う
「安土城址」の碑
(a stone stela)
安土城大手周辺にある
石塁 (the stone forts)。
黒いパラソルの後ろに、
大手道がみえます。

大手道
(the stone steps leading
to the Tenshu - the Donjon)。
左手が伝秀吉邸跡。
(Left side:the supposed site of
the residence of Hideyoshi Hashiba )
黒金門跡
(the Kurogane Gate)。
本能寺の変の後の
天主焼失時に激しく燃えたらしく
焼けた金箔瓦などもみつかったとのこと。
       
本丸跡から天主跡へ至る道。
(the stone steps from the Honmaru
to the Tenshu - the Donjon)

                  
天主跡
(the ruins of the Tenshu - the Donjon )。
ここが、地下1階部分らしい。
     
「摠見寺」跡から湖をのぞむ。
(the ruins of the Soken-ji Temple)

三重塔
(the three storied pagoda)
二王門(楼門)
(the Niou Gate)
      
金箔の瓦
(the pieces of the gilt roof tiles)

 
(3)「安土城天主信長の館」、「安土城城郭資料館」
安土城天主信長の館」(Azuchi Castle Museum, "the House of Nobunaga" )は、平成4年に開催されたスペインセビリア万国博覧会のために復元された安土城天主の最上階部分、黄金の5階と八角形の6階が、移設、展示しています。
 復元された部分は、安土城における織田信長の居城空間とされ、現代の職人により豪華絢爛に復元されていました。意外に(?)よかったのが、宣教師ルイス・フロイスが安土城を案内される様子を描いたVR(バーチャルリアリティ)のショートムービー(こちらでダイジェスト版がみられます↓)。
VR Azuchi Castle Trailer (↓)
http://www.zc.ztv.ne.jp/bungei/nobu/vr/index.html
 安土城跡を訪ねた直後にみると、大手道はこんな風だったのか、天主をこんな風にみあげていたのか、天主の中は…、天主最上部からの眺めは…と、先ほど、遺構を歩いた際に思い描いた建物や往来の様子、眺めなどが具体化されて、感激しきりでした…(笑)
安土城郭資料館」」(Azuchi Castle Museum)には、20分の1のスケールで再現された安土城全体の模型があります。
 安土城の低層階は、なんと、地階から地上2階まで中央部分が吹き抜けになっており、3階部分には吹き抜け部分にかかる渡り廊下があったそうで、(異説もあるようです。)、精巧に再現された模型でそういった様子をみられる点は、よかったです。また、約90万円(?)もする甲冑(黒いビロードのマント付き)を体験できるので、お好きな方にはお薦めです。
安土城郭資料館
(Azuchi Castle Museum)
安土城の1/20の模型。
(the model of the Donjon of Azuchi Castle - Scale:1/20 )
吹き抜け部分がよくわかります。


(4)ランチ
 ちなみに、安土町でのランチは、プティ・キャナル(petit CANAL)でいただきました。
       
プティ・キャナル は
琵琶湖沿いのおしゃれなカフェ。
ハンバーグかパスタに
サラダブッフェがついています。
(Cafe petit CANAL is located
on the shores of Lake Biwa)
 
 

(5)伊勢安土桃山村の安土城
 ところかわって、三重県の伊勢・志摩にある伊勢安土桃山文化村には、なんと、原寸大の安土城があります!
 安土城址を訪れる前に遊びに行ったのですが、伊勢安土桃山村の施設の中では、ダントツによかったです(笑)。
 伊勢安土桃山村は、平成6年に開業したそうですが、なんと、安土城の総工費は、70億円もしたとのこと!!!
 バブルの頃とはいえ、すごすぎます(汗)。


三重県、伊勢安土桃山文化村の
原寸大で再現された安土城。
(the full-scale rebuilt Azuchi Castle
in Ise Azuchi Momoyama Culture Village,
in Mie Preffecture)
丘の上に建っているので
安土桃山村の入り口近辺から
バスがでてます。
安土城ツアーのガイドさんは
山田奉行所の岡っ引き見習いであり
更に、南京玉すだれの実演もされていました!

   I visited Azuchi Castle Ruins during the Golden Week Holidays.
    Azuchi castle was built by Nobunaga Oda from 1596 until 1579 on Mt. Azuchi on the eastern shores of Lake Biwa.
    The Donjon of Azuchi Castle, with five layers and seven stories, was considered as the first masterpiece of Japanese architecture introduced to Europe.  It contained an open ceiling space, and it's fifth story was octagonal.
    However, the Donjon burned down in 1982 just after Nobunaga was attacked and killed by Mitsuhide Akechi at Hono-ji Temple.  After that, the Soken-ji Temple has preserved the castle site until today.
   The stone walls and steps remain in a rather good condition, and I was especially impressed by the straight and relatively wide stone stairs to the Tenshu (the donjon), which I considered quite rare among Japanese castles.
 
    

2016年4月25日月曜日

北海道男性の外れ馬券事件(東高判平成28年4月21日)Tokyo High Court Dicision dated April 21, 2016 & 末森城址 Suemori Castle Ruins


1.北海道男性の外れ馬券事件~納税者の逆転勝訴(東高判平28421日)~

(1)  このブログで、以前、
当たり馬券の払戻金は「一時所得」にあたるか、それとも、「雑所得」にあたるか。
外れ馬券の購入代金は所得税の計算上控除できるか
について争われた事件(以下、「大阪事案」といいます。)に係る最判平成27.3.10(ちなみに、刑事裁判です。)について触れたことがあります(↓)。
http://www.hisaya-avenue.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html
 上記大阪事案の最高裁判決は、①については「雑所得」であると判断し、②については、外れ馬券の購入代金も含めた全馬券の購入代金について、「必要経費」にあたるとして、控除を認めました。
また、その後、北海道の男性(Xが同様の争点について争った事案(以下、「北海道事案」といいます。)では、第一審の東京地裁(東京地判平成27514)が、大阪事案の最高裁判決とは異なり、外れ馬券の購入代金を「必要経費」として認めませんでした(↓)。
http://hisaya-avenue.blogspot.jp/2015/05/blog-post_20.html
そんな中、先日の日経新聞(平成28422日付朝刊)に、北海道事案の控訴審東高判平成28421が、外れ馬券の購入代金を「必要経費」とするXの主張を認め、第一審の東京地裁判決を取り消したとの記事が掲載されていました。
 
(2) 上記2つの事案の争点について
 ①当たり馬券の払戻金が「一時所得」(所得税法341項)にあたるとすると、②について、「その収入を生じた行為をするため…直接要した金額」(同条2項)を控除し得る一方、①当たり馬券の払戻金が「雑所得」(同法351項)にあたるとすると、②について、「必要経費」(同法37条、同法3522号)を控除し得ます。そして、後者の方が、前者の範囲より広く、(当たり馬券の購入代金のみならず)外れ馬券の購入代金をも含むとの結論を導きだしやすいという論理関係になっています。なので、①の当たり馬券の払戻金が、「一時所得」か「雑所得」かが、主要な論点といっていいかなと思います。

(3) 大阪事案に係る最高裁判決以前所得税法基本通達
 ちなみに、大阪事案に係る最高裁判決がでる以前所得税法基本通達34-1は、「一時所得」の例示として、「競馬の馬券の払戻金、競輪の車券の払戻金等」を挙げていました。

(4) 大阪事案に係る最高裁判決について
  大阪事案の事実の概要については、以前のブログで軽く触れています。
 最高裁は、①について、「所得税法上、営利を目的とする継続的行為から生じた所得は、一時所得ではなく雑所得に区分されるところ、営利を目的とする継続的行為から生じた所得であるか否かは、文理に照らし、行為の期間、回数、頻度その他の態様、利益発生の規模、期間その他の状況等の事情総合考慮して判断するのが相当である。」という判断基準を示した上で、「馬券を自動的に購入するソフトを使用して独自の条件設定と計算式に基づいてインターネットを介して長期間にわたり多数回かつ頻繁に個々の馬券の的中に着目しない網羅的な購入をして当たり馬券の払戻金を得ることにより多額の利益を恒常的に上げ一連の馬券の購入が一体の経済活動の実態を有するといえるなどの本件事実関係の下では、払戻金は営利を目的とする継続的行為から生じた所得として所得税法上の一時所得ではなく雑所得に当たるとした原判断は正当である。」とのあてはめをし、また、②については、「外れ馬券を含む全ての馬券の購入代金という費用が当たり馬券の払戻金という収入に対応するなどの本件事実関係の下では,外れ馬券の購入代金について当たり馬券の払戻金から所得税法上の必要経費として控除することができるとした原判断は正当である」と判示しました。

(5) 大阪事案に係る最高裁判決所得税法基本通達
 上記最高裁判決を受けて、所得税基本通達341は、「競馬の馬券の払戻金、競輪の車券の払戻金等(営利を目的とする継続的行為から生じたものを除く。)」とし、(注)として、「馬券を自動的に購入するソフトウエアを使用して独自の条件設定と計算式に基づいてインターネットを介して長期間にわたり多数回かつ頻繁に個々の馬券の的中に着目しない網羅的な購入をして当たり馬券の払戻金を得ることにより多額の利益を恒常的に上げ、一連の馬券の購入が一体の経済活動の実態を有することが客観的に明らかである場合の競馬の馬券の払戻金に係る所得は、営利を目的とする継続的行為から生じた所得として雑所得に該当する。」等と改正されました

(6) 北海道事案について
 数日前に東京高裁判決がでた北海道事案のXは、地裁判決の認定事実によれば、「コンピュータソフトを使用して自動的に馬券を購入していたというわけではなく…中央競馬の各競馬場で行われるレースをテレビ(録画を含む。)で見たり、競馬新聞、競馬雑誌を購入したりして競走馬に関する情報を集めた上(…)、集めた情報に基づき、中央競馬に登録された競走馬について『2、400mくらいのレースならかなりの能力がありGI級』『芝コースは苦手だが、ダートコースの短距離戦が得意でオープンクラスまで行ける能力がある』『芝の短距離戦に適性が高く重賞を勝てる能力があるが、外側にほかの馬がいると走る気をなくす悪癖がある』などいった内容の絶対評価を行って(…)、レース毎に、① 馬の能力、② 騎手(技術)、③ コース適性、④ 枠順(ゲート番号)、⑤ 馬場状態への適性、⑥ レース展開、⑦ 補正、⑧ その日の馬のコンディションという考慮要素に基づいて各競走馬を評価した後(…)、上記のコース別レースシミュレーションによって補正をし(…)、レースの結果を予想して、予想の確度に応じた馬券の購入パターンにより、馬券の種類に応じて購入条件となる倍率を決めた購入基準に基づき、どのように馬券を購入するのかを個別に判断していた」といいます。このような購入方法により、Xは、200510年に計約727千万円の馬券を買って、計約784千万円の払戻金を得ました。
 第一審(東京地判平成27514日)は、「その馬券購入の態様は、一般的な競馬愛好家による馬券購入の態様と質的に大きな差があるものとは認められず、結局のところ、レース毎に個別の予想を行って馬券を購入していたというものであって、自動的、機械的に馬券を購入していたとまではいえないし、馬券の購入履歴や収支に関する資料が何ら保存されていないため、Xが網羅的に馬券を購入していたのかどうかを含めてXの馬券購入の態様は客観的には明らかでないことからすると(…)、Xによる一連の馬券の購入が一体の経済活動の実態を有するというべきほどのものとまでは認められない」等としてのXの請求を棄却しました。地裁判決は、具体的な馬券の購入履歴等が保存されていないことを重視しているようにもみえますね…。
 これに対し、控訴審(東高判平成28421日)は、報道によれば、「独自のノウハウで馬券を有効に選び、恒常的に多額の利益を上げていた」として、最高裁が上記判断基準に照らし、雑所得にあたるという結論を導いた購入方法と「本質的な違いがない」と判示したようです。
 控訴審の判決文を未だみていませんが、最高裁が総合考慮する事情としてあげているのは、「行為の期間、回数、頻度その他の態様、利益発生の規模、期間」等なので、購入ソフトを使わず、独自のノウハウであっても、「営利を目的とする継続的行為から生じた所得」と判断できる場合もあるのではないかと思量されます。

<後記>
北海道事案について、平成29年12月15日、最高裁判決がでて、国の上告が棄却されました(↓)。
http://hisaya-avenue.blogspot.jp/2017/12/blog-post_24.html

(7) それにしても…。
 私は、競馬の馬券を買ったことはおろか、レースをみたり、当たり馬券を予想したこともないのでよくわからないのですが…というか、数学的素養にかけるからピンと来ないのかもしれませんが…(汗)。
 判決文によると、競馬という公営賭博では、払戻金の総額が馬券の発売金額の75になるとのことです。このような比率の下、独自のノウハウを構築することにより(最高裁の事案では、市販のソフトを使用してはいますが、独自の条件設定と計算式を入れたとされています。)、偶発的要素を減殺して、恒常的に多額の利益をあげることは、どのくらいの難しさなのでしょうか。少なくとも、2つの事案があるので、可能なことは可能であるということなのでしょうが…(苦笑)。
 以前、NHKで放送されていた韓国ドラマの主人公のモデルは、元囲碁棋士で、ポーカーの世界チャンピオンになった伝説のギャンブラーだと聞いたことがあります。
 ポーカーや競馬というギャンブルでも、人間の英知により、偶発的要素を減殺することにより、職業とすることは可能なのですね。正に、天才のみに許される職業なのかもしれませんが…。

 どうも、上記諸諸判決の法的判断とは違う点に、興味がいってしまいます。

On April 21, 2016, the Tokyo High Court decided that the earnings from horsetrack betting shold not be the temporary income provided in Article 34 of the Income Tax Act, and the expediture of all slips, including losing bets, could be counted as the expenses provided in Article 37 of the said Act, considering the duration, the frequency, and the amount of the deal, even without using the software.
 

2.末森城址(城山八幡宮)

(1) 週末、末森城址にいってきました。

(2) 「末森城」(末盛城)は、天文17年(1548年)、織田信長の父、織田信秀により築かれました。
 信秀は、「末森城」の築城により、以前、ブログで触れた「古渡城」から「末森城」に移り、「守山城」を守る弟信光と連携して、三河の今川氏に対して備えたといいます。
 天文21年(1552年)、信秀が亡くなると、三男信行が城主となりますが、信行は、兄信長と対立し、稲生原(いのうがはら)の合戦を起こして敗れてしまい、永禄元年(1558年)、清州城におびきだされ謀殺されてします。その後、末森城は、廃城となりました。
 往時、末森城は、二重堀を廻らせていたそうで、その史跡は、現在の城山八幡宮の約1万坪の境内と殆どが重なり、室町時代末期における平山城の城址として、原形に近い姿を伝えているといいます(以上、城山八幡宮の案内掲示によります。)。
 「愛知の城」(山田柾之著)によれば、本丸を巡る内堀の北側にあった「三日月堀」と称する半月形の堀は非常に珍しく、貴重なものだったそうです。

(3) 実は、末森城址を訪れる前に、名古屋市博物館の常設展を拝見し、博物館の解説員の方から、だいたい、お城や神社は、水につからず地の利があるところに建てられている、名古屋城もしかり、地震による津波で名古屋駅近辺が浸水することはあっても、名古屋城は、台地の上に建てられており、浸水することはないだろう…という話をうかがったばかりでした。
 末森城址も、名古屋市内の市街地に突如、小高い鎮守の森が出現!といった感じで、感心しきりでした。ちなみに、城山八幡宮は、末森城の麓にあったものが、昭和11年、境内であった現末森城址に遷座した、とあります。なお、碑は「末森城」となっていますが、案内板によっては、「末盛城」と表記されていました。また、城址近くの通りの名称は、「末盛通」です。

I visited the site of Suemori Castle Ruins on the weekend.  The Suemori Castle was built in 1548 by Nobuhide Oda, who was the father of Nobunaga Oda, the legendary warload of Owari (the western part of Aichi).  The site is now located inside a shrine, Shiroyama Hachiman-gu, Chikusa-ku, Nagoya, and the relic you find are mainly dry moats covered with trees.
   
   
城山八幡宮の一の鳥居 (the first gateway)
     

一の鳥居をくぐった後、
空堀にかかる橋と二の鳥居
(the bridge over dry moats and the second gateway)

橋からみた空堀 (dry moats)

橋をわたって、階段をあがり、
三の鳥居をくぐった辺り(もと本丸付近?)
にある末森城址の碑 (a stone stela)

ご本堂のある小高い丘を空堀がぐるりと廻っていて
境内は1万坪もあるとのこと。

ご本堂 (the main hall of the shrine)。
藤が咲いており、甘い香りが漂っていました。
(Japanese Wisteria flowers were in bloom with sweet-smelling.)

2016年4月5日火曜日

ハーグ条約に係る意見交換会、千葉家裁松戸支部判決平成28年3月29日


1. (1) 日付が変わってしまったので、昨日になりますが、アメリカ大使館のアメリカ市民サービス課が主催するハーグ条約に係る意見交換会(Hague Convention Discussion)にいってきました。

(2) ハーグ条約が発効してほぼ2年が経ち、日本の実務もそこそこ集積してきています。
 本会合では、アメリカのみならず、カナダ、イギリス、オーストラリア等の関係者や、日本の外務省の方も参加されていました。
 ハーグ事案の判決文は公表されていないので、特に、日本の弁護士の経験談は参考になりました。


⇒ <後記>
     「ハーグ条約の基礎」事務所通信第7号に載せました。
   http://www.hisaya-ave.com/tsushin7-7.html
   PDF版はこちら。
   http://www.hisaya-ave.com/jimushotsushin7/jimushotsushin7.pdf

 
2. (1) 1カ月近く前になってしまいましたが、今年311日には、愛知県弁護士会紛争解決センター運営委員会が企画した「国際的な子の奪取に関するハーグ条約研修会」が催され、私は、昨年9月に参加した「ハーグ条約に関する日豪合同あっせん人研修」について、報告しました。
 私の報告のみならず、研修で話題に上がったのが、日本における離婚後の単独親権制度。民法819条1項は、「父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親権者と定めなければならない。」と定め、また、同条2項は、「裁判上の離婚の場合には、裁判所は、父母の一方を親権者と定める。」等と定めています
 これに対し、諸外国で比較的多くみられる法制がいわゆる共同親権制度
 例えば、オーストラリア連邦家族法(The Family Law Act 1975)は、「
parental responsibility」についての規定があり、18歳未満の子供の父母は、各々、子供に関するparental responsibilityを有する、そして、これは、子供の父母の関係性のいかなる変化にもかかわらない等(第 61条C)と規定されています。つまり、オーストラリアでは、離婚後でも(あるいは、事実婚でも)、共同親権が原則であるといえます。
 日本では、離婚に際し約80%の母親が親権を取得している現状があり、離婚後、親権を有しない父親と子との面会交流が円滑に行われるとは限りません。仮に、父親が面会交流を求め、(調停もうまくいかず)これを認める審判を取得したとしても、母親がこれに従わない場合、面会交流の実現は困難な道のりとなるでしょう。
 そもそも、親権・監護権の争いや子の引渡請求において、裁判所の判断に影響するとされる「乳幼児母性優先の原則」や「監護の継続性の原則」(*)は、共同親権に慣れ親しんだ外国人の父親から見ると、脅威そのものなのかもしれません(国際的な子の奪取に関するハーグ条約があるとはいえ…)。
*ただし、監護者の監護の開始が無断連出しなど違法性を帯びる場合でないことを重視する裁判例も相当数あります。

(2)  そんな中、つい先日(329日)、千葉家裁松戸支部で、5年以上別居している夫婦が、離婚と長女(8歳)の親権を争った訴訟で、離婚を認めた上で、夫に長女の親権を認め、妻に同居の長女を引き渡すよう命じる判決を言い渡したとの報道がありました。
 妻は、夫婦関係がうまくいかなくなった後、夫に無断で長女を連れて実家に戻り、夫からの面会希望を拒絶し、夫は子に会えない状況が続いていたといいます。
 夫は、年間100日程度の面会交流を提案し、判決も、夫に対し、妻と長女の面会交流の機会を十分確保すべく詳細な条件を定めているようですが、この判決、今までの判例・裁判例の流れを大きくかえるものになるのか、それとも…。
 今後が注目されます。
    
⇒ <後記>
     平成29年1月26日、控訴審判決がでました
   http://hisaya-avenue.blogspot.jp/2017/01/29126.html
   関連のブログ。
   http://hisaya-avenue.blogspot.jp/2017/02/tokyo-district-courts-decision.html